イスラム化と経済問題の虚実、フランス大統領選 イチから分かる入門編(下)
「味方か、敵か、他の選択肢はない」
[パリ発]フランス・パリ中心部のシャンゼリゼ通りで起きた過激派組織IS(イスラム国)とつながりを持つとみられる男カリム・シュルフィ(IS発表名「アブ・ユスフ・アル・バルジキ」、39歳)が自動小銃をぶっ放し、警官3人を殺傷したテロを受け、大統領選キャンペーン最終日の4月21日、再びテロ対策に強いスポットライトが当たりました。
しかしフランスの首相ベルナール・カズヌーヴは有権者に「恐れや謀略、社会の分断にも屈するべきではない」「私たちの祖国に不可欠な民主的な瞬間を妨げることがあってはならない」とテロに影響されないよう呼びかけました。
右翼ナショナリスト政党「国民戦線」党首マリーヌ・ルペン(48)はここぞとばかりに「フランスからテロリストを追い払うために移民の流入(年間純増)数を年1万人にまで削減する」「わが国は移民受け入れに関してナイーブ過ぎた」「イスラム過激主義は、わが国に宣戦布告している恐ろしく、覇権主義的なイデオロギーだ」と移民規制の強化を訴えました。
域内ならパスポート(旅券)なしで自由に行き来できるシェンゲン協定からの離脱も改めて主張し、さらに警官5000人を増強すると強調しました。
共和党の元首相フランソワ・フィヨン(63)も「我々は(テロ組織と)交戦している。これは戦争だ。味方か、敵か、他の選択肢はない」「原理主義が私たちの文明を破壊しようとしている」「フランス国境の管理を取り戻すのが急務になっている」とシェンゲン協定の再交渉を行うと誓いました。
これまで経済問題を最優先に論じてきた中道政治運動「前進!」の前経済産業デジタル相エマニュエル・マクロン(39)も「大統領の主要な役割はフランス国民を守ることだ。私は準備できている。何としてでもあなたたちを守る。恐怖に屈するな。分断や暴力に左右されるな。私たちの世代はこの課題に取り組まなければならない」と呼びかけました。
マクロンはテロ対策に焦点を当て対ISの情報活動を束ねるタスク・フォースを立ち上げると約束する一方で、大統領選最大の敵、ルペンに対し「ルペン政権下ならテロは起きなかったと大言を吐いているが、彼女にフランス市民を守ることはできない」と批判の矛先を向けました。
欧州ではムスリム(イスラム教徒)人口の割合が高いフランスやオランダ、ベルギーで「イスラム化(Islamization)」の問題が大きな影を社会に落としています。
一方、イギリスではパキスタン系移民2世の労働党サディク・カーンがロンドン市長に選ばれています。欧州連合(EU)加盟国の首都でイスラム教徒が市長に選出されるのは初めてのことでした。イギリスでは「イスラム化」という言葉はあまり耳にしません。それでは、なぜ、フランスでは「イスラム化」が問題になるのでしょう。
フランス移民問題の核心
アメリカの外交雑誌フォーリン・アフェアーズは1928年1月に「フランスの移民問題」と題したチャールズ・ラムバートの論文を掲載しています。
それによると、フランスの人口は1921年の3920万9766人から5年間で153万4085人増えて4074万3851人になりました。同じ時期に「外国人居住者」は155万459人から94万7771人増えて249万8230人になりました。1911年から15年間で生粋のフランス人の人口は202万1775人も減ったそうです。
当時は第一次大戦もあり、多くの若者が命を落としました。戦争の世紀だった20世紀、労働力や戦力になる人口は国力のバロメーターでした。
すでに19世紀後半から出生率が低下し始めたフランスは第一次大戦後、人口が著しく減少したため、大量の移民を受け入れます。
「栄光の30年」と呼ばれる第二次大戦後の経済成長期に低賃金労働者として流入したスペイン、ポルトガル、アルジェリアからの移民は炭坑や自動車工場で働き、フランスの経済成長を支えます。
しかし、石油ショック不況を受け、1974年、突然、出稼ぎ移民の受け入れを停止します。移民のゲットー(マイノリティーのスラム街)化が進み、大きな社会問題になってきたからです。
フランス国立統計経済研究所(Insee)によると、フランスへの移民流入数は2004年から12年にかけ年平均20万人に達するようになりました。死亡や出国などを差し引くと年平均9万人の純増となり、13年時点で移民は全人口の8.8%を占めています。
移民の純増数では、一時は年30万人を突破していたイギリス(最新のデータでは27万3000人)に比べると、問題視するほど多くはありません。しかしルペンが唱えるように純増数の上限を1万人に抑えるためには、国境閉鎖に近い極端な政策をとる必要があります。
仕事を見つけるのが難しいフランス
フランスへの移民が意外と少ないのは、外国生まれの場合、仕事を見つけるのが非常に難しいからです。経済協力開発機構(OECD)データを見ると、外国生まれの就業率はフランスで全体55.3%(男性62.7%、女性48.7%)。イギリスの全体70.4%(男性79%、女性62.3%)に比べてかなり低いことが分かります。
国民戦線が台頭していることからも分かるようにフランスでは排外主義が強いため、難民からも敬遠され、フランスでの難民認定申請者(一次審査)数は年7万5990人とドイツの72万2265人、イタリアの12万1185人に比べ、かなり低くなっています。
フランスの移民問題とは、つまりはイスラム問題なのです。アメリカのシンクタンク、ピュー・リサーチ・センターの昨年7月報告書によると、フランスのムスリム人口は全体の7.5%(471万人)。オランダの6%(100万人)、ベルギーの5.9%(63万人)、ドイツの5.8%(476万人)、イギリスの4.8%(296万人)、スウェーデンの4.6%(43万人)に比べて突出しています。
