海外で起業する働き方~多国籍でグローバルベンチャーを生む~【薛悠司×倉重公太朗】(独立前編)
倉重:「倉重公太朗の労働法の正義を考えよう」の対談コーナーです。本日は、ベトナムからソルさんにお越しいただいています。まずは、自己紹介をお願いしていいでしょうか。
ソル:ソル・ユサと申します。今、「ベトナムから」とご紹介がありましたが、現在は、ベトナムのホーチミンに住居があります。そして在日韓国人として、大阪に生まれました。さらに、現状の居住地は、シンガポールになっています。分かりにくいですね(笑)。
倉重:確かに(笑)
ソル:シンガポール居住で、メインでビジネスをやっているのはベトナムですが、法は日本にもあります。ですので、今の過ごし方としては、シンガポール居住のベトナム40%、日本40%です。
倉重:なるほど。やられている会社が、EVOLABLE ASIAという、システム開発の会社を立ち上げられているのですね。
ソル:そうです。シンガポールの会社はホールディングスになっていまして、そこから日本もそうですし、海外のスタートアップなどに投資したり、新たに自社で、今のEVOLABLE ASIAとは別の資本で、スタートアップをやっていたりなどしています。
倉重:そうなのですか。一体いくつぐらい、事業をやっていらっしゃるのですか。
ソル:出資という意味で言いますと、多分、今はマイノリティー出資を含めて、15社ぐらいをやっていっている感じです。
倉重:すごいです。そのようなソルさんが、キャリアを通じる中で、これからの日本での働くことを、少し考えていきたいと思うのですが。
まず、大阪でお生まれになったというお話でしたので、大学を卒業するまでのところ、少し半生を振り返っていただきたいのですけれども。
ソル:僕が生まれたのは、大阪市の生野区です。どういうエリアかと言いますと、日本で、最も外国人居住率が高い行政区です。
倉重:在日の方ということになりますかね。
ソル:そうです、在日韓国人のルーツが非常に多くて、本当に、帰化している人や、ハーフなどを含めると、小学校などは3割ぐらい韓国人系というところで、かなり特殊な行政区に生まれました。
小学校まで公立で、そこでずっと育っていっていて、中学のときに受験をして、高槻中学校、高槻高校という、大阪にある私学の学校に行きました。それを卒業して、慶應義塾大学に進学して。
倉重:私と一緒ですね!
ソル:そうなのですね!それで、大学の時に東京へ出てきました。東京に行って、多分、大学の3年生のときに、友達とベンチャー企業を始めましたね。
倉重:もう学生の時に起業されたのですか。
ソル:そうです。
倉重:最初は何の事業を?
ソル:ちなみに、その事業パートナーが、今のEVOLABLE ASIAの代表をやっている吉村です。
倉重:そうなのですか。
ソル:彼がValcomという会社をつくって、「一緒にやらないか」と話があって、では、やろうと。一番初めなどは、阪神タイガースの缶コーヒーをつくる権利を、阪神タイガース球団から卸してもらってやりました。
倉重:ええ!すごい。
ソル:OEMで缶コーヒーをつくって。
倉重:そんな、いきなり阪神タイガースさんの許可が取れたのですか。
ソル:これが、それを仲介してくれる会社さんがあって。結局、ふたを開けてみると、一応、きちんと許可は取れているのですけれども、50%、50%で、その仲介した会社さんと、吉村さんが代表していた当時Valcom、僕もいた会社です、が権利を半分ずつ持っていて。半分ずつの権利なのですけれども、向こうのほうが優先権などを持っていて、その持分をほかの会社に売ってしまうという、謎の展開で。
倉重:ぐちゃぐちゃな感じですな。
