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東大・慶大の学費値上げがもたらすものとは 「親ガチャ」や「毒親」の激増か?

今野晴貴NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。
(写真:イメージマート)

 5月中旬、東大が年間授業料を現行の53万5800円から国が定める上限の64万2960円まで、10万円余りの値上げを検討していることが報道された。値上げの理由は、「教育研究環境の充実に加え、設備老朽化、物価上昇や光熱費等の諸費用の高騰、人件費の増大」が挙げられている。

参考:東京大学HP

 これに対し、学内からの反発の動きが出てきている。報道直後の学園祭での抗議デモ、安田講堂前でのスタンディング、約350人の学生と一部教員による全学集会などが行われている。6月21日には学生側の要望を受け、総長が在学生約400人とオンラインで意見交換する「総長対話」が実施された。

 東大から広島大や熊本大など、他の国立大学へと値上げ検討の動きが波及しつつあり、今回の動きは日本の大学教育全体に影響を及ぼしている。そこで本稿では、日本の学費・奨学金問題の構図を踏まえ、教育を受ける権利について考えていく。

慶大塾長の「国立大学授業料150万円」議論

 今回の授業料値上げの流れを作ったのは、3月の中教審(文科相の諮問機関である中央教育審議会)で国立大学の授業料を150万円まで引き上げるべきとの主張を行った慶大塾長の伊藤公平氏ではないだろうか。この主張も日本社会全体に波紋を呼んだ。

 伊藤氏の主張は高等教育の質向上のためには学生一人当たりの収入として年間300万円が必要で、そのうち半分の150万円を「自己負担」として授業料に設定すべきだというものだ。

 しかし、彼自身の中教審での資料を見ると、すでに国立大学では年間300万円の収入は確保されている。他方、私立大学では半額の154万円となっている。これを見ると、学生一人当たり年間300万円の収入を確保したいのであれば、私学助成を拡充するよう主張するのが自然だろう。

引用:伊藤公平「大学教育の多様化に向けて」(中教審・高等教育の在り方に関する特別部会)
引用:伊藤公平「大学教育の多様化に向けて」(中教審・高等教育の在り方に関する特別部会)

 それにもかかわらず、彼は国立大学の授業料を引き上げることで私立大学と授業料の差を縮小し、「公平な競争環境」が整備されることが必要だという。国立大学の授業料を上げたからといって、私立大学の収入が増えるのだろうか。国立大学の持つ経済面での学生獲得に対する優位性がなくなり、私立大学に学生が増えるかもしれないが、総収入が増えても学生一人当たりの収入が増えるわけではない。

 したがって、伊藤氏の主張は「国立大学は国から交付金を多くもらっていてずるい。交付金を減らし、その分授業料を増やして、私立大学と“公平な”学生獲得競争をすべきだ」と言っているに過ぎないように思える。そして当然、授業料の高騰は経済的理由により大学進学を断念する若者を増やすことになるだろう(ただし、彼は給付型奨学金の拡大を提言している。この点については後述)。

東大授業料値上げの背景−大学の企業化と大学教育の商品化

 こうした主張と比べれば、教育原資そのものを問題としている東大の授業料値上げの方が、まだしも筋が通っているかのように見えるが、そもそもなぜそこまで経営が苦しいのだろうか。

 この点を考える上で重要なのは、2004年の国立大学の法人化である。もともとは国が設置する機関だった国立大学が、各々が独立した法人格を持つ国立大学法人となり、大学経営を自己責任で行うことが求められた。

 その結果、基盤的経費となる国からの「運営費交付金」は毎年1%ずつ減額され、その分「競争的資金」と呼ばれる外部の研究予算の獲得や、自主財源の獲得に奔走させられることになる。運営費交付金は2004年度の1兆2415億円から、2024年度には1兆784億円となり、13%減少した。

 今年は国立大学法人化からちょうど20年にあたり、朝日新聞が全86国立大学の学長にアンケートを行ったところ、7割弱が教育・研究機関として「悪い方向に進んだ」と回答している。「競争的資金への依存度が高まり、申請作業に多くの時間が取られ、教職員が疲弊している」「運営費交付金が減額され、過度な競争がなされることで、大学の基盤を中長期的、安定的に支える仕組みが弱まっていることに危惧を感じる」などという意見が寄せられている。

 つまり、国立大学が法人化により「企業化」し、自助努力により経営を成り立たせなければならなくなるために、大学教育という「商品」の値上げという形で「価格転嫁」せざるを得ない構図がある、ということだ。慶大塾長の主張はこの構図をさらに加速させたいということになるだろう。

大学教育を受けられるかどうかは消費者=親次第

 もはや大学教育は「高額商品」となっている。学費の高騰は目を覆うばかりである。

国立大学及び私立大学授業料と入学料の推移 出典:文部科学省「国立大学と私立大学の授業料推移」
国立大学及び私立大学授業料と入学料の推移 出典:文部科学省「国立大学と私立大学の授業料推移」

 国立大学においては、1975年には授業料が36000円、入学料が50000円だったが、2005年以降現在に至るまでに授業料は53万5800円、入学料は28万2000円(現在は国立大学法人、いずれも標準額)と、授業料は14.8倍、入学料は5.6倍も高騰している。私立大学では、これ以上の負担を強いられていることは言うまでもない。

 その上、文科省は授業料の標準額から2割増の64万2960円までの増額を認めており、すでに、2019年度からは東京工業大と東京芸術大が、2020年度からは千葉大、一橋大、東京医科歯科大が授業料の増額を行っている。東京工業大を除く4大学で上限いっぱいの2割増の金額となっている。

