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【図解】小学校英語になぜ予算がつかないのか

寺沢拓敬言語社会学者

先日以下の記事を書いたところ、おかげさまでだいぶ話題になった。

小学校英語は労働問題(寺沢拓敬) - 個人 - Yahoo!ニュース

これは実は予想外だった。

前回の記事でも「小学校英語論争では労働問題の側面にあまり注目が集まらない」と書いていたとおり、マイナーな論点だと思っていたからだ。

近年、教育現場の「ブラック」な側面に注目が集まりはじめているのもその一因だろうか。

予算はあればあるほど良い。だが・・・

小学校英語が労働問題である理由を再度おさらいすると以下の通り。

「新たな教育施策を始めるにあたって必要なコスト」を財政的な裏付けではなく、担任の努力、学校関係者の負担に依存しているというのが今回の必修化・教科化の重要な点である。

つまり、まったく新しい教科を入れようとしているのに予算がつかないのが根本原因である。

それはなぜか。

当然ながら、予算はつけばつくほど良いことである。それはみんなわかっている。しかしなぜ予算は下りてこないのか。

関係者個々の合理性は、全体の合理性にはつながらない

この状況を考えるうえで、単一の悪玉を想定してそれがすべての元凶だと批判するのはあまり好ましくない。

文科省の役人であれ財界であれ財務省であれ小学校英語推進派・御用学者であれ、教育に対して「それ相応の」情熱を持って仕事に当たっている。しかしながら、その局所的善意が全体的合理性に繋がらないというところが教育政策の(というか公共政策の)複雑な点なのだ。

(したがって、ここの「好ましくない」というのは、「みんな頑張っているのに批判したらだめだよ!」などといった道徳的な意味ではまったくない。念のため)

このように「個人個人にとって合理的なことが積み重なった結果、集団全体にとってきわめて不合理な結果になる」という現象はしばしばあり、「合成の誤謬」という名前もついている(ただし、誤謬というよりパラドクスのほうが正確だろうが)。

ここで、小学校英語をめぐる「合成の誤謬」を図解してみた。

画像

この図を簡単に解説すると以下の通り。

財界・政治家・一般市民

比較的教育政策と関与が薄い人々であっても、ふつう「英語教育がめちゃくちゃにな~れ!」なんてことは思っていない。

むしろよい教育になって欲しいと願っている人々が大多数。

しかし、相対的に知識が少なく、また関心事は「英語教育」だけではない。

したがって、「良い英語教育とは何か」を考えることに割けるリソースは少なくなってしまう。

財務省

「何が何でも教育予算は削って、現場を締め上げてやる」と思っているはずがない。しかし、「適正な予算配分」が至上命題である以上、予算はできるだけ切り詰めたい。

もし新たな予算をつけなくても小学校英語が回りそうという感触を得たなら、どんどんそこをプッシュしていく。

文科省

出向という形で大なり小なり教育現場を経験している職員も多いわけで、現場をこき使ってやろうなどとは思っていない人が多数。

予算もできるだけたくさん獲得したい(財務省と違い、予算が獲得できればできるほど文科省的には御の字)。

新しい予算を獲得するうえで新規施策(つまり小学校英語のような改革)が欠かせない。

同時に、予算縮小という現実もあり、「限られたリソースでどうすればうまく回せるか」を考えることもせざるを得ない。

支援者・研究者

予算がない・経験者が少ないといった限られたリソースの状況で、現場を少しでも助けたいと考える支援者や研究者、さらには教育企業も多い。

支援者としては支援するからには成果を出したい。

しかし、ひとたび成果が出ると、それは「予算がなくても問題ない」という証拠になってしまう。財務省が「ほら、予算つけなくても大丈夫でしょ」と判断してしまいかねない。また、文科省的には、「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」とばかりに、そうした成功事例をピックアップして全国に広めようということになる。

小学校教育現場

結局、リソースが限られたまま、新規施策が導入される。

その結果、リソース不足は現場の教員の自己負担で補完される。

よく「○○さんだって頑張ってる」「××さんは教育に詳しいし、とても賢い」と特定のアクターを擁護するひとがいる。(○○・××には文科省とか役人の名前とか御用学者の名前などをお好みで入れて下さい)

しかし、「合成の誤謬」という視点で現象を見ると、それが何の擁護にもなっていないことがわかるはずである。

実際には、そこそこの善意、そこそこの優秀さなど、全体的不合理性の前では寝ているのと同じだからである。

言語社会学者

関西学院大学社会学部准教授。博士(学術)。言語(とくに英語)に関する人々の行動・態度や教育制度について、統計や史料を駆使して研究している。著書に、『小学校英語のジレンマ』(岩波新書、2020年)、『「日本人」と英語の社会学』(研究社、2015年)、『「なんで英語やるの?」の戦後史』(研究社、2014年)などがある。

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