ソル:そうです。ですので、結構、本当は1業種1ライセンスのような感じの契約だったのが、ほかの会社さんも、同じようなコーヒーを販売し始めて、結果、まったく売れないという。
倉重:では、それは、それほどうまくいかずという感じだったのですか。
ソル:それは、結果的には、一応、何とか売り切って、会社的には、損切してしまう案件だったと思うのですけれども、僕個人的には、フルコミッションで売った分の粗利を折半です。経費は全部、上持ちでいいというので、ですので、雇用関係ではない形で働いていました。
倉重:そうなんですね。
ソル:そういうようにして、1カ月で3~4万本ほど売ったのです。
倉重:3~4万本ですか。
ソル:はい。
倉重:それは、大学3年生のときですよね。
ソル:そうです、そうです。
倉重:それは、どうやって売ったのですか?普通の大学生の所業とは思えません。
ソル:そのときは、一番初めは、それこそどこに需要があるかと。いきなり、流通で卸などに持っていっても、なかなか相手にされないと思って。
倉重:そうですね。聞いたこともない会社ですし。
ソル:そうです、そうです。思い付いたのが、パチンコ屋さんの余り玉の景品として、置いてもらえるのではないかと。
倉重:なるほど、阪神ファンも多そうですし。
ソル:そうなのです。僕は、実家が大阪なので、夏休みぐらいだったので実家へ戻って、サンプル品を持って、パチンコ屋をとにかくひたすら回って。
倉重:回って、なるほど。
ソル:そうしたら、父親も在日なので、パチンコ屋さんも、結構、在日の方が多いので。
倉重:つながりもあった訳ですね。
ソル:それで紹介してもらったりなど。それで、ある程度、流通実績をつくった上で卸に持っていって。
倉重:なるほど、なるほど。
ソル:「こういうところで扱っているのですけれども」と言うと、卸の会社さんが、関西で展開している99円ショップのようなところに。
倉重:ありますね。
ソル:確か5ケースずつぐらい、全店舗に卸してくれる話になりました。それ以外の流通なども含めて、気付いたら、累計で3~4万本ぐらい売っていました。
倉重:それは、大学3年生にしてはとんでもなく凄いです。
ソル:そうなのです。ですので、僕個人としても、個人的にはフルコミッションで、半々の約束でやっていたので儲かったのですけれども、会社はまあ、まあ、損をしていたのでなんとも。
倉重:そうか。
ソル:そうなのです。ですので、この流れで、正式にこの事業ではなくて、流通事業もやっていくから、新たに雇用契約を結んでやらないかとの話で、いいよと。というので、次にやり始めたのが、オンライン旅行業でした。
倉重:システムから、もう全部立ち上げて?
ソル:そうです、そうです。
倉重:旅行の予約サイトということですか。
ソル:そうです。当時で言うと、まだ決済や予約の部分まで一括してやるよりも、要は、オンラインで情報を見て、電話で問い合わせをしてくるのが、マーケットの主流で。
倉重:2000年代初期のころですよね。
ソル:そうです、そうです。
倉重:エクスペディアなどもないときですかね。
ソル:ないです、ないです。だから、グローバルのOTAなども全然来ていなくて、そういうエージェントも乱立していました。なので、まだ「○○のホームページを見たのですけれども」と言って、電話がかかってきて、それを受けるかたちです。
倉重:そういうやりかただったんですね。
ソル:ウェブ制作のページもそうですし、HTMLで、僕は、コーダーなどは触れなかったのですけれども、中身の更新などは、手動でやらなければいけないところなどを、データ差し替えをやったりなど。
倉重:プログラムスキルはあったのですか?
