【神戸市】156年前の出来事 三宮神社前で起きた「神戸事件」の関連地を訪ねる
三宮神社前は「神戸事件」発生場所
明治維新の年である1868年(慶応4年)に備前藩兵が隊列を横切った外国人に対してフランス人水兵を負傷させたことにより銃撃戦に発展する事件が起きた場所が現在の三宮神社の前。これを「神戸事件」と呼び、三宮神社の前には「史跡 神戸事件発生地」の号標が立っています。
三宮神社境内には大砲が置かれています。神戸事件では外国兵との銃撃戦に発展。その交戦の際に三門の大砲を使って応戦。これはその同時代に使われていた大砲として設置しているとのこと。このサイズの大砲から当時どれだけ大きな規模の交戦だったのかが想像できます。今から156年前の出来事でした。
三宮神社
神戸市中央区三宮町2-4-4
事件の責任をとるため切腹させられた藩士の慰霊碑がある能福寺
この事件をきっかけに一時外国兵に神戸の町が占拠されるまでに至り、さらなる外国勢力との関係悪化を回避するために問題を起こした滝善三郎が切腹することで一応の解決を図りました。しかし、日本側からすればフランス人水兵が隊を横切ったことは「供割」(ともわり)と呼ばれる無礼な行為であり、これを目にした滝善三郎が槍で制止したことから水兵が負傷してしまいます。滝善三郎は職責を全うしただけであり、相手に対して悪意などはなかったはずです。
この事件で切腹させられた瀧善三郎の顕彰碑が能福寺にあります。瀧善三郎は事件発生から約一か月後に切腹しました。享年32。
能福寺
神戸市兵庫区北逆瀬川町1-39
JR山陽本線 兵庫駅 徒歩15分
地下鉄海岸線 中央市場前駅1番出口 徒歩10分
徳川道を通っていれば神戸事件は起こらなかった!?
江戸末期に幕府は、神戸事件のような外国人との衝突は想定していてそれを回避する道を作っていました。その西国街道からの迂回路として作られたの徳川道でした。しかし、備前藩兵の隊はこの徳川道を通らずに西国街道を進みます。もし、この徳川道を使い迂回していれば神戸事件は起こっていなかったかもしれない、という歴史の「たられば」がここにあります。
徳川道起点
阪神電車 石屋川駅下車 住吉川沿い