【THE MATCH2022】試合後の武尊がファンや関係者に謝罪した背景とは?
武尊は言葉少なに感謝と謝罪を語った
6月19日(日)、東京ドームに5万6千人の観客を集め、じつに50万人以上がPPVで見守った格闘技イベント『THE MATCH 2022』。
RISE生え抜きにして不動のエースである那須川天心(23、TARGET/Cygames)と、K-1の絶対的エースである武尊(30、K-1 GYM SAGAMI-ONO KREST)。長らく夢のカードとされてきた立ち技最強決戦が、この大舞台でついに実現した。
試合は初回にタイミング、ヒットポイント共にここしかないというところに左フックを合わせた天心が、先制のダウン奪取に成功。終盤にはディフェンスワークも冴え、武尊に反撃のチャンスを与えなかった。
武尊は、42戦目で2敗目を喫した。10年ぶりの負けだった。勝利後は必ずコーナーにのぼってバク宙を披露し、ファンに向けて勝利報告のマイクアピールをしてきた。だが、今回は格闘家人生で初めて、バックステージで敗者として会見にのぞんだ。
マイクを握った武尊は絞り出すようにして、感謝と謝罪の言葉を語った。
「この試合、本当に実現できたことと、実現するために動いてくれた人たちと、支えてくれた人たちと、対戦相手の天心選手に心から感謝しています。
僕を信じて、ついてきてくれたファンの人たちだったり、K-1ファイターたちだったり、自分のチームのみんなだったり。そういう人たちには本当に心から申し訳ないと思っています。以上です」
試合では最後まで倒しにいくという武尊らしさも見せたし、対戦の実現にあたっては武尊自身も関係各所に足を運び、粘り強く交渉を続けたと聞く。
だから謝罪はいらないと思うのだが、その一方で、もし負けることがあれば、武尊の試合後の言葉はやはり謝罪のみになるのかもしれないと思っていた。ほんの短い期間ながら本人と接して、武尊の性格というか人柄というかに触れたからかもしれない。
多忙を極めるなかでの自叙伝出版
今年3月上旬、武尊は初の自叙伝『光と影 誰も知らないほんとうの武尊』(ベースボール・マガジン社刊)を出版した。自身が語った内容をスポーツライターのミムラユウスケ氏がまとめるという変則的な語りおろしの形式だ。私は構成者として、たとえば武尊からの修正依頼を原稿に反映させるといった橋渡し役的な作業をおもに担当した。
作業に関わったのは昨年の秋口だったか。
本書によれば、天心vs武尊戦について本格的な交渉が始まったのは昨年の夏ごろからで、週1回のペースで交渉の場が設けられたのだという。そして、武尊も時間が許す限りこの場に同席し、ルールや契約体重などの微妙なすり合わせを行っていた。
試合のXデーは、早い段階で「2022年6月」と決まっていたのだろうか。実際のところは不明だが、自叙伝の制作チームに届く情報は、ある時には「実現の可能性は限りなく低い」またある時には「2021年大晦日になるかも」など日々刻々と変わった。
だからこの時期からすでに、武尊は来たるべき決戦に備えて肉体改造と追い込みを続けていた。対戦実現に向けての折衝と練習、肉体改造、さらにテレビや動画などメディアへの出演……。武尊はすごく忙しそうだった。
武尊がこの試合に満足していい理由
実際、あまりに忙しかったので、武尊の原稿チェックはいつも練習直後のジムの片隅であったり、動画撮影直後のK-1オフィス内であったりと、場所も時間もまちまちで、短くて30分、長くても1時間と、まさに“すきま時間”を狙って行なった。
でも、たいがいは30分が1時間、1時間が2時間と延びた。武尊が細かく原稿を読み込むからだった。これまでスポーツ選手から政治家まで自叙伝をいろいろ構成してきたけれど、ここまで丁寧に読み込む人はそうそういない。
そのぶん修正のリクエストも多かったが、修正する理由はすごくハッキリしていた。
たとえば、高校時代、武尊は知識不足のまま過酷な減量をしたことなどから心のバランスを崩し、うつ状態に陥った時期がある。そのくだりをぜひ丹念に書き込みたいというのが武尊からの修正依頼だった。何がきっかけで心のバランスを崩し、どんな症状が出たのか、そして回復の兆しをどこに見出したのか、などなど――。
丹念に症状やプロセスを書き込む理由は「自分と同じように心のバランスを崩した人や、その不安がある人が読んだときに、少しでもヒントが見つかるように」とのことだった。
また、武尊は高校時代にアルバイトで渡航費を稼ぎ、タイへ単身ムエタイ修行をしているが、タイでのエピソードも2つ追加してほしいとのことだった。ひとつは、ムエタイの殿堂として知られるラジャダムナン・スタジアムで試合ができたこと。もうひとつは、修行先のジムで、のちにK-1ファイターとして同じリングに上がる不可思(ふかし)選手と出会ったことだ。
なぜ、このエピソードを追加したいのか。「この本は格闘技をあまり知らない人でも読めるようにという趣旨だけど、格闘技ファンの人が読んでも『へー、ラジャダムナンでも試合してるんだ』とか『不可思とそんな昔に出会ってるんだ』と興味を持ってくれるだろうから」。
そんなふうに、とにかく修正理由のほとんどが読者目線やファン目線からのものだった。
「だって、せっかく高いお金を払って本を買ってもらうわけだから、みんながちょっとでも面白いと思えるページがないと」
持ち前のサービス精神は、さすがプロと感心したけれど、ここまでファンや周囲のために尽くすのは大変だろうな、息苦しくもなるだろうな、とも思った。
そんな武尊の人柄やプロとしての覚悟をよく知っているのだろう。試合のとき、解説席にいたK-1の中村拓己プロデューサーは、武尊に向けてこんなメッセージを送っていた。
「いろいろなものを背負ってきたけど、この試合では純粋に一人の人間として戦ってほしい」
勝利という結果でファンの心に寄り添えなかったこと、関係者の期待に添えなかったことに対して武尊は詫びるけれど、勝敗を超えて私たちが試合から感じ取ったものは大きい。
そういえば、武尊は自叙伝でこんなことも言っていた。
「僕が満足できるのは、自分がいい戦いができたときよりも、お客さんが満足してくれたとき」
だとしたら、心は満ち足りていていい。やっぱり謝罪はいらないと思うのだ。