凱旋門賞の日本馬の敗因は本当に『重い馬場』だったのか?
タルナワが抜けた存在と思えた理由
凱旋門賞(GⅠ)が終わって少し時間が経った。この間、観戦記を始め様々な人の意見が当方の耳にも入ってきた。そして、その多くで少々違和感を覚えた。どこになぜそう感じたのか。改めて凱旋門賞を振り返りつつ、そのあたりを記してみたい。
現地10月3日に行われた世界最高峰の大一番を制したのはトルカータータッソ。日本のクロノジェネシス(牝5歳、栗東・斉藤崇史厩舎)とディープボンド(牡4歳、栗東・大久保龍志厩舎)はそれぞれ7、14着に敗れた。
第100回となるメモリアルレースはハイレベルの混戦という下馬評だった。
しかし、個人的にはタルナワの一強だと思っていた。アイルランドの伯楽D・ウェルドが管理するこの5歳牝馬は昨夏からこの夏にかけて3つのGⅠを含む重賞5連勝。小回りコースをものともせず後方からケタ違いの末脚で勝利したブリーダーズCターフ(GⅠ)の2着以下はマジカル、チャンネルメーカー、ロードノース。この3頭だけでもGⅠを幾つ勝っているの?というメンバーだった。更に続く5着のモーグルをしてもこの直前にパリ大賞典(GⅠ)を、直後には香港ヴァーズ(GⅠ)をそれぞれ勝利しているように、間違いなくレベルの高いメンバー構成だった。
それ以外にも連勝中に破った相手はラービアー、ワンダフルトゥナイト、グランドグローリー、アルパインスター、アウダーリャ、タウキールら錚々たるメンバー。これらに圧勝、完勝の連続だった。また、直前の愛チャンピオンS(GⅠ)は2着だったが、不利を受けながらも中距離チャンピオンのセントマークスバシリカと僅差。競馬なので三段論法が必ずしも通じるとは考えていないが、これら戦ってきた相手を秤にかけると抜けた存在だと思えたのだ。
トルカータータッソを有力視出来なかった理由
そんな中、唯一比較が難しかったのがトルカータータッソだった。
この馬、デビュー以来、ドイツ以外で走った事がなかった。ゆえにドイツ馬以外とはほとんど対戦していなかった。そんな中、前々走のバイエルン大賞(GⅠ)では英国馬アルピニスタに完敗の2着。同馬は昨年のヨークシャーオークスでラブに5馬身突き放されての完敗をした馬だ。他にもインスウープやバーニーロイなど、他国からドイツに遠征してきた馬にはことごとく敗れていた。
また、競馬ぶりは毎度、直線で左へ行きたがる。とくに右回りだとそれが顕著でバイエルン大賞も大きくヨレているうちに勝ち馬に差を広げられた。更に相手の強化される凱旋門賞で、この走りぶりはディスアドバンテージになると私は思った。
前走のバーデン大賞(GⅠ)ではドイツダービー馬シスファハンを破っていたが、そもそもこのシスファハンのダービーは大駆けというレースぶり。3着以下のメンバーは威張れる実績を残せている馬ではなかったし、続くオイロパ賞(GⅠ)ではこの馬もまたアルピニスタに完敗し3着となっているのだ。
更にトルカータータッソは三走前にハンザ大賞(GⅡ)を勝っているのだが、この時の2着馬サニークイーンには昨年のバイエルン大賞(GⅠ)では敗れている。このサニークイーンが決してトップホースではない事を考慮するとやはり凱旋門賞での激走は考え辛かった。
他にも不安要素はあった。2011年のデインドリームを最後にドイツ馬はチンギスシークレット、イキートス、アイヴァンホウらが挑戦したがいずれも完敗。結果的にトルカータータッソが勝った事で「道悪でドイツ馬が浮上」と言う人もいたが、同様に時計のかかる馬場でも台頭出来なかったドイツ馬はいたのである。
ピーヒュレクという男
JRAプールでは単勝万馬券だったが、轅下の駒ではなかった事を自らの脚で証明したトルカータータッソ。1歳時には僅か2万4千ユーロ(約310万円)で取り引きされた馬だという。今回もいつも同様、直線で左へヨレる場面があった。しかし、そこから立て直すと鋭く伸び、先に抜け出しを計ったタルナワとハリケーンレーンをかわし、道悪としては珍しい接戦を制した。
騎乗したのはルネ・ピーヒュレク騎手。34歳の彼はパリから飛行機で1時間40分ほどのドイツ・ベルリン近郊にあるデッサウという町出身のドイツ人。トルカータータッソにはデビュー戦で騎乗。その後、しばらくタッグを組む事はなく、その間、昨年のバイエルン大賞(GⅠ)ではトルカータータッソを2着に破って自身初のGⅠ制覇を記録した。
また、レース前に某競馬雑誌には記していたのだが、アイヴァンホウとイトウがジャパンC(GⅠ)に出走した際、彼は調教ライダーとして来日。朝の調教をつけ、競馬当日はパドックで馬を曳いていた。
そしてこの両頭にレースで騎乗したのが日本でもお馴染みのフィリップ・ミナリク騎手。アイヴァンホウがバーデン大賞(GⅠ)を勝った際には最終追い切りでピーヒュレクが誘導馬に騎乗。レース後、ミナリクはその追い切りについて絶賛していた。
そのミナリクは昨年、落馬により大怪我を負い、1ケ月以上、生死の境を彷徨った。意識を戻した後、病院を見舞ったピーヒュレクにミナリクは告げた。
「自分はもう引退する。僕の目標だった凱旋門賞制覇は君に任せるよ」
そう言ってそれまで自分が使っていた鞍を1つ手渡した。ピーヒュレクは自身初の凱旋門賞騎乗となった今回、その鞍を使用。見事に自らとミナリク双方の夢をかなえる優勝劇を演じたのである。
果たして日本馬の敗因は重い馬場だったのか?