ソル:ないので、丸暗記でこれをいじるときは、こことここの間の、これを、こうすれば良いのような感じでなんとか。
倉重:文系ですものね。
ソル:そうです。専門学校に行っているプログラマーの人、エンジニアの方にバイトで入ってもらって、つくりながら、一方では、かかってくる電話を受けるような状態でした。
倉重:それは、まだ大学3年ですか。
ソル:そうです大学3年から4年にかけてですね。
倉重:もう、大学の時点で2つの事業をやられているわけですね。
ソル:そうです。その後、自分の事業発案などで、学生にしかできなくて、それほど立ち上げコストがかからない事業はできないかと思いました。そのとき、学生の方に登録してもらうと、学生に役立ついろいろな情報がメアドに届きますのようなものをはじめました。オンラインでメアドなどの登録を取りにいくと、当然コストがかかるのですけれど、新歓の時期にやりましたね。
倉重:学校で。
ソル:とにかく人海戦術で、手書きで書いてもらうという。
倉重:超アナログな。
ソル:はい。逆に、それを配信する権利を、企業さん側に、1字に対して、いくらのような設定をして、先に受注しておいて、獲得を頑張るような感じでした。
倉重:そうか、慶應の学生が必ず見るとなれば売れそうですね。
ソル:そうです。そのときは、慶應以外も、全部含めてです。
倉重:慶應以外もですか。
ソル:それこそ、フルコミッションで後輩などに「やらないか」などと募って、一緒にやったりなどです。
倉重:すごいです。行動が大学生ではないですよね。
ソル:アルバイトが嫌いだったのです。時間で、自分の労働を切り売りすることが好きではなくて。
倉重:いわゆる、時給1,000円などのアルバイトは、一回もやったことはないのですか。
ソル:昔ありました。一番初めは塾講師ですね。1対1指導の。
倉重:個別指導のような。
ソル:はい、個別指導の塾のようなものを、大学の近くでやっていたのですけれども。
倉重:日吉でですか。
ソル:綱島などだったのですけれども、やっていて。その個別指導の子などに、普通に「きょうは何をしたいの」と言って、「きょうはあまりやる気がないです」と。「何をしたいの」「漫画を読みたいです」と言うから、「では、漫画を読みなよ」と言って。
倉重:駄目な先生ですね。
ソル:そうです。俺は少し別のことをしているから、漫画を読んでいて、質問があったら
どうぞ、ぐらいの感じでやっていたら、非常に怒られて。
倉重:それは、怒られますね。
ソル:そうなんですけどね、「個別指導で、無理やり勉強させても、より嫌いになるだけですよ」と言ってましたね、当時は。
倉重:何を語っているのだと。
ソル:「どうでもいいから、テキストをきちんと教えてください」のようなことを言われたりもしていたのですけれども、そういうこともやりつつ、あまり性に合いませんでした。とはいえ、仕送りだけではやっていけないので、バイトはちょこちょこやりつつだったのですが、フルコミッション系の仕事に出会って、そこからですね。
倉重:最初は、たまたまその友達から誘われて、そういった働き方を始めて。
ソル:そうです。だから、吉村と、先ほどのその缶コーヒーの事業をやる前に、ほかでもフルコミッションのようなことをやってました。
倉重:ちなみに、何をやっていたのですか。
ソル:本当にいろいろな、電話での営業獲得のようなものをやったりなどです。
倉重:そういうことが、自分にハマったのですね。
ソル:そうです。成果でやったら、やるだけが分かりやすいのと、時間価値で、同じものを並べられても、生産性が違うはずなのに、時給などは、大学生のバイトだとほぼ変わらないではないですか。業務内容でほぼ決まるという。パフォーマンスは、別に3倍やろうが、4倍やろうが、時給は変わらないと。だから、それはやはりモチベーションも上がらないし、しっくりこないと思っていたので、もう好んで、そういうことをやっていました。
倉重:なるほど。けれども、その後普通に、普通にといったらあれですけれども、就職はされたわけですよね。
ソル:そうです、そうです。当時は2択で、吉村と2人でやっていた事業がそれなりに収益化していきそうだとの見通しもあったのです。特に、オンライン旅行業のほうは、結構、毎月伸びていたので、残る手だてもあったし、彼自身もそれを望んでいたのですけれども、その一方で、この世界だけを見て判断していいのかとの想いがありました。
そもそも、僕は起業をどこかで、自分の資本でもやろうと思っていたので、その前に、もう少し違う角度から、世界を眺めるようなことがあってもいいかと思っていて。
だからそこまで真剣に考えていないときなどに、P&Gという会社から郵送物がおくられてきました。
倉重:昔はそうでしたね。
ソル:12月ぐらいに、一回、いわゆる紳士協定に入っていない外資なので、アメリカにインターンに行きませんかのようなものが来て。それは、日本で選抜して、選ばれたら行けますと。当時から、僕は結構、ある意味過剰気味に、自信を持つタイプだったので。
