佐世保高1女子同級生殺害事件の犯罪心理学:カウンセラーも精神科医も児相もなぜ止められなかったのか
■カウンセラーも精神科医も児童相談所も事件を防げなかった
「人を殺してみたかった、解剖したかった」。佐世保高1女子殺害事件の第一報を聞いて、容疑者である少女が専門家や専門機関につながっていれば、事件は防げていたかもしれないと思っていました。しかし実際は、スクールカウンセラーも精神科医も児童相談所も、彼女に関わっていたのです。それでも、事件は防げませんでした。
関わりはしましたが、関わりきれなかったのかもしれません。私は特定の機関や個人を責める気はありませんが、しかしそれでも、何かが違っていたら、事件の結果も大きく変わっていたかもしれません。
■スクールカウンセラーも関わっていたのに
少女は、小学校6年生のときに給食異物混入事件を起こしています。学校は教育委員会に報告し、教育委員会からスクールカウンセラーが派遣され、約1ヶ月に渡りカウンセリングが行われました。その中で、少女とは2回面談を行ったと報道されています。保護者との面談も行われています。
それ以外の日程は、被害者や他の動揺している子どもとの面談が行われたようです。
2回の面談では、少女の心の奥に触れることはできなかったのでしょうか。
詳しい事情はわかりません。2回で終えたのは、スクールカウンセラーの判断か、学校や教育委員会の判断か、あるいは少女Aか両親の意向なのか、わかりません。
この事件では、少女は2人の児童に対して計5回にわたり、給食の皿にスポイドで漂白剤を入れています。
友人間のトラブルでケンカになることは良くあることです。しかしこの事件の異常さや奇妙さを、関係者は感じ取ったのでしょう。
ここまで学校が努力していると、もっと何かをするべきだったとは言いにくいと感じるほどです。
スクールカウンセラーは、「心の専門家」ですが、専門家だからといって心のすべての面に詳しい訳ではありません