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「思いつきを思い切り」。「はんにゃ」金田に信念を貫かせた“悔しさ”

中西正男芸能記者
今の思いを吐露した「はんにゃ」の金田哲さん(撮影・倉増崇史)

 2008年からフジテレビ「爆笑レッドシアター」などで注目され、自作の「ズクダンズンブングンゲーム」が小学生の間で大流行したお笑いコンビ「はんにゃ」の金田哲さん(35)。8月末から始めたTikTokが短期間で話題になるなど、ここに来て新たな展開を見せてもいます。若くしてブレークしたがゆえの苦悩と悔しさ。そして、仕事が減っていく中で向き合った自分。光と影が映し出す今の金田哲とは。

ここに来てのSNS

 8月末ごろからSNSを始めたんです。それまでは一切やってませんでした。Twitter、Instagram、TikTok、YouTube。ここにきて始めました。

 これまで、なぜやってこなかったのか。その答えがあるとすると「自分には必要のないもの」という思いからだと感じています。

 08年、09年、年齢で言うと23歳あたり。その頃からたくさんテレビに出してもらえるようになりました。

 当時はまだテレビ一択の時代で、YouTubeもありはしたけど今みたいに当たり前の存在ではない。なので、多くの人に知ってもらう方法と言えばテレビ。実質、それしかない時代でした。

 若い時からそこで知ってもらった人間としては、テレビ以外で何かを発信する感覚がなかったんですよね。

 数年前からは多くの芸人さんもSNSを出力高くやり始めて、やってない人の方が珍しい世の中にもなっていきました。ただ、それでも、もともとの感覚が強かったからか、僕は手を出すことはなかったんです。

 ただ、コロナ禍になって、テレビ、劇場、営業、あらゆるものの在りようも変わりました。となると、自分から発信する手段を持っておいた方がいい。

 それも痛感しましたし、20代前半からあらゆる経験をして、やっと蓄積と余裕ができてきたんでしょうね。そういった感覚が重なって、今になって始めました。

木刀一本で“戦場”へ

 振り返ってみると、一番忙しかったのは08年後半から10年あたりまで。忙しさ自慢みたいなことをする気はないんですけど、事実として一日の平均睡眠時間は2~3時間。仕事の数は一日に8~12本。そういう生活が2年半ほど続きました。

 その中で何を学んだのか。妙な言い方になるかもしれませんけど、今思うと「いかに理解できてなかったか」を学んだ時期だったと思っています。

 いわば訓練所で成績が良かったからいきなり戦場に出された。だけど、戦場では真剣を持っている人、マシンガンを持っている人、レーザービームを持っている人らがやり合っている。そこに自分は木刀一本で乗り込んだような感じでした。

 芸人としての力はもちろん、人間力、心の捉え方みたいなものも足りなかった。自分の状況、感情、性格も理解できてませんでした。

 そうなると、何かのせいにしたり、状況のせいにしたりするんですよね。相方との関係性も、その中で変わっていきました。

 基本としてはすごく仲のいいコンビだったと思うんです。出会った頃の友達としては。ただ、仕事が絡んでいくと変わっていきました。

 最初はやりたいと思っていたことがどんどん叶っていって「やったー!」という感覚だったんです。その結果、激務になっていく。ただ、実力が伴っていないので、どんどんひずみが生まれてくる。うまくいかないことだらけになってくる。

 その辺のフツーの兄ちゃんがいきなりやってるようなもんですから、そりゃ、そうなります。今ならそう思えるんですけど、当時は互いのせいにしてました。

 今はありがたいことに、コンビの関係もすごく良くなりました。相方が14年に大きな病気をして、コンビというか命自体もなくなるかもしれない。

 そんなこともありましたし、やっとここにきて互いに余裕ができたのもあって、今は良い意味で友達の頃の感覚に戻りました。

「面白いから大丈夫」

 ただ、当時は本当にバタバタでアタフタして。でも、それだけ忙しい時代がいつまでも続くわけはない。次第に仕事量が減っていきました。

 11年以降レギュラー番組がなくなっていって、世間的にも、関係者の方々からも「落ちたな」という声が出てきました。そんな声は聞こうとしなくても入ってきますし、自分でも仕事がなくなったことは当然身に染みて分かっています。