倉重:大学生などはなりがちです。
ソル:もう絶対いけると思って、アメリカへ行ったことがないし、タダで行けるし、何なら、それで良かったら就職すればいいのような感じで受けたら、見事、アメリカに呼ばれなくて。
倉重:呼ばれなかったんですね。
ソル:「神戸に来い」と言われて。
倉重:神戸ですか。
ソル:日本本社です。
倉重:そういうことですか。
ソル:そうです。「日本本社のインターンはどうですか」と言われて。
アメリカに行く気満々だったですけれども、神戸かと。でも、僕が当時付き合っていた女の子が、関西に住んでいたので。
倉重:これはまた、ちょうど良いですな(笑)。
ソル:そうなのです。交通費が出ますし、インターン中も結構、そこそこ給料をくれる感じだったので。
倉重:そうなのですね。
ソル:それならいいかと。滞在中は彼女に会えるし、吉村とも話して、「1週間弱ぐらい、抜けても大丈夫か」と言ったら、「何とか、多分、大丈夫だと思うから、行ってきたら」というので行って。話してみたら、結構、本当に、僕が行ったのはファイナンスです。P&Gは、セクション別の採用なのです。
ファイナンスの部門の方々だったのですけれども、1つ上や2つ上の人が面談してくれていたのです。端的に自分には持っていない観点や、優れていると思うところもあって、お世話になろうかと思っていたのですけれども、結局お断りされまして。
倉重:向こうからですか。
ソル:そうなのです。
倉重:あら、あら、あら。
ソル:P&Gは結構、面白くて。多分、採用基準のようなものを公表していて、この採用基準にのっとって、採用しますと。そのときに、非常に覚えているのは、ロジカルシンキングと協調性だったかと思うのですが、その協働性のところのスキルが、もう、ほぼないと。
倉重:初対面ですけれども、それはもう分かります。
ソル:インターンの内容自体が、4人か5人でチームをつくって、仮想のケーススタディーを出されて、それをディスカッションベースで、そのケーススタディーに対しての解を提案する、プレゼンするようなものだったのです。まず、そのディスカッションベースを、はき違えていて、全部、自分の意見を通そうとするという。
倉重:論破するわけですな。
ソル:そうです、そうです。4~5人でやっている意味が、もうゼロという。
倉重:なるほど、それは落ちますね(笑)。
ソル:それで、プレゼンも結構、ほぼ一人で話すような感じでした。
けれども、一瞬、そこで得たものは何かと言いますと、小さな会社で、自分でやるのもいいけれども、大きい会社で、自分よりもキャリアがある人たちと、一緒にやる経験は、これはこれで経験してもいいかもしれないと思ったんです。とはいえ、もうあまり長くこれをやり続けるイメージもなかったので、3年と、自分の中で限定しました。
倉重:もう最初から決めていたのですか。
ソル:そうです。だから、そのときに、全然これは論理的ではないのですけれども、何となくのイメージで、独立までの期間が早そうなことでベンチャーという軸と、あと商社系コンサルのような感じで、探していたのだと思うのです。まったく別軸で、リクルートは起業家が多いということで就職することにしました。
倉重:そうですね、独立する方が多いですものね。
ソル:というので、そのリクルートも受けていて。どの会社も、もう一次選考で、「僕は3年で辞めるつもりなのです」と言っていまして。
倉重:言っていたのですか。
ソル:言っていました。だから、選考が進むところも、もちろんあったりなどしていたのですけれども、僕はそのとき、仕事をしていながらだったので、逆に、「その時間帯だと面接に行けません」のようなことを言ったりしていて。「夜の7時以降でもいいですか」など、結構、勝手な就職活動をやっていまして。
倉重:中途採用の人のようですね。
ソル:それを一番、結構面白がって、最初に内定を出してくれたのが、リクルートという会社です。そのとき、もう先ほど言った、就活の時期と、先ほどの新入生向けの名簿獲得事業の、タイミングがほぼ同じなのです。
倉重:なるほど、そうですか、4月の最初の。
ソル:そう、そう、そちらも忙しいし、もうあまりちんたらやっている場合ではないと。
倉重:さっと決めようと。
ソル:そうです。どっちみち、別にほかにエントリーしているところも、何かロジックがあって、選んでいるわけでもないですし。
倉重:絶対、行きたいわけではないしと。
ソル:そうです。一番初めに意思決定してくれたし、3年も「どうぞ、どうぞ」という感じだったので。
倉重:そういう感じなのですね。
ソル:なので、お世話になることを決めてという感じです。それで、リクルートという会社に入社したのが、いわゆる、社会人1年目です。
倉重:そうですね。では、今までやっていた事業は、いったん辞めてとなるわけですね。
ソル:辞めて、です。余談ですけれども、吉村さんがそれをそのまま続けて、そのオンライン旅行業が発展していって、今のエアトリというブランドでやっています。
倉重:あぁ、そうなんですか!