フランスよりムスリム人口割合が多いのはブルガリアの13.7%(102万人)、キプロスの25.3%(28万人)だけです。
カトリック教会の影響が強かったフランスでは「自由、平等、友愛」の開かれたナショナリズムが国のかたちとなり、政教分離(ライシテ)を導入します。宗教VS国家の対立軸が強く意識されるようになります。
アルジェリアやモロッコからのイスラム系移民が増え、文化や生活様式のギャップが大きくなってきたことに対して厳格過ぎる政教分離政策がとられ、ブルカ禁止法や全身を覆う水着ブルキニ禁止論争がフランス国内のイスラム社会との溝を広げています。
「六公四民」経済の落とし穴
フランス経済の問題を一番良く物語っているのは失業率と成長率です。失業率は10%(若年労働者25.9%)と高止まりしています。イギリスは4.6%(同13.1%)、ドイツは3.9%(同6.4%)に比べて失業者が多く、600万人に達しているそうです。失業者がどの候補に入れるのかも大きなポイントになっています。
昨年の成長率を比べてみると、フランス1.2%、イギリス1.8%、ドイツ1.9%と、フランスは伸び悩んでいることが分かります。
フランス大統領選ではルペンと急進左派・左翼党共同党首ジャン=リュック・メランションが社会主義経済を、マクロンとフィヨンが自由主義経済を唱えています。しかし、アメリカやイギリス型のアングロ・サクソン市場経済至上主義はフランスの国民性とは全く合わないのです。
上のグラフを見ると、OECD加盟国の中で、フランスが最も社会主義に近い政策を取っていることが分かります。国内総生産(GDP)に占める政府支出の割合を見てみると、フランスは57%、江戸時代風に言うと「六公四民」になるのかもしれません。
世界金融危機でフランスはショックを上手く吸収できたことから、一時「フレンチ・パラドックス(喫煙率が高く、脂肪をよく取るフランス人が比較的、心臓病にかかりにくいという矛盾)の奇跡」ともてはやされました。
しかし「六公四民」では、成長力を取り戻すのは難しいようです。これに対して、アメリカやイギリスは「四公六民(米37.7%、英42.8%)」、ドイツは「四・五公五・五民(44%)」になっています。
先進国では高齢化が進む中、高福祉高負担の経済・社会モデルに移行しています。一方、一時の勢いがなくなったとは言え、高度成長が続く中国のGDPに占める政府支出の割合はわずか13.5%です。
「公」の割合が増えるほど、国家は成長力を失い、福祉の負担増が移民に対する高齢者や低所得者の反発を強めているのです。
「鉄の女」マーガレット・サッチャー張りの「小さな政府」を信奉するフィヨンはGDPに占める政府支出の割合を57%から50%に引き下げる、つまりは「五公五民」の経済・社会政策を実現すると強調しています。
1980年代には20%だった政府債務は世界金融危機、欧州債務危機を経て96%にまで膨れ上がっています。長期金利(10年国債の利回り)は大統領選の先行きが見通せないことから0.44%から0.89%に上昇していますが、ルペンが大統領になるようなことがあれば、ユーロやEUからの離脱リスクが高まり、さらに跳ね上がるのは確実です。
成長力に陰りが見えるフランスの労働市場では二極化が進んでいます。高所得者は高待遇を受け、昇進していきます。一方、レールに乗り損ねた若者は日本で言う非正規雇用化が進み、社会主義政策を唱えるルペンやメランションに傾倒しています。
ゲットー化したイスラム系移民の失業率はさらに高く、テロリストを大量に生み出す要員になっています。移民・難民問題も「イスラム化」という問題もすべてはフランス経済の低迷が引き起こしていると言っても過言ではないでしょう。
欧州の政治日程
最後に欧州の政治日程を見ておきましょう。
2017年
3月29日、イギリスの首相テリーザ・メイがEU大統領トゥスクに離脱交渉の開始を通告
4月18日、メイが解散・総選挙を緊急発表
4月23日、フランス大統領選第1回投票。EU統合推進派のマクロンと、EU離脱国民投票の実施を公約にするルペン、「小さな政府」を提唱するフィヨン、EUとの再交渉が決裂すれば離脱と公言するメランションが争う
4月29日、イギリスを除く27カ国でEU首脳会議を開催。欧州委員会にイギリスとの交渉を任せることで合意へ
5月3日、イギリス下院を解散
5月7日、フランス大統領選の決選投票。マクロンが勝てば、離脱交渉はイギリスにとって厳しくなる。メランションやルペンが大統領になれば単一通貨ユーロやEUは崩壊に向かう恐れ
5~6月、離脱交渉の開始
6月8日、イギリス総選挙の投票
9月24日、ドイツ総選挙で首相アンゲラ・メルケル率いるキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)が4選を果たすかどうかが最大のポイント。ライバルの社会民主党(SPD)は前欧州議会議長マルティン・シュルツが党首になってからメルケルを追撃するが、3月26日の南西部ザールラント州議会選ではCDUが勝利を収める
2017年秋、メイ政権がEU法を国内法に落とし込む法整備に着手
2018年
10月、離脱交渉を終了
10月~、イギリス議会、EU首脳会議、欧州議会が離脱交渉の結果について採決
2019年
3月、イギリスがEUから離脱
2020年5月、当初予定されていたイギリス総選挙の日程
2022年6月、メイの解散表明で設定された次の議会期終了
5万人の厳戒態勢の中、フランス大統領選はいよいよ23日、第1回目の投票日を迎えます。本当に開票を待ってみないと何とも言えない状況です。しかし、誰がなってもフランスの進路は大きく変わることだけは間違いありません。
(おわり)