 でもね、本当に人に恵まれていると思います。そうなってきた時期にこそ、たくさんの先輩が気にかけてくださいました。

 同じアイドル好きで趣味を仕事に昇華させることを教えていただいた「ドランクドラゴン」塚地武雅さん。

 映画への熱量、それを具現化するすごさを教えていただいた「品川庄司」品川祐さん。

 一つの仕事に対してそこまで突き詰めて考えるんだということを教えていただいた「タカアンドトシ」のタカさん。

 人への配慮と常に新しいものにチャレンジする心意気を教えてくださった「次長課長」の河本準一さん。

 そういった方々が日々飲みに連れて行ってくださる。ありがたいばかりでした。

 そして、皆さんが共通して言ってくださったのが「金田は面白いから大丈夫」という言葉でした。

 皆さん、あまりそういうことを言うタイプじゃないんですけど、飲んでる途中とかでポロッと言ってくださる。

 …ごめんなさい、これは軽く聞こえてしまうかもしれませんけど「そんなんで、全然うれしい」。その言葉がまさに支えでした。

 そして、仕事が落ち着いてきてから自分の感覚も大きく変わりました。急に知識を求めるようになったんです。端的な変化で言うと、本を読むようになりました。

 もともと学生時代も勉強が得意ではなかったですし、本も全然読んでなかったんです。ただ、忙しい2年半、3年でいかに自分が薄っぺらいかを痛感しましたし、僅かな知識の蓄えもあっという間に枯渇しました。削られて、削られて、心が細くなっているのが自分でもよく分かりました。

 以前から歴史に興味はあったので、孔子の「論語」とか、朱子学、哲学なんかを読み漁ってました。自分でも驚くくらい劇的なインプットを急発進で始めました。

 あと、忙しい中であらゆる先輩を見て強く感じたのは「この人たちは“ネタ”で笑わせているんじゃない。“人”で笑わせているんだ」ということでした。

 人間としての幹を太くしないとどうしようもない。だからこその読書だし、そこから真剣に趣味や遊びにフォーカスするようにもなりました。

 ボクシングをやったり、ゴルフやったり、もともと好きだったアイドルへの思いもさらに強くしたり。芸人としての“引き出し”にいろいろなものを入れ始めたのは仕事が少なくなってからだと思います。正直な話。

TikTokの源流

 それと同時に、忙しい時は全くできていなかった「自分を客観視すること」がやっとできてきたのかなと。

 そもそも、僕は“目から笑わせるタイプ”。それは小学生の頃から分かっていたつもりで、決して“耳から”のタイプではない。要は、何かセンスに満ちたワードをポンポン言って笑わせる方ではない。

 あこがれてきた方々で言うと、志村けんさん、「とんねるず」さん、「ナインティナイン」さんら。僕から見ると、皆さん動きやノリを巧みに扱ってらっしゃるように思える方ばかりでした。

 そして、このノリという部分で言うと、僕は“中学2年の感覚”というのが一番面白いと思っているんです。

 例えば「ズクダンズンブングンゲーム」なんて最たるもので、当時も「このゲームの意味は?」と聞かれたりもしてたんですけど、意味なんてないんです(笑)。その時のノリで、言わば、その時の思いつきなんです。

 思いつきを思い切りやる。それだけなんです。

 でもね、これって今のTikTokのノリなんですよね。僕がやってるラジオ番組でも「今のTikTokの源流は金田だ」みたいなことをシャレで言ってたりもしてたんですけど、意味分かんないけどみんなが楽しくやっている。その意味では、実はあながち外れてもいないのかなと。

