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22歳の新人記者は切り捨てられたのか 学長選考会議を取材中に逮捕されるという日本の「常識」を問う

木村正人在英国際ジャーナリスト
取材中の新人記者が逮捕された問題で社内調査結果を発表した北海道新聞社(写真:アフロ)

「新人記者の切り捨て」というSNS上の批判

[ロンドン発]国立大学法人の旭川医科大学(北海道旭川市)で学長解任問題を取材中の北海道新聞の新人女性記者(22)が建造物侵入容疑で大学職員に現行犯逮捕された事件で、同新聞社が7日付朝刊に掲載した社内調査結果に対してソーシャルメディア上で「新人記者の切り捨て」という批判が寄せられました。

筆者は2012年まで産経新聞に28年間勤め、前半の16年間は神戸や大阪で事件記者をしていました。そのうち3年間は大阪府警担当キャップでした。新聞記者の仕事は警察や消防、医療と同じで社会にとってなくてはならないインフラと今でも信じていますが、犠牲者の実名報道や行き過ぎた被災地取材に厳しい目が注がれています。

新聞記者は「忍者」のような仕事で、筆者も現役時代、テレビ時代劇『大江戸捜査網』の心得之条「死して屍(しかばね)拾う者無し」を何度も胸の中で噛みしめました。記者は塀の上を歩かないことには仕事になりません。しかし世の中には落とし穴がいっぱいあるので「ミイラ取りがミイラになってしまう」ことが少なくありません。

旭川医大では新人記者が逮捕された6月22日、学長選考会議で学長の解任問題が議論されていました。新型コロナウイルス患者受け入れを巡る不適切発言や市立病院からの高額報酬、パワハラが問題になっていた吉田晃敏学長が17日、辞任を表明したばかりでした。北海道新聞の社内調査報告からポイントを見ておきましょう。

常人逮捕までの経過

・午後3時50分ごろ、旭川医大は報道各社にファクスで「会議終了後の午後6時に中央玄関前で記者団の取材に応じる」と通知。コロナ感染防止のため構内への立ち入りを禁止

・報道部は現場キャップら3人にメールで知らせるも、現場にいることを把握していなかった新人記者への連絡は漏れる

・午後4時ごろ、キャップは新人記者に校舎内に入って出席者が通る可能性のある2階付近の廊下で待つよう指示。キャップは「これまでも入構禁止になっていたが、慣例的に自由に立ち入って取材していたため、入らせた」と判断

・午後4時25分ごろ、新人記者は会議が行われている可能性がある4階に向かうよう指示された

・新人記者は会議が行われているとみられる部屋を見つけてスマホで録音

・数分後、会議室から出てきた職員に見つかる。あいまいな返答を繰り返し、職員に常人逮捕される。新人記者は24日に釈放され、在宅で捜査

コロナの軽症患者を受け入れなかった学長

昨年11月、クラスターが発生した旭川市内の病院について、吉田学長が学内の会議で「コロナを完全になくすためには、あの病院が完全になくなるしかない」と発言、またコロナ軽症患者受け入れの許可を求めた大学病院の院長に「代わりにお前がやめろ」と迫った経緯を考えると、学長選考会議に自浄作用を期待できるのか踏み込んだ取材は不可欠でしょう。

キャップに「慣例的に自由に立ち入って取材していた」という思い込みがあったとしても、試用期間も過ぎていない新人記者に塀の上を歩くような取材を命じたのは大きな誤りだったと言わざるを得ません。いくらオン・ザ・ジョブ・トレーニングでも試用期間中の新人記者には簡易な事故や催し、暇だね(話題もの)取材が関の山です。

キャップもまさか国立大学法人の取材で記者が大学職員に常人逮捕され、警察で48時間も拘束されるとは夢にも思っていなかったのでしょう。北海道新聞の小林亨編集局長は「旭川医大の取材対応は十分とは言い難いものがあった」とした上で「取材の状況を検証する限り反省すべき点もあり、取材部門を統括する責任者として重く受け止める」と表明しました。

最高裁「報道機関も特権を有していない」

1971年の沖縄返還協定を巡って取材上知り得た機密情報を国会議員に漏洩した毎日新聞政治部記者が国家公務員法違反で有罪となった西山事件で、最高裁は次のような基準を示しています。

「報道機関といえども、取材に関し他人の権利・自由を不当に侵害することのできる特権を有するものでないことはいうまでもなく、取材の手段・方法が贈賄、脅迫、強要等の一般の刑罰法令に触れる行為を伴う場合は勿論、その手段・方法が一般の刑罰法令に触れないものであっても、取材対象者の個人としての人格の尊厳を著しく蹂躙する等法秩序全体の精神に照らし社会観念上是認することのできない態様のものである場合にも、正当な取材活動の範囲を逸脱し違法性を帯びるものといわなければならない」

