魂を売る欲望の代償――映画『対外秘』監督が語る政治の闇
欲望によって魂を売る。現在日本公開中の映画『対外秘』は、いわば悪と悪が闘うクライムサスペンスだ。描かれるのは、国会議員選挙の裏で行われる裏取引や都市開発をめぐる裏金疑惑。1992年の韓国・釜山が舞台でありながら、本作を買い付けたフランスの配給会社は「我が国でもいま起きていることだ」と驚嘆したという。それは日本でも、いまここにある危機をほうふつとさせるストーリーともいえるだろう。
手がけたのは、大ヒット作『悪人伝』のイ・ウォンテ監督。東京国際映画祭で来日した監督に聞いた、「悪」を撮り続ける理由とは。
――まず、時代背景についてお伺いします。1992年というのは韓国で初めて大統領選挙と総選挙が同時に行われた年。軍人出身ではない金泳三大統領による政権が誕生したという大きな出来事がありました。この時代を背景に選んだ理由を教えていただけますか?
イ・ウォンテ監督:選挙というのは、個人の人生に大きな影響を与える政治的なイベントです。それは非常に重要な出来事ですが、一方で、権力競争のような側面も持っています。勝者と敗者が生まれ、支持する者と反対する者が対立し、社会が分断して争うことになります。大統領選挙と国会議員選挙という、最も重要な選挙が同時に行われた1992年は、そのような政治的な緊張が凝縮された年でした。
そして、韓国はまだ民主化が完全に安定していない時期だったため、政治的にも非常に不安定な時代でした。韓国がさらに民主主義へと進むのか、それとも後退するのかが問われていた時代です。経済的にも、1988年のソウルオリンピックが終わったばかりで、人々は国際的になったと感じつつも、実際の生活は依然として厳しいものでした。そのギャップは非常に大きかった。
また、釜山はソウルと異なり、開発が遅れていました。ソウルではオリンピックを機に多くの開発が進みましたが、釜山はまだ多くの課題を抱えていたのです。釜山での開発は、多くの利権や資本が絡むものでしたが、それが地域の住民の生活にどのような影響を与えるのか不透明で、不安感が広がっていたのです。
私は映画監督として、そこで生まれた極限の状況に焦点を当てました。追い詰められた登場人物たちが、「もし失敗すれば全てが終わる」という危機感の中で闘う姿に。
――監督自身の原体験が映画に投影されている部分もありますか。
イ・ウォンテ監督:私はその時20代前半で、釜山近郊の地域に住んでいました。あの頃の記憶は強烈で、映画を作る際に大きな影響を与えました。また、自分の故郷の方言を使ったシナリオを書くことで、より現実感のある作品にすることができました。
20代は、常に未来が見えない不安がつきまといます。その不安な日々を過ごした経験や記憶が、1992年の釜山という設定に多く反映されています。また、美術面でも、自分が経験した記憶を活かして表現できるという自信がありました。そのため、細部までディレクションを行うことができ、とてもやりがいを感じました。
――実話ではなくとも、その時代に監督が抱えていた考えや感情が込められている。だからこそ、リアルに感じさせる作品なのですね。
イ・ウォンテ監督:その通りです。観る人が「これは自分たちの物語だ」「私たちの社会の一断面だ」と感じられる作品を作ることが重要だと思っています。この映画では、権力、人間の本質、善悪、人間関係など、普遍的なテーマを描きながら、それらを中心に物語を構築しました。
――『対外秘』は、一言で言えば、欲望によって魂を売ってしまう人々の物語といった捉え方もできるのではないでしょうか。
イ・ウォンテ監督:その通りです。この映画のシナリオを書く際、2冊の本を参考にしました。私は普段、歴史書を読むのが好きで、歴史を学ぶと「権力というものは非常に不条理である」と気づかされます。
本作を準備する際に参考にしたのが『ファウスト』です。この作品では、主人公ファウストが悪魔メフィストフェレスの誘惑に負けて堕落していく様子が描かれています。この映画では、私はファウストをチョ・ジヌンに、メフィストフェレスをイ・ソンミンに当てはめて考えました。つまり、権力を持つ悪魔のような人物が善良な人々を堕落させるという構図です。『ファウスト』をモデルにして、シナリオ作りや撮影を行いました。