 このような学費の高騰により、高等教育費の家計依存度が非常に高まっている。日本の家計支出が52.7%、OECD平均が21.6%と、主要先進国の中でも高等教育費の家計依存が最も高い部類に入る。北欧のスウェーデンに至っては公的支出88.4%、家計支出1.1%と、日本と全く真逆の状況になっている。

高等教育費の支出割合 OECD「Education at a Glance 2021」より作成
高等教育費の支出割合 OECD「Education at a Glance 2021」より作成

 したがって、大学教育を受けられるかどうかは親次第となっているのが現状だ。こうした状況を教育社会学では「ペアレントクラシー」ともよばれる。

 これまでは、出身家庭にかかわらず機会の平等を保障することで、個人の能力や業績により社会的地位が決定されるべきだとする「メリトクラシー」が正当なものとされてきた。

 しかし、実態として機会格差が拡大し、それを容認する風潮も強まっている。実際に、2018年に朝日新聞とベネッセ教育総合研究所が行った調査によれば、教育格差を容認する親の割合は2004年の46.4%から、2018年には62.3%まで大きく上昇しているのだ。

学費値上げとセットの奨学金拡充の問題点

 一方で、実は慶大塾長も東大も、授業料値上げとセットで奨学金あるいは授業料免除の拡充を主張している。だとすれば、高額の学費を自分で払える人は払って、払えない人は奨学金をもらえるからいいのではないか、と思われるかもしれない。

 この主張の問題点について、奨学金や授業料免除の対象者と非対象者でそれぞれ考えてみよう。まず、奨学金の対象者にとっては、その恩恵は大きいように思えるが、注意しなければならない点がある。日本学生支援機構の給付型奨学金の場合、収入基準だけでなく「学ぶ意欲」が要件であり、成績や出席状況が重視される。また、東大の授業料免除では成績要件が設けられている。

 特に低所得層においては、学費以外の教材費や生活費をアルバイトで稼がなければならない可能性が高い。アルバイトの労働時間によって学習時間が削られれば、成績や出席に支障が出る。その結果、収入基準は満たしても「学ぶ意欲」や成績の要件を満たせない場合が多くなるだろう。奨学金や授業料免除を受け続けるにはかなりのハードワークが必要とされるのではないだろうか。

 また、仮に給付型奨学金を受けていたとしても、給付月額が住民税非課税世帯の場合、国立大学で自宅生29200円、自宅外66700円、私立大学で自宅生38300円、自宅外75800円となっており、少なくとも単身者は生活保護の生活扶助(生活費)分よりも少ない水準であるため、これだけでは生活できない可能性が高いので、アルバイトの必要性は無くならない。

 次に、非対象者を考えてみよう。この場合、所得階層としては中・上層であるから、学費も払えて問題ないと思われるかもしれない。しかし、親がこれまで以上に高額の学費を支払わなければならないということは、子どもが親の意向に左右されやすくなるだろう。「これだけの高額な学費を払っているのだから言うことを聞け」という有形無形の圧力を感じながら大学生活を過ごさなければならない。

 あるいは、そもそも親に収入はあっても、学費や生活費などを払ってくれないこともありうる。そうすると、子供はお金を出してもらえないにもかかわらず「親が収入がある」ことを理由に奨学金だけではなくあらゆる福祉の対象外とされる。こうした学生からの相談も貧困相談の現場には頻繁に寄せられる。

 そうした高収入にもかかわらず、子供にお金を出さない家庭の学生たちも、アルバイト漬けにならざるをえない。闇バイトの温床にもなりかねないだろう。子ども自身の状況が親の人格に依存せざるをえないという、まさに「親ガチャ」である。

 このように、学費の値上げによって、親の支配としての「ペアレントクラシー」が中・上層においてより一層強まることが懸念される。

おわりに

 以上の通り、慶応大と東大を発端とした学費値上げの議論は、大学の「企業化」と大学教育の「商品化」を推し進めるものであり、学生が自由に学ぶ権利を保障するものではない。この流れを逆転させ、教育の「脱商品化」を進めることが、親やアルバイトに縛られずに学ぶことを可能にする。

 学費・奨学金政策の改善は、社会運動がどれだけ政治に圧力をかけていくかにもかかっている。日本で2017年に給付型奨学金が初めて実現した背景にも、弁護士や研究者を中心とした運動が実態を告発してきた事実がある。

 また、アメリカではThe Debt Collective という運動に、教育ローンの債務に苦しむ多くの当事者が参加し、教育ローンの債務帳消しと高等教育の無償化を求めて債務ストライキ(=返済拒否運動)を展開した。草の根の運動の力を受けて、2020年民主党予備選挙では、サンダース氏とワォーレン氏が教育ローンの債務帳消しと高等教育無償化を政策として掲げた。

 その後、バイデン政権下では継続的に学生ローンの返済免除が進められ、現在に至るまでに約460万人分の計1600億ドル近くが免除措置を受けているという。これも社会運動の大きな成果だと言えるだろう。

奨学金返済に関する無料相談窓口

NPO法人POSSE

TEL:03-6693-5156(受付時間:火木18:00-21:00 / 土日祝13:00-17:00)

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奨学金問題対策全国会議

*奨学金問題に取り組む全国の支援団体のネットワークです。地方各地の相談窓口もHPから探せます。

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NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。

NPO法人「POSSE」代表。年間5000件以上の労働・生活相談に関わり、労働・福祉政策について研究・提言している。近著に『賃労働の系譜学 フォーディズムからデジタル封建制へ』(青土社)。その他に『ストライキ2.0』(集英社新書)、『ブラック企業』(文春新書)、『ブラックバイト』(岩波新書)、『生活保護』(ちくま新書)など多数。流行語大賞トップ10(「ブラック企業」)、大佛次郎論壇賞、日本労働社会学会奨励賞などを受賞。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。専門社会調査士。

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