毎日新聞記者の取材方法について、最高裁は「当初から秘密文書を入手するための手段として利用する意図で外務事務官の女性と肉体関係を持ち、依頼を拒み難い心理状態に陥ったことに乗じて秘密文書を持ち出させたが、利用する必要がなくなるや、関係を消滅させその後は顧みなくなった」と批判しています。

新聞記者の仕事はほとんどすべてと言っていいほど、国家公務員などの守秘義務に違反しているので、最高裁判決は司法判断の基準を示したとしても、自由民主主義社会において絶対的に正しいとは筆者は思いません。しかし「取材上知り得た機密情報を国会議員に漏洩した」ことには大きな問題があったのではないでしょうか。

隠し録音記者を退社処分にした朝日新聞

隠し録音については1981年の「ニューオータニ盗聴事件」が有名です。鹿島建設副社長が日本土木工業協会の理事を中心にした勉強会の会場に到着すると見知らぬ男が座っていました。男は「朝日の社会部だが、名刺は車に忘れたから取ってくる」と答え、そのまま姿をくらましました。机の裏に超小型盗聴器が仕掛けられていました。

朝日新聞の編集委員が警察に出頭して退社処分になり、朝日新聞は「おわび」の社告を出しました。2004年にも朝日新聞の記者が取材相手との約束を破ってやりとりを録音し、録音を別の取材相手に渡す事件が起きています。それまで調査報道で実績のあった記者は退社処分になりました。

朝日新聞の社説は「いくら『取材のため』といっても、ルール違反を正当化することができないのは当然のことである」と自らを戒めています。しかし後々言った、言わないが問題になることが多い取材では相手の同意が得られていない場合でも、録音することを全面的に否定するのは難しいのではないでしょうか。

組織が必ず記者個人を守ってくれるとは限りません。イギリスでは公益が認められる場合、オトリ取材や隠し撮り、隠し録音の内容を報道することが認められています。権力や大企業の不正を暴くための手段をメディアに認めているのです。

最近では黒川弘務元東京高検検事長が産経新聞の記者2人と朝日新聞の記者だった社員1人と賭けマージャンをした問題で、賭博の罪で略式命令を受け、罰金20万円を納付しました。朝日新聞は社員を停職1カ月の懲戒処分に、産経新聞も記者2人を出勤停止(停職)4週間にしました。

筆者が心掛けていた3カ条

新聞記者は情報源を守るためには刑務所に行くこともある仕事です。筆者が新聞記者時代に心がけていた3カ条は次の通りです。

・情報源は秘匿する

・取材先からの金品、接待の提供は受けない

・取材したことは事実を確認した上で必ず書く

筆者は新人時代、警察署の刑事に「特ダネをやるから、この風俗店に行って来い」と言われたことがあります。これはニセ調書を作って摘発する警察の常套手段でした。世間知らずの筆者もさすがに怪しいと思って、話題を変えました。当直の暴力団担当刑事に組員が特上スシをこっそり差し入れに来るのも日常の風景でした。

大学病院の医療過誤で体内にガーゼを置き忘れる事件をスクープした時は弁護士会の副会長に「ネタ元を徹底的に調べ上げて仕事をできないようにしてやる」と脅されたり、大阪府警担当のキャップ時代は府警の監察室長から「お前も無事にサラリーマン人生を送りたかったら大人しくしとけや」と恫喝されたりしました。

大阪国税局を担当している時はよく「君の会社に税務調査が入っても知らないよ」と言われました。検察官からは「君のことは起訴するよ。今どこまで上にのぼるか検討しているところだよ」と通告されたこともあります。しかし、戦争や報道管制を知っている世代が残っていたので、さすがに逮捕されることはありませんでした。

警察はなぜ48時間も女性新人記者を拘束したのか

驚かされるのは新人記者を常人逮捕して警察に突き出した大学側と、取材していたのは明らかなのに48時間も22歳の新人記者を拘束した警察です。学長選考会議は6月28日記者会見し、萩生田光一文科相に吉田学長の解任を申し出たことを発表。大学病院の病院長を含む教職員へのパワハラなど34件の職務上の義務違反などを挙げました。

新人記者が逮捕されるきっかけになった学長選考会議はそもそも公開の場で開かれるべきではなかったのでしょうか。目に余る吉田学長の専横は大学の閉鎖性が産み落としたもので、それを黙認してきたかたちの学長選考会議にも透明性が求められていました。

それにしても生活安全特別捜査隊班長が覚醒剤取締法などで有罪になった稲葉事件や裏金事件の報道を巡る北海道新聞と北海道警察の確執は今も続いているのかと疑いたくなる事件です。筆者は逮捕された22歳の女性新人記者のガッツをほめる一方で、現場キャップを叱り飛ばしたいと思いました。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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