「北朝鮮に遠慮?」…戦死者追悼行事への不参加めぐり、文大統領批判が先鋭化
韓国では2月末のベトナム・ハノイ米朝会談決裂と、その後の北朝鮮政府の強硬姿勢とも取れる動きを前に、保守派による文在寅政権の北朝鮮政策への反発が強まっている。そんな中、ある象徴的な出来事があった。
「西海守護の日」に2年連続で文大統領が不参加
22日、ソウルから特急で1時間ほど離れた大田(テジョン)市にある国立顕忠院で「西海守護の日」の式典が行われた。
2016年に毎年3月の第四金曜日と制定された「西海守護の日」は、式典を主催した国家報勲処によると「第2延坪海戦(02年)と天安艦被撃(撃沈のこと、10年)、延坪島砲撃挑発(同)で犠牲となった55勇士を追悼し、国民の安保意識を高めるための」もの。
いずれの事件も北朝鮮による「奇襲」と呼べるものだった点で共通している。第2延坪海戦では6名が、天安艦では47名(うち一人は救助にあたった海軍特戦団)、延坪島では2名が犠牲となった。
このことから、「平時においても北朝鮮への危機感を忘れずにいよう」という目的を持った国家記念日だ。式典には戦死者の遺族や同僚をはじめ、戦死者の母校の学生や市民など約7000人が参加した。
だがこの式典に、昨年に続き文在寅大統領の姿は無かったことが波紋を呼んでいる。大統領はこの日朝から、ロボット産業の視察のため大邸(テグ)市を訪れており、政府からは李洛淵(イ・ナギョン)国務総理や鄭景斗(チョン・ギョンドゥ)国防長官が参加した。なお、昨年は海外での外交日程のため不参加だった。
野党は強く反発
第一野党・自由韓国党の黄教安(ファン・ギョアン)代表は、自身のフェイスブックを通じ、「文在寅大統領は今年も参加しなかった。大統領の参席を待ち望んでいた遺族の方々がどれほど失望したことか、とても残念で悲しい」と書き込んだ。
黄代表はさらに、「北朝鮮の顔色をうかがって参加しなかったのではないかという話まで出るのは、国家にも国民にも不幸なことだ。国を守ることは理念の基準で善悪を分けてはならない。来年には必ず参席してください」と続けた。
こうした指摘には2017年5月の発足以降、北朝鮮との対話を一貫して重視してきた現政権を「弱腰」と否定するニュアンスが多分に含まれている。
中でも、2010年3月26日に起きた哨戒艦「天安」沈没事件が焦点となっている。事故直後、韓・米・英・豪・スウェーデンの合同調査により北朝鮮の魚雷によるものと結論付けられた同事件について、北朝鮮は今なお「南朝鮮の保守派による謀略劇」との姿勢を崩していないからだ。
このことから、北朝鮮との意見衝突を避けるため文大統領は式典に参加しないという見方が広まっている。黄代表は、式典後に天安艦犠牲者墓域を訪れた際にも、韓国メディアに対し同様の発言を行っていた。
遺族や関連団体も反発
式典終了後、犠牲者墓域に三々五々集まっていた遺族たちに、「南北対話が進む中、どのような想いなのか」、そして「大統領が不参加だったことをどう思うのか」を聞いた。
息子イ・ジェミン氏を天安艦事件で亡くした父イ・ギソプ氏は、「南北関係を改善するという方向は良い。でも、安全保障もしっかりするというメッセージが必要ではないか。国家記念日に2年連続で国家元首が来ないのは、いくらなんでも矛盾していないか」と静かに語った。隣にいた母のキム・ヨンウ氏は、無言で墓石を眺めていた。
天安艦遺族と支援機関で構成される『天安艦財団』の孫正睦(ソン・ジョンモク、海軍予備役中将)理事長もやはり、「南北対話がうまくいき、平和になるのは良い。だが、対話をしながらも安全保障も万全にするべき」と述べた。
さらに、「(昨年9月の南北首脳会談で結ばれた)軍事合意書についても憂慮が大きい。北朝鮮が平和を重視する決定的な姿を見せないのに、安全保障を緩めてはならない」と語った。
その上で「文在寅大統領は当然来るべきだ。去年は海外訪問という理由があったかもしれないが、今年は国内にいる。本当に北朝鮮に遠慮しているのが理由なら、そんな南北対話はやらない方がましだ」と力を込めた。
現地に集まっていたメディアに聞こえよと、大きな声で主張している女性もいた。「とても悲しく、寂しい」、「国が決めた記念日じゃないのか。今日みたいな日になぜ大統領は来ないんだ!」と繰り返していた。話を聞こうと尋ねたが、首を振り断りつつも傍らの墓碑を指差し「息子だ」と語り、立ち去っていった。
また、少し離れた所からは、やはり遺族と思われる女性が「こんな仕打ちをして、誰が息子を軍隊に送るんだ!」と叫んでいた。遺族たちの不満はとても大きい様子だった。
安全保障は政争の道具か
前述したように、「西海守護の日」は朴槿恵政権(13年2月~17年3月)時代の2016年の1月に制定された。「体育の日」や「文化の日」と並ぶ全50ある国家記念日のうち一つだ。
だが、制定の具体的な背景は今ひとつ明らかになっていない。一つ確実なのは、2016年は初頭から南北間の緊張が最大に高まっていたという点だ。
1月6日には北朝鮮の4度目となる核実験、2月7日には長距離ロケット発射実験と北朝鮮の「軍事挑発」(韓国政府の表現)が続いた。これを受け、開城工業団地が閉鎖され、南北関係が完全にストップする(この断絶は2018年1月の南北高官級会談まで続いた)。
こうした中、同年3月25日に初めての行事が行われたのだが、言うまでもなく北朝鮮の度重なる挑発に対抗する意味合いが強かった。朴大統領は演説の中で「無謀な挑発は北朝鮮政権にとって自滅の道になるだろう」と述べている。
保守派の李明博(イ・ミョンバク)、朴槿恵両大統領は2010年の事件発生以来、16年まで毎年関連行事に参加してきた。17年には弾劾による職務停止中の朴大統領に代わり、黄教安大統領代行(当時)が参加した。
ここ20年の左右対立には、過去に朝鮮戦争を起こし、その後も大小の軍事挑発を続けてきた北朝鮮をどう見るかという命題が色濃くなっている。包容する対象なのか、決して相容れない相手なのかという視点の違いは、安全保障分野において常に先鋭化する。
そしてその頂点に位置する非核化問題がハノイで物別れに終わったことで、韓国内では既存の対話路線に批判的だった層が、文大統領への批判を強めている。
奇しくも同じ22日、北朝鮮が開城の南北連絡事務所からの撤収を決め、米朝対話に続き南北対話も暗礁に乗り上げることになった。この批判は今後さらに強まるだろう。
文大統領はこの日、「我々はいかなる挑発も容赦することなく、力には力でより強く応酬していく。しかし戦わずに勝つことができるならば、その道を選択する」とフェイスブックに書き込んだ。
韓国メディアによるとこの日、自由韓国党の大田市の職員が文大統領と李総理の花輪を名札を取り去る事件が起きた。筆者もまた、花輪の位置が何度も動かされる姿を目撃した。
安全保障は果たして政争の道具なのか。文大統領の真意は何か。釈然としない想いの中、涙まじりに話す遺族の声が今も耳に強く残っている。