ソル:はい。そしてEVOLABLE ASIAになっている感じです。
倉重:そういうことなのですか。
ソル:そうです、そうです。
倉重:本当に、学生で友達のベンチャーで始めたものが、もう大きなサービスになって。
ソル:そうです。
倉重:それをずっとやられていたのですね。
ソル:そうです。彼はそのまま、それを続けていっていて、という感じです。
なので、結局、でもそのときの縁で、今で言いますと、ベトナムへ行ってから、オフショア事業をやるときに、彼の会社と私の会社で、50、50で出資して、先ほども言っていた、オフショアのIT事業などは、そういう縁から、実は始めていたりするのです。
倉重:なるほど。学生時代のキャリアと今はつながっていますね。
ソル:日本でパートナーと思ったときに、パッと思い付いたのが、彼だったという。
倉重:それはそうです、一緒にやっていたわけですからね。そして、リクルートに一度、新卒で入られて。その最初の3年間は、どうでしたか。
ソル:もうとにかく、僕は入社式の日に、「僕は、全社で1位になります」と宣言しました。言っている方も、言われた人も、「全社で1位」とはそもそも何か分かっていないのですが。
倉重:何なのだと、何が1位なのかと。
ソル:そうです。よく分かっていないのですけれども、とにかくちんたらやりたくない、3年しかないのだからと。
倉重:もう3年以内にと決めていた訳ですからね。
ソル:はい。もう、リクルートは表彰制度などもあるので、1年目だと新人賞があるのですが、その新人賞などを狙っている場合ではないと。
倉重:新人の中で1番などではなくて、全社で1番を取ると。
ソル:そうです、そうです。
倉重:何の1番かは分からないけれども。
ソル:分からないのですけれども、「取りあえず、初年度で1番になります」ぐらい、元気良く入っていきました。とにかく、もう圧倒的に仕事の量をやろうと決めていて、あと、もう自負としては、一応、2年間僕はビジネスをやってきている、何なら、オーナーシップももっとやってきているから、リクルートにいる、ここにいる人たちは、リクルートという会社としては、先輩かもしれないけれども、誰一人、それほど、オーナーシップマインドをここまで持ってやってきている人は、なかなかいないだろうと思ってました。
倉重:そうですね。実際にご自分で事業をやられていたわけですから。
ソル:ええ、思っていたので、絶対負けないぐらいのモチベーションでやっていたのです。
倉重:担当していたのは、何だったのですか。
ソル:住宅です。当時の『住宅情報』という媒体で。
倉重:媒体ですか。
ソル:そうです。今の『SUUMO』です。それをやっていて、営業だったのですけれども、とにかく売るという感じだったのです。マンションデベロッパーさんの担当なので、売るといっても、新規がないのです。その当時、『住宅情報』は、ほぼ全部カバーしてましたから。
倉重:そうしたら、何を営業するのですか。
ソル:ルートセールスで、要は引き継いで、その会社さんとの取引をもっと増やすことが最初でした。とはいえもう何十年もやり続けてきている媒体なので。
倉重:そうですよね。今さら「増やせ」と言われてもと。
ソル:なので、とにかく、入り込まなければいけないと。
僕は、合っているかどうかは分からないですけれども、当時の上司から「まずはヒアリングだ」のようなことを言われていました。もちろん、その物件の情報や会社のステータスなどもそうなのですけれども、関係性で言うと、「何々会社さんの、何々という女性の担当の人がいるでしょう。あの人は、離婚して、今、子どもを育てていらっしゃる」と。その「なぜ離婚したかの理由を聞けるぐらいになれ」のような。それは意味があるのかと思うのですが。
倉重:なるほど、それぐらい近づけという意味ですね。
ソル:そうです、そうです。それは本当に意味があるのかと、いまだに思っているのですけれども。
倉重:とにかく、仲良くなれと。
ソル:とにかくしっかり入り込むという意味では、もうそれに時間を、それにと言いますか、関係性づくりなどを、基盤を強固にしていくのと、あとは、ロジックに非常にこだわっていたので、そのクライアントにとっての最適解を、クライアントでも気付いていないものを拾い出して、ご提案していくことにしました。ですので、その媒体全体の広告戦略計画などを、リクルートの予算ではなく、クライアントの全体予算を聞いて。
