なぜ?安倍首相は杉原千畝の話をしたのだろうか?
KNNポール神田です!
安倍晋三首相がイスラエルで会見し、イスラム国の邦人人質に対して強く宣言した。
非常に強いリーダーシップを発揮した宣言であったと感じた。しかしだ…。
なぜ、日本のシンドラー、杉原千畝の名前をだしたのだろうか?
安倍首相は、2015年1月19日(月)午前:ホロコースト記念館視察。ネタニヤフ首相と会談。午後:ユダヤ教聖地「嘆きの壁」などエルサレム旧市街視察を見ている。ホロコースト記念館(ヤド・ヴァシェム)に実際に行くと、おびただしいほどの山を見る。その山は、靴の山、メガネの山、斬られて束ねたれた髪の山が続く。圧倒的な視力によるホロコーストの惨劇のプレゼンテーションに目を覆いたくなる。安倍首相も同じ気持ちだっただろう。そして、リトアニアの日本領事館で600余名のユダヤ人向けに、ビザを独断で発行し、彼らの命を救った「杉原千畝(すぎはら・ちうね)」の名を見て、日本人として、どれだけ安堵と誇りを感じたことか。この犠牲者を前にして日本人は少しだけ救われた気持ちになる。当然、安倍首相のコメントにもそれが色濃く反映した翌日の記者会見だった。
イスラム国にとって、日本はユダヤ社会と一緒にイスラム国と戦う声明となった
イスラム国が何を目指して活動しているかというと、ユダヤ系の金融・資本主義社会からイスラム教の国々の土地を奪還することである。そして、彼らは、日本の首相を名指しで、しかも72時間という期限付きの脅迫メッセージをソーシャルメディアに #ズワイガニ という日本語までくっつけて拡散してきている。
その回答としての第一声が、テロには屈しないという意見と、杉原千畝の寛容の心を私は信じているとコメントした。これはユダヤ人にとっては、大いなる賛辞と友好のサインであるが、イスラム国にとっては、明確に敵方であることを宣言したようなコメントとなってしまったように捉えられる。
一方、パレスチナとの和平については…
…と、中立で第三者的立場である日本のポジションを強く意識していたにも関わらずだ。
旧約聖書 VS クルアーン(コーラン)
イスラム国は、たかだか70年前のアウシュビッツではなく、2,000年以上にもわたる「約束の地」という、特別な場所での戦いだ。「約束の地」は、神がアブラハム(イブラヒーム)の子孫に与えたものであった。
アブラハムの、妾の生んだ長男イシュマエル(アラブ人の先祖)と次男のイサク(ユダヤの先祖)はそれぞれ別の道を歩み、それぞれの子孫が何千年にも渡り争いを続けている。
岩のドーム(イスラム)と嘆きの壁(ユダヤ)が共存共栄するエルサレムの地で、的確にコメントするならば、「アブラハムさんから見るならば、半分は同じ血が流れる兄弟同士だからなんとか仲良くすべきではないだろうか?」とあくまでも第三者的な話をすべきだったのかもしれない。それができるポジションは日本だけではないだろうか?
オバマ大統領は本日の一般教書演説で「今夜新たなページをめくる」と各国連携でイスラム国を壊滅させるという旨を宣言した。イスラム国からは、日本も連合国入りをしたと思われても仕方がない。