 実際、SNSをやり始めて一番伸びるのはTikTokなんです。YouTubeは時間をかけて、お金をかけて凝ったものを作っても再生回数が数千回。TikTokはサッと300万回を超える。そうなると、やっぱり自分の根っこみたいなところがTikTokとつながっているのかなと感じますね。

 これはね「オリエンタルラジオ」のあっちゃん(中田敦彦)が言ってたことなんですけど「武器は過去に落ちている」。今、その言葉を噛みしめています。

“変わらない”がもたらしたもの

 そして、すごく正直なことを言うと驚いてます。浦島太郎というか、逆に自分じゃなく周りがタイムスリップしているというか。

 自分は全く変わってないんだけど、周りが変わっている。ずっと同じことをやっているのに、評価だけが変わっている。

 ここの“変わっていない”という部分が今は良い形で出てますけど「もしかしたら、未来の何かにつながるかも」みたいな思いで変わらなかったわけではなく、根底にあったのは実は悔しさだったんです。

 あの頃は実際若かったですし、まさに学生のノリに見えるような色合いで、意味のないことをやっていた。今ほど“そういう味”の人もいなかったですし、そのノリが「幼稚だ」と言われていたんです。それが悔しかった。

 もちろん、実力不足もあります。ただ、根本は変えず、いつかこれが認められるように続けていこう。その思いで、軸になっている“思いつきを思い切り”という部分は変えずにきたんです。

 いろいろな声もありましたけど「変わってない」は誉め言葉だ。そう思ってやってきました。まさかこんな形で時代に合致するとは思ってなかったですけど。

 あと、ルックスも20代前半から変わってないと言っていただくんですけど、これはね、別に何も節制はしてないんです(笑)。酒もたばこも寝不足もやってますし。

 でも、心根はずっと変わらず、変えず、全力で遊び続けてきましたから。もしかしたら、それかもしれません。

 35歳ですけど、35歳の気が全くしない。まだまだ中学生の感覚です。…ま、それは大人としては問題なのかもしれませんけど(笑)、これからもこのままで。そういたいとは思っています。

■金田哲(かなだ・さとし)

1986年2月6日生まれ。愛知県出身。吉本興業所属。小学生の時から志村けん、岡村隆史らの姿を見て芸人への憧れを持つ。2004年、上京して東京NSCに10期生として入学。川島章良とコンビを結成する。08年頃から注目度が高まり、日本テレビ「エンタの神様」やフジテレビ「爆笑レッドシアター」などでブレークする。「ズクダンズンブングンゲーム」が小学生に人気となり、数多くのレギュラー番組を持つ。18年、アイドルグループ「吉本坂46」のメンバーとなる。俳優としても活動しており、映画「燃えよ剣」(公開中)にも出演している。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

芸能記者

立命館大学卒業後、デイリースポーツに入社。芸能担当となり、お笑い、宝塚歌劇団などを取材。上方漫才大賞など数々の賞レースで審査員も担当。12年に同社を退社し、KOZOクリエイターズに所属する。読売テレビ・中京テレビ「上沼・高田のクギズケ!」、中京テレビ「キャッチ!」、MBSラジオ「松井愛のすこ~し愛して♡」、ABCラジオ「ウラのウラまで浦川です」などに出演中。「Yahoo!オーサーアワード2019」で特別賞を受賞。また「チャートビート」が発表した「2019年で注目を集めた記事100」で世界8位となる。著書に「なぜ、この芸人は売れ続けるのか?」。

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1999年にデイリースポーツ入社以来、芸能取材一筋。2019年にはYahoo!などの連載で約120組にインタビューし“直接話を聞くこと”にこだわってきた筆者が「この目で見た」「この耳で聞いた」話だけを綴るコラムです。最新ニュースの裏側から、どこを探しても絶対に読むことができない芸人さん直送の“楽屋ニュース”まで。友達に耳打ちするように「ここだけの話やで…」とお伝えします。粉骨砕身、300円以上の値打ちをお届けします。

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