倉重:その会社の予算ですか。
ソル:そうです。もう一回、最適化されていくような、再プランニングを一緒にやっていったりなどしていました。
倉重:コンサルですね。
ソル:そうですね。また、その訴求情報などを、情報がターゲットに対してずれているのではないかと、リクルートが持っているその分析データなどと照合させて。「そのエリアと、このマンションをターゲットで言うと、今は、例えば2人暮らしの家庭に訴求しているけれども、このエリアのこのプランだったら、3人の子どもが1人いるぐらいの家庭のほうが良いのではないですか」と。結果として、訴求ポイントとしたら、例えば同じお風呂をアピールするときでも、子どもが小さいことを想定したら、入っているときに気持ちよいよりも、いかに子どもを、一緒にお風呂に入れやすいかなどの観点に、切り口を変えましょうなどと。
倉重:1年目からすごいです。
ソル:そうです。だから、そういう理屈をやらすと、結構うまかったのです。
倉重:なるほど、なるほど。
ソル:そうやりつつ、でも、僕は割と泥臭いやり方もをやってきているので。
倉重:とにかく物量ですね
ソル:とにかく、土日に行くと喜ばれるだろう、という感じです。マンションの販売会社は、土日が忙しいのです。
倉重:そうでしょう。
ソル:ですので、毎土日は勝手に出て、差し入れを持って。
倉重:お客さんのところへ行って。
ソル:例えば、「何か手伝えることはないですか」などと言って。
倉重:すごいです。
ソル:スリッパをそろえていたり、あと、もう本当にいわゆる投函(とうかん)作業です。ビラなどを投函するようなことを、もうアウトソーシングするお金もないぐらい、予算が絞られている物件などでいうと、結構、暇な、空いている時間に、そこの販売会社の方が行ったりするので、僕も手伝いますと。
倉重:それは喜ばれそうですね。一緒に、内職のような作業をしていたわけですね。
ソル:そうです、そうです。あと、ティッシュ配りに行ったりなどです。
倉重:すごいです。それは、誰に言われるまでもなく、自分でそう判断してやったのですか?
ソル:そうです。だから、結局そういうことをいとっていると、なかなか、やはり先ほどの関係性構築もうまくいかないですし。だから、リクルートなどは、そういう本当か、うそか分からないような泥臭い逸話は、結構社内にたくさんあります。
倉重:クライアントと一緒に封筒の詰め作業をするなどは、意外と、仲良くなりそうです。
ソル:そうです、そして、その後、飲みに行くかとなります。
倉重:なりますよね。
ソル:結構、年齢が、割と10歳以内など、近い方だったので、連れて行ってもらえますし、特にそのロジックで意見を言っていくときに、ともすると、若いと、もう上から何を言ってきているのですかという話になります。
倉重:ロジカルだけれども、泥臭くという両輪ですね。
ソル:広告や情報を扱う媒体でやっているので、何十万円を払ってもらったけれども、効果はゼロなどが、あるわけです。
倉重:それはあるでしょう。
ソル:そのときに、でも、クライアントに1年目のときに言われて、非常にうれしかったのは、「いや、俺が納得して、決めて、発注して、その結果がこうだったのだから、自分を責める必要はない」と言われまして。
倉重:それは、広告効果が無いということで謝りに行ったわけですね。
ソル:そうです。「結果が出なくて、すみません」と言いに行っているときなどでも、そういうことを言ってもらって。そこから、より自分の行動などに対して、もっと一生懸命頑張ろうとなりましたし、頑張った結果に対して、どうであれ、一度は受け入れて、また次に、一緒に頑張ろうと思うわけです。
倉重:そうですね。大事なのは、お客さんの納得感ですから。
ソル:そうです、そうです。だから、広告などを打っていたときも、非常に言っていたのは、「広告は、効果を売るものではないです」と。一義的に言うと、効果期待値を売るものですと。というのは、成果報酬系の広告でない限りは、その買う段階においては、期待値しか存在しないわけではないですか。
倉重:それはそうですね。販売時点では存在しないものを売っているわけですから。
