日本に空中神殿が存在した証拠?出雲大社から発見された3本1組の柱とは
縁結びの神社として全国的に知られている、島根県出雲市を代表する観光名所「出雲大社」。
そんな出雲大社で、1999年に発掘調査が行われています。そこで、直径1.3メートルの木材3本を1組にした巨大な柱「宇豆柱」が発見されたのはご存じでしょうか。
この宇豆柱は、地上96mに存在した空中神殿を支えたものだと推測されています。
一体どういうことでしょうか。見ていきましょう。
ことのはじまり
まずは、宇豆柱が発見されるキッカケとなった、1999年の発掘調査がどうして行われたのかを説明します。
古くから出雲大社の周辺には多数の古墳が存在しており、1984年と1996年に出雲大社境内から銅剣や銅鐸、銅矛などが大量に出土。このことがキッカケとなり、1999年から出雲大社では大規模な発掘調査が行われました。
そして、2000年に発見されたのが「宇豆柱」です。
宇豆柱が発見された当初、この巨大な柱がどんな役割を担っていたのか不明でした。
しかし、その解明の糸口は平安時代の教科書にあったのです。
空中神殿の存在を示唆する教科書
宇豆柱が空中神殿を支えたものだと推測されることとなったのは、平安時代に貴族の子供が教科書として使用していた「口遊」の記述です。
「口遊」には、「雲太、和二、京三」という記述があり、「出雲大社が最も大きく、次いで奈良の大仏殿、3番目に京都の大極殿」と当時の大型建造物を示したものだということが分かっています。
しかし、現在の出雲大社本殿の高さが「約24m」なのに対して、大仏殿の高さは「約49m」。
20m以上もの差がある建造物の大きさを間違えることは考えにくいということ、そしてのちに発見された宇豆柱により、地上96mの空中神殿が存在したと推測されることとなります。
都市伝説が事実になる瞬間
近年になって現実味を帯びてきた空中神殿ですが、宇豆柱が発見されるまでは「当時の技術力では不可能」だと否定され、都市伝説として扱われてきました。
それもそのはず。
現在は約24mの出雲大社本殿が、古代では約4倍にあたる「約96m」もの巨大神殿だったというのですから。
出雲大社本殿の裏にある「八雲山」の標高は約100m。
その八雲山と、ほとんど同じ高さの建物が平安時代に存在したというのは、たしかに信じがたい話でしょう。
ところが、「宇豆柱」の発見により状況が一変します。
発見当初は役割が不明だった巨大な柱「宇豆柱」ですが、平安時代の教科書・口遊に残された記述や出雲大社にまつわる都市伝説から、現在では空中神殿を支える柱だったのではないかと考えられるようになったのです。
まだまだ解明されていないことが多く研究段階ではありますが、今後もワクワクするようなロマンあふれる史実が発表されることを期待したいものですね。