もう一つ参考にしたのが、マックス・ヴェーバーの『職業としての政治』という本です。この本では、「政治家は権力を扱う職業であり、権力を扱う者は常に悪魔の誘惑にさらされる」という内容が語られています。最初は善良だった人が、最後まで善良でいられるとは限らない。この本の内容は、この映画を作る上で非常に参考になりました。
正しい人が必ず成功するわけではなく、悪人のほうが成功することも多い。人生も善行を積んだからといって必ずしも良い結果を得られるわけではありません。「私はこんなに善良なのに、なぜこんな悪いことが起こるのか?」と思うこともある一方で、「あの人はとても悪い人なのに、なぜあんなに上手くいくのか?」という矛盾を感じることもあります。人生はこのようなアイロニーに満ちていると考えています。
国会議員を目指す主人公ヘウンを演じるのは『お嬢さん』『工作 黒金星(ブラック・ヴィーナス)と呼ばれた男』のチョ・ジヌン。政界を裏で牛耳るスンテには、『ビースト』 『KCIA南山の部長たち』のイ・ソンミン。2人の名優の演技対決も見どころだ。
イ・ウォンテ監督:この2人が同じ画面に収まると、まるで食事を取らなくても満たされた感覚になります。2人はまったく対照的なタイプです。
チョ・ジヌンさんは見た目や体格がすごく男性的ですが、感情の微妙な変化を繊細に捉える能力があります。しかし、それは非常に苦しいプロセスで、彼自身がその感情を維持するために多くの努力をしているのを目の当たりにしました。
イ・ソンミンさんは、まさに熟練の達人です。彼とは友人で、同じ年齢、同じ故郷ということもあり、とても気軽に話せます。しかしチョ・ジヌンさんも、撮影前夜は緊張で眠れないと語っていました。俳優たちも自分と同じようにプレッシャーを抱えているのだと感じ、少し慰められました。
――『悪人伝』(2019)ではマ・ドンソクさんをキャスティング。韓国映画界を代表する俳優さんを配する作品を多く手掛けていますが、配役の軸となる信念とは。
イ・ウォンテ監督:「適しているか」「調和がとれるか」「意外であるか」。
この俳優がその役に最も適しているのか、他にもっと適した俳優がいるのではないか。この俳優と他の俳優が共演して、良いケミストリーが生まれるのか。演技が良くても、調和がなければ映画は失敗します。さらに、意外性も重要です。この俳優たちが共演した時、観客に新鮮な驚きを与えられるかどうかです。
キャスティングの期間はわたしにとって苦しいもので、寝ていても、頭の中で候補者の顔がずっと浮かび続けます。夜中に目が覚めてしまうこともしばしばあるほどです。
監督は多くの要素を決定することができますが、俳優の演技に監督として干渉できる部分には限界があります。どんなにこちらの意図を言葉で説明しても、それを実現するのは俳優本人です。そのため、キャスティングのプロセスは非常に苦痛であり、正直なところ、非常に難しいものです。
――「主演には有名な俳優を配する一方で、脇役にはあえてあまり知られていない俳優を起用している」と韓国でのインタビューで語っています。「それには使命感がある」と話していたのが印象に残りました。
イ・ウォンテ監督:俳優を志す人々はすごく多いのですが、その中には年齢を重ねてもまだ顔を知られていない人たちや、生活のために他の仕事をしながら俳優を続けている人たちもいます。しかし、私がキャスティングできる役の数には限りがあり、すべての人を起用することはできません。常に心が痛む部分です。
私の知人から推薦の依頼が来ることもありますが、リクエストには絶対に応じません。それを許してしまうと、本来チャンスを得るべき他の人たちの機会を奪うことになるからです。全員に平等なオーディションの機会を与えることが、私の信念です。
――監督の作品には悪人が主人公の話が多いですが、実際にお会いすると優しく誠実な方だと感じます。人間の闇にフォーカスした作品を撮りつづける理由が気になります。
イ・ウォンテ監督:「怖い人だと思ったけれど、実際はそうではない」とよく言われます(笑)。私は世界が美しいものであるとは考えていません。現実には不平等や醜さがあります。それを無視して作品を作るのは嘘だと感じます。私の使命は、社会の暗部や人間の本性を描くことにあると考えています。それでも、いつかはもっと穏やかな作品を手掛けたいとも思いますが……今はこれが私の役割だと考えています。
『対外秘』
シネマート新宿、ヒューマントラストシネマ渋谷 他全国公開中
配給:キノフィルムズ
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