大きな台風襲来が多い二百二十日 宮古島に接近する猛烈な台風
二百二十日
台風が襲来しやすい日として、昔から立春から数えて210日目(9月1日頃)を「二百十日」といい、台風に対する備えをより強化していました。
同様に、立春から数えて220日目(9月11日頃)を、「二百二十日」といい、大きな台風の来襲により一層の警戒をしていました。
これは、大きな台風襲来が多くなる頃であること、この頃の大きな台風は、稲の刈入れ前であることから被害が甚大になることを強く意識していたからです。
現在、日本の南海上には、猛烈に発達した台風22号があって、西に進んでいます(図)。
南シナ海を西進している台風23号の雲と比べるまでもなく、台風22号は、雲の塊の範囲が大きく、眼がはっきりし、発達していることを示しています。
台風22号は、中心気圧が905ヘクトパスカル、最大風速は毎秒55メートル、最大瞬間風速は毎秒80メートルで、今後、もう少し発達して、中心気圧が900ヘクトパスカル、最大風速は毎秒60メートル、最大瞬間風速は毎秒85メートルとなる見込みです。
日本付近の高気圧の勢力が強く、台風22号はあまり北上できませんが、このように発達した台風ですので、予報円の北側を通った場合、週末には沖縄県西部の宮古島などの先島諸島では、うねりを伴った高波など、かなり影響を与える見込みです。
また、台風22号が予報円の北側を通った場合、台風の北側の雨雲が週末の先島諸島から沖縄本島にかかる可能性がありますので、沖縄へ週末に旅行を計画されているかたは、最新の気象情報の入手に努めてください。
二百二十日
台風が襲来しやすい日として、昔から立春から数えて210日目(9月1日頃)を「二百十日」といい、台風に対する備えをより強化していました。
同様に、立春から数えて220日目(9月11日頃)を、「二百二十日」といい、大きな台風の来襲に備えて、より警戒をしていました。
これは、大きな台風襲来が多い頃であること、稲の刈入れ前で被害が大きくなることを強く意識したからです。
宮古島と台風
沖縄本島の南西約300キロにある宮古島(面積158平方キロ)は、日本で最も南にある観光の島といえ、平成4年(1992年)に開通したエメラルドグリーンの海の上を走ることができる池間大橋(全長1425メートル)など、観光名所が多くあります。
ただ、ときどき、猛烈な台風に襲われます。
宮古島の建造物は、普段から台風に備えて丈夫にできていますが、平成15年(2003年)9月11日に宮古島を直撃した台風第14号では、最低気圧が912.0ヘクトパスカル、最大風速38.4メートル、最大瞬間風速74.1メートルを観測し、電柱が800本以上も倒壊しています。
ほぼ全世帯の2万900戸が長期間の停電となり、陸海空の便が完全にマヒしています。
このとき、沖縄電力の風車タワーが倒れていますが、沖縄電力ではこのときの最大瞬間風速を90.7メートルと推定しています。
宮古島に測候所ができたきっかけの台風
宮古島に気象を詳しく観測する測候所ができたのは、昭和6年(1931年)8月9日に台風が直撃し、1万3000戸が倒壊したことがきっかけです。
翌7年(1932年)からは、6月から9月までの台風期間は、那覇にあった沖縄測候所から職員が出張して観測を行い、昭和12年(1937年)10月28日には宮古島測候所(現在の宮古島特別地域観測所)ができています。
その宮古島測候所は、これまで多くの猛烈な台風を記録し、気象庁が命名した台風の中で、宮古島を直撃し、宮古島という名前がつく台風が3つもあります。
昭和34年(1959年)9月15日の宮古島台風
昭和41年(1966年)9月5日の第2宮古島台風
昭和43年(1968年)9月22日の第3宮古島台風
琉球の本土復帰と沖縄県の発足は、昭和47年(1972年)5月15日ですので、3つの宮古島台風は、いずれも琉球の本土復帰前の台風です。
このため、沖縄県民にとっては、名前や台風番号ではなく、アメリカ軍の発表する女性名で、順に「サラ(Sarah)」「コラ(Cora)」「デラ(Della)」と呼ばれ、記憶されていました。
タイトル画像、図の出典:ウェザーマップ提供。
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平成30年7月豪雨による大雨被害に対して、緊急災害支援募金(Yahoo!基金)を行っていますので、ご協力をお願いいたします。
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