【京都市】中京区 「勤皇書家・森寛斎宅蹟」応挙の作風影響を持ちながら密使として討幕運動に参加した絵師
京都市の真ん中にある友達のお稽古場の近くに、とある石碑を見つけました。
「勤皇書家・森寛斎宅蹟」とあります。
森寛斎とは…日本の幕末から明治時代に京都を中心に活躍した絵師、日本画家。
森徹山(1775~1841)に師事し円山派の画法を学ぶ一方で討幕運動にも参加した人です。
長州藩士の父を持ち、若い頃には、自宅を勤王志士たちの密会の場として提供するなど、幕末の騒乱にも負けじと攘夷運動に熱中だったそう。
山縣有朋や品川弥二郎などとも交友があったそうですよ!
応挙の障壁画などを補修しつつ、その画技を学んだ森寛斎は、往年の作品には暖かみを感じさせる情緒的な物が多く「明治の応挙」と評されました。
1814-1894 江戸後期-明治時代の山口うまれの日本画家である森寛斎。
1855年の御所造営でに一鳳と共に参加し、寛斎は常御殿の杉戸絵に「帰去来」「赤壁」を描いたことで名前が知られるようになります。
森狙仙、森徹山、森一鳳・寛斎と続く森派の絵師として知られてますが、円山応挙の影響が見られる円山派としての作風に愛くるしさを感じます。
幕末には密使として長州と京都を行き来しながらも絵師として活躍した「森寛斎」が室町通りに居を構え、そこに幕末という京都の波乱の時代を感じざるをえませんね。
討幕運動・森寛斎宅蹟
京都市中京区室町通二条下る東側