ソル:ほとんどリクルートは、もう当時は、成果報酬系の媒体、住宅は一つもなかったので、となると、すべての取引は効果期待値によってつくるので。
倉重:そうですね。
ソル:本質的な効果はどう積み上げるのか、プラス、お客さんにその効果、自分が積み上げられると思う効果に対して、効果期待値を形成していくかという、その2つに非常にこだわってやっていました。最初はもう本当に、特に期待値づくりのところなどは、10年選手の人に比べたら、もちろん関係性がないので、とにかく時間で埋めるような感じでした。
倉重:圧倒的物量ですね。
ソル:そうです。それは、2年ぐらいはずっとそういう生活をしていました。
倉重:すごいです。
ソル:ただ、遊ぶときは遊ぶと決めていて、大体、平日はほぼ終電間際ぐらい、もしくは終電後くらいまでやって、金曜日の夜12時を超えた瞬間に、遊びにいくという。朝まで遊んで、土曜日は昼まで寝て、また昼から仕事をして。
倉重:金夜と、土夜だけは遊ぶと。
ソル:そうです、そうです。また日曜日の昼ぐらいまで寝て、日曜日にまた昼から出て。それがたまたま、業態的に、マンションは先ほど言ったように、販売業者さまは土日に出ているので。
倉重:そうか、ちょうどマッチしたわけですね。
ソル:そうです。とにかく数をやってという働き方をしていたら、ある程度、結果が出ました。2年目ぐらいに前任者の3倍や、4倍の利益ができたり。
倉重:すごいです。その入社式で宣言したナンバーワンも?
ソル:ナンバーワンというカテゴリーはなかったのですけれども、一応、その入社3年目のときに、部署としての、全社でのMVPのようなものをいただいて。
倉重:すごいです。全社MVPですか。
ソル:そうです。
倉重:もうナンバーワンのようなものではないですか。3年以内にナンバーワンは、もう宣言どおりではないですか。
ソル:そのときに、ちょうどリーマンショック前ぐらいでした。
倉重:2007年や、8年などですか。
ソル:そうです、そうです。辞めようと思っていたのですけれども、住宅が、本当にそのとき、非常に下がり出していて。やはり、リーマンショック前ぐらいに、もう値段が上がりすぎていて、明らかに売れ行きが渋っている、そうなってくると、売れないので、広告の予算を使い果たして、シュリンクしていくという。
倉重:企業も広告費を差し控えるとなりますよね。
ソル:結構、なってきていて。勝手に、この大変な状況の中に、また自信過剰気味なので、この事業部のエースが抜けると、会社はとても困るだろうと思って。今抜けると、男がすたるぐらいの感じで、勝手に、自分の中でドラマを作っていました。
倉重:意気に感じてしまって。
ソル:そうです、そうです。もう少し、この時期を脱してからと思っていたら、さらに、業界はリーマンショックを受けて悪くなり、取引先がバンバンつぶれるような状態です。
倉重:そのころは、どうしようもなくなりますよね。
ソル:ちょうど、僕はずっと配属が大阪だったのですが「東京に来い」という辞令が出ました。東京へ行って、状況や環境も変わってという中で、ちょうどリーマンショック直後ぐらいで、非常に、結構大変なときに重要なクライアントさんを対応させてもらってなどで、辞めるに辞められないような状態をやっていて、結果としては5年9カ月リクルートにいました。
そこを、なぜ辞めたのという話で言いますと、もう、さすがに5年目が終わるぐらいに、そろそろ次を考えようと思ったのです。
対談協力:薛悠司(ソル・ユサ)
慶應義塾大学法学部卒。
大学在学中に有限会社Valcomの創業メンバーとして参加。
2005年株式会社リクルート入社。
2011年ベトナムに移住し、Soltec Vietnam Companyを創業。
同年Evolable Asia Co.,Ltd.を創業。
2015年シンガポールにSoltec Investment Pte.,Ltd.を設立。
アエラ紙の「アジアを代表する日本人起業家100人」に選出される。
2018年シンガポールにC2C Pte.,Ltd.を創業。
現在約1500名の事業統括をしながら、C2Cシステムプラットフォーム事業でのスタートアップを手がける。
また自己資金でのベンチャー投資も行っている。