欧州の未来は7児の母に委ねられた 独仏の女性ツートップ誕生でトランプ米大統領との距離さらに開く恐れ
「欧州の超連邦主義者」
[ロンドン発]「欧州連合(EU)は次の欧州委員長に『欧州合衆国』を目指す超連邦主義者を選んだ」「ドイツ人のユーロ連邦主義者は欧州軍を持つことを望んでいる」(発行部数約130万部の英大衆紙サン)
「ブレグジット(英国のEU離脱)を『うわべだけの約束の、破裂したバブル』と呼んだウルズラ・フォンデアライエンがブリュッセルを率いる初の女性になる」(強硬離脱派の英紙デーリー・テレグラフ)
3日間に及んだEU臨時首脳会議は2日、EU法の提案権を持つ行政執行機関の欧州委員会トップ(欧州委員長)にドイツのフォンデアライエン国防相(60)を指名しました。事前に名前が出ていなかったのでビックリしました。
初の女性委員長、しかもドイツ人の指名は欧州経済共同体(EEC)のヴァルター・ハルシュタイン初代委員長以来61年ぶりです。
欧州議会は7月半ばにも採決しますが、どの会派もフォンデアライエン氏を推してなかったため「首脳が密室で決めた」「議会軽視だ」と不満の声が上がっています。
単一通貨ユーロの番人、欧州中央銀行(ECB)総裁候補には、元フランス経済・財政・産業相で国際通貨基金(IMF)のクリスティーヌ・ラガルド専務理事(63)を選びました。これは実績を見ると手堅い人事です。
ラガルド氏は『日経xwoman』の羽生祥子総編集長のインタビューに、日本企業の男性経営者についてこう語っています。
「男女平等が重要でないとまだ理解できていない、そういった企業幹部の男性たちを私は“洗脳”したいですね」
日本の未来のためにも是非「洗脳」してほしいものです。
米国や英国とは違う道を行く欧州
EUはブレグジットに加え、ユーロ圏の低インフレ・低成長という債務危機の後遺症、米国との貿易戦争、対中関係と問題山積みです。
欧州議会に不満がくすぶっていても人事がひっくり返ることはまずないでしょう。11月1日に正式に就任すれば独仏枢軸の女性トップが欧州を率いることになります。
女性を軽く扱う言動が目立つドナルド・トランプ米大統領と欧州は異なる道を行くという強烈なメッセージになります。
この日招集された欧州議会の本会議で、英国の「合意なき離脱」を唱える新党ブレグジット党の議員29人が欧州歌「歓喜の歌」が唱われている最中に背を向けるパフォーマンスを見せました。
英国と欧州の溝も広がっています。2005年からメルケル政権下で閣僚を務めるアンゲラ・メルケル独首相の子飼い、フォンデアライエン氏が「合意なき離脱」派に妥協することはあり得ないでしょう。
13年にドイツ初の女性国防相に就任。政策を巡って衝突を恐れないフォンデアライエン氏の政治手法は、調整型のメルケル首相とは正反対。女性役員の割り当て制を強硬に主張して党(キリスト教民主同盟=CDU)と対立。独自路線を貫くことから「ソリスト」と批判されることもあります。
7児の母親で元医師
フォンデアライエン氏の父親はニーダーザクセン州首相(CDU)だったエルンスト・アルブレヒト氏。1958年ブリュッセル生まれ。独ゲッティンゲン大学や英ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で経済学を学びますが、医学を志し、独ハノーファー医科大学に進みます。
ハノーファー大学病院産婦人科に勤務。そして結婚。米スタンフォード大学の研究員となった夫とともに4年間渡米したことがある、英語にもフランス語にも堪能な国際派です。
30代初めCDUに入党。40代になってから活発に活動を始め、2003年にニーダーザクセン州議会選に当選、同州政府の社会・女性・家族・衛生相に抜擢され、メディアの注目を集めます。05年メルケル氏の「専門チーム」に指名されます。
ドイツでは「女性は教会、台所、子供を大切にすべきだ」という保守的な考え方が根強く残っています。女性が家庭と仕事の「両立」ではなく、どちらかを選択せざるを得ない空気を醸し出しています。
7児の母であるフォンデアライエン氏は保守的なドイツの中でもさらに保守的な政党CDUの中で、子育てとキャリアを見事に両立させています。
動物とたわむれる9人家族の写真をメディアに提供して「子供をダシにしている」と批判されたり、「役所の秘書をお手伝いとして使っている」とたたかれたりしたこともあります。
「ブレグジットは止められない」
昨年2月、フォンデアライエン氏は母校のLSEを訪れ、「残念だけど、ブレグジットは止められそうにないわね」と言って、英国の学生や欧州大陸からの留学生を苦笑いさせました。
講演ではナチス・ドイツを撃破したウィンストン・チャーチル英首相が1946年、「私たちは欧州合衆国を築き上げなければならない。フランスとドイツのパートナーシップがその第一歩になる」と宣言した有名な演説を引用しました。
フォンデアライエン氏はこれまでにも「私のゴールはスイスやドイツ、米国の連邦制国家をモデルにした欧州合衆国」「欧州軍は子供や孫の世代には現実になっているかもしれないビジョン。主権国家のもと欧州は国防軍を維持しながらより良い協調を深めている」と明言しています。
日本と同様、戦後、軍事や安全保障への積極的なかかわりを避けてきたドイツも、欧州も大きな転換点を迎えています。トランプ大統領からは「北大西洋条約機構(NATO)は時代遅れ。欧州加盟国はもっと負担を」と突き上げられています。
このため、メルケル首相は「私たちが他国に完全に頼れる時代はある程度、終わった。欧州は真に自らの運命を私たちの手に取り戻さなければならない」と欧州の自立を唱えました。
ドイツでも独自核の議論
EUが、兵器の共同開発・調達、域外派兵や訓練を通じて防衛協力を強化する新機構「常設軍事協力枠組み」(PESCO)を設けたのもその流れの中にあります。
ドイツ国内では米軍の戦術核(地理的に使用範囲が限られている核兵器)に頼るのではなく、独自の核抑止力を保有すべきだという過激な意見も飛び出すようになりました。
ドイツは核兵器を搭載できる英国、旧西ドイツ、イタリアが協同開発した多用途攻撃機トーネード85機を実戦配備しています。トーネードの後継機候補から核搭載可能な米国製の最新鋭ステルス戦闘機F35を外しました。
これに対して米国サイドからNATOの一体性を高める動きに逆行しているという批判が上がっています。
米軍と戦術核のプレゼンスは今も欧州の外交・安全保障の根幹をなしています。米国とドイツの不協和音の渦中にいたフォンデアライエン氏が欧州委員長に指名されたことは欧州と米国の距離が確実に開いていることを如実に物語っています。
(おわり)