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【深読み「鎌倉殿の13人」】源義経に従った佳久創さん演じる弁慶は、本当に存在したのか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
弁慶は、本当に実在したのか?(提供:イメージマート)

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」7回目では、最後の場面で佳久創さん演じる弁慶が登場した。ところで、弁慶は、本当に存在したのだろうか。その点を深く掘り下げてみよう。

■弁慶とは

 弁慶は熊野別当・弁昌の子として誕生したというが、生没年不詳。母は、二位大納言の娘だったという。

 幼名は鬼若といい、誕生したときにはすでに髪と歯が生え揃っていたと伝わっている。通常ではありえないので、あくまで伝承の類と理解すべきだろう。

 幼い頃の弁慶は、比叡山延暦寺の桜本僧正に預けられ、将来は僧侶になる予定だった。

 しかし、弁慶は腕っぷしが強いうえに短気だったのか、たびたび乱行に及んだので、ついに比叡山を追い出された。そこで、自ら出家して、弁慶と名乗ったという。

 その後の弁慶はまったく素行が改まらず、書写山(兵庫県姫路市)にも行ったが、そこでもトラブルを起こし、京都に出ることを決意した。

 そして、入洛した弁慶は、行きかう人々から1000本の太刀を奪おうと固く心に決めた。そして、999本まで刀を奪ったのである。

 残り1本で1000本というところで、弁慶は義経と五条大橋で会った。弁慶は義経から刀を奪おうとするが、身軽な義経に翻弄され、ついに降参する。

 以後、弁慶は義経の配下となったのである。なお、当時はまだ五条大橋はなく、2人が戦ったのは清水観音の境内だったという。

■乏しい史料

 ここまで述べたとおり、弁慶の前半生については不明な点があまりに多く、関係する史料も乏しい。

 弁慶については、鎌倉幕府の正史『吾妻鏡』、軍記物語の『平家物語』に姿をあらわすほか、『義経記』、『弁慶物語』といった文学作品、幸若、謡曲、歌舞伎でしか知る由はない。

 そこで描かれる弁慶は、巨人で怪力。豪傑として広く民衆に知られた。「弁慶の腰掛石」、「弁慶の力石」は、各地に残っている。弁慶は人々にとって、身近な存在だったといえよう。

 神奈川県藤沢市の白旗神社にも、「弁慶の力石」がある。この石に触れた人は健康になり、病気に罹らないという言い伝えがある。

 また、各地に残る「弁慶の力石」は、弁慶が自らの怪力を誇示するため、持ち上げて見せたという伝承がある。

 弁慶に関する歴史的事実を物語る史料は乏しいものの、各地には弁慶にまつわる史跡(腰掛石、力石など)が残っており、実におもしろい。

■むすび

 鎌倉幕府の正史『吾妻鏡』に弁慶の記録があるのだから、実在したのは事実だろう。しかし、それは私たちが知るような巨人で怪力の弁慶ではなく、義経のブレーンのような存在だったかもしれない。

 とにもかくにも、「鎌倉殿の13人」では重要な役割を果たすだろうから、今後も注目することにしよう。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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