さて、今回のトルカータータッソの勝因について、37秒台の上がりがかかった馬場を取り上げる記事を多く見かけた。これはおそらくその通りだろう。
しかし、日本馬の敗因を『日本馬には厳しい馬場』と結論づけるのは少々乱暴に思えた。
この日のペネトロメーター(馬場に一定の圧力を加え、その貫入抵抗を数値化したもの)の数値は4・2。前年の4・6ほど柔い馬場ではないが、4年前の3・2と比べてもかなり軟弱な状態だったのは確かだ。
当然、道悪の巧拙は結果に影響しただろう。
しかし、クロノジェネシスとディープボンドが苦戦したのは果たしてこの馬場だけが問題だろうか? 上がりの37秒というラップは間違いなくスタミナ勝負といえる。しかし、このラップ自体は日本でも全くないわけではない。例えば今年、アリストテレスが勝ったアメリカジョッキーCC(GⅡ)もレース上がりは37秒9もかかっている。
そもそも凱旋門賞の約2時間後に行われたフォレ賞(GⅠ)では日本のエントシャイデン(牡6歳、栗東・矢作芳人厩舎)が見せ場充分の3着に好走している。日本ではGⅠ実績のない馬にもかかわらずGⅠで3着したのだ。ちなみにこのレースのスペースブルースの勝ち時計は1分22秒台。日本の1400メートルの重賞で道悪になった例としてはサウンドキアラが勝った昨年の京都牝馬S(GⅢ)などがあるが、当時の勝ち時計は1分23秒2。果たしてこの日のパリロンシャン競馬場は本当に“日本馬には厳しい馬場”だったのだろうか?
改めて敗因を探る
その上で改めてクロノジェネシスとディープボンドにおいて、馬場以外に敗因となり得る要素がなかったかを検証すると、残念ながらそれぞれヒットする項目がある。
例えばクロノジェネシスは6月の宝塚記念(GⅠ)以来の出走だったのだが、同じだけ間隔が開きながら凱旋門賞を勝った馬となると、ナント1950年まで遡らなくては出てこない。
日本馬に限っても3ケ月以上の休み明けで挑んだ例は今回のクロノジェネシスが7例目だが、結果はこれで(0-0-1-6)。あのディープインパクトの3位入線が唯一の好走だが、果たして最強馬と呼ばれる馬の3位入線というのは好走といえるだろうか。逆に日本馬が2着した4回の例は全てフォワ賞を叩かれていた事を考えると、もしかしたら馬場より臨戦過程の方が大きく影響したのかもしれない。
また、ディープボンドに関しては凱旋門賞で自身初のGⅠ制覇に挑んだわけだが、同様の立場だった日本調教馬は過去に3頭いて、結果は⑰⑯⑰着。この中にはオルフェーヴルの帯同馬として出走したアヴェンティーノ等の例もあるのでそれは惨敗も仕方ないにしても、GⅠ2勝以下の日本馬の成績は(0-1-0-18)。ナカヤマフェスタが唯一2着に好走したが、GⅠ3勝以上の馬の(0-3-1-4)と比較するとやはり馬場状態がどうであれ苦戦する可能性は高かったと思えるのだ。
データを打ち破る大駆けをする例は競馬には多々あるので、これらが敗因だと言い切る気はないし、挑戦しない事には始まらないから今回の陣営の挑戦を否定する気は毛頭ない。過去の例をあざ笑うような大仕事が出来るよう、応援はさせていただいた。
ただ、以前、当コラムで記したように欧州に於ける2400メートルというカテゴリーの層は厚い。これを制そうと思えばアリ一匹すら通す隙がないくらい言い訳出来ない条件を揃えないと難しいのだと思う。皮肉な事にエントシャイデンの好走が余計に2400メートル路線のレベルの高さを示すエビデンスとなったのではないだろうか。
余談だが以前のコラムを記した際「凱旋門賞馬がジャパンCで凡走しているから馬場適性はある」との反論もあったが、私は「馬場適性が必要以上に重要視されていると思う」と記したのであって、関係ないとは言っていない。その上で1つ付け加えると、凱旋門賞馬が同じ年内に次走を使い、それがGⅠだった場合、そこも勝った例は過去30年遡っても2018年のエネイブル1頭しかいない。世界最高峰と言われるレースを勝つほどに仕上げられた馬が、続けてGⅠを制すのは、たとえジャパンCでなくても至難の業なのである。
閑話休題。改めて結論を記させていただく。
今年に限らず凱旋門賞が終わる度に「日本馬が負けたのは厳しい馬場状態」と言われる。もちろん「敗因はそれではない」とは言う気はない。少なからず影響はあるだろう。しかし“馬場状態だけ”が敗因であるとは到底、思えないのである。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)