「アベノミクス」の行方=岸田政権に求められるもの
安倍晋三元首相が銃撃され、死去した。突然の悲報に言葉もない。まずはご冥福をお祈りしたい。安倍氏と言えば、やはりデフレ脱却を目指した経済政策「アベノミクス」の実行で知られる。経済政策の呼称が世の中に広く知られることは稀だが、「アベノミクス」の知名度は群を抜いている。普段、経済に関心が薄い方も見聞きしたことがあるだろう。
組み合わせは普通の政策
「アベノミクス」はこれからどうなるのか。その軌跡を回顧しつつ、今後の行方と継承する岸田政権の課題を考察したい。安倍氏の名前をもじって「アベノミクス」と称されるが、構成内容はオーソドックスだ。経済運営は「金融政策」、「財政政策」、「構造政策(成長戦略)」の三つが基本となる。「アベノミクス」も同様で、組み合わせは普通の政策と言えよう。
違いは、各政策のバランスだ。特徴は「金融政策」の比重が非常に大きいことだ。「財政政策」と「構造政策」の影が薄いのは否めない。原因は、安倍氏が「デフレは貨幣現象であり、金融政策だけで脱却できる」というリフレ思想に傾倒していたからだ。三つの政策で構成されるものの、内実は金融政策による一本足打法に近い。
ここで時間を2013年に戻そう。それまでの日本経済は、欧米バブル崩壊、リーマン・ショック、欧州債務危機、東日本大震災などに翻弄された。外為市場では、リスク回避で安全資産の円が買われ、デフレ圧力が強かった。そうした中、12年末に政権を奪取して二度目の首相に返り咲いた安倍氏は、13年春に前述のリフレ思想の具体化に動く。
「黒田バズーカ」のタイミングは完璧だったが…
その際に安倍氏は、同様にリフレ思想を持つ黒田東彦氏を日銀総裁に任命した。黒田総裁は「2年で物価2%」の実現を目指し、大規模にベースマネーを増やす異次元緩和を断行。金融市場で「黒田バズーカ」と称された。この「バズーカ」が放たれたタイミングは完璧だった。米連邦準備制度理事会(FRB)が超緩和政策を正常化する過程と重なったのだ。
「黒田バズーカ」による円売り、FRBの緩和修正に伴うドル買い。外為市場では、両中銀の政策運営の方向性の違いを受けた円売り・ドル買いが活発化し、円安と株高が同時進行した。「タイミングに恵まれる」のはリーダーとして強運だ。安倍氏は最高のタイミングで日本のリーダーに復帰し、最高のタイミングで「アベノミクス」を始動した。尋常ではない強運の持ち主である。
初動での円安・株高の成果は「アベノミクス」の注目度を一気に高めた。また、3つの政策を「3本の矢」に見立て、第1の矢を「大胆な金融政策」、第2の矢を「機動的な財政政策」、第3の矢を「投資喚起の成長戦略」と定義して、経済が成長軌道に乗る構図を具体的に提示したのは、政権の施策をアピールする戦略として有効だった。
コストプッシュの物価高と黒田失言
しかし、「黒田バズーカ」の効果は一過性に終わり、翌14年に原油急落で追加緩和に追い込まれる。上がりかけた物価は再び低迷。大規模緩和は行き詰まり、16年にマイナス金利に転進した。ところが、長期金利が過度に下がる副作用が発生。対策として長期金利も操作する「長短金利操作(YCC)」に修正され、現在に至っている。
皮肉にも低迷が続いた物価は(金融緩和とは無関係に)原油など国際資源価格の急騰を背景に今年に入って2%前後に上昇。庶民に打撃となるコストプッシュの物価高が発生した。また、FRBがインフレ抑制で利上げを進め、一方で日銀が低金利を維持するため、金利差の拡大から円安が再燃。家計にはコストプッシュの物価高を助長する「悪い円安」となっている。
こうした物価高を「家計が許容」とうっかり失言して黒田総裁が大批判を浴びたのは先月初旬のことだ。それから1カ月ほどで安倍氏は突然、非業の死を遂げた。まさに主を失った格好の「アベノミクス」だが、政策の名称はともかく、目指す目標である「持続的な経済成長」はどの政権でも共有できる普遍的なもので、岸田政権はそのまま継承するだろう。
「3本の矢」のバランス見直しを
ただし、課題として、「3本の矢」のバランスを見直すことが必要だ。具体的には、金融政策への過度な依存を改め、財政政策、成長戦略に比重をシフトさせる。これにより、円安にある程度のブレーキがかかる、と期待される。また、円安対策として「原発を再稼働し、原油高による貿易収支の悪化に歯止めをかける」(大手邦銀アナリスト)ことが望ましい。
さらに、新型コロナウイルス対策では「コロナとの共生を進め、インバウンドの取り込みを急いだ方がいい」(同)だろう。景気回復への期待が高まるほか、インバウンド復活による旅行収支の改善は「悪い円安」の抑制要因となる。「アベノミクス」のバランス見直し、原発再稼働、コロナ共生などで、家計がコストプッシュの物価高で受ける痛みが緩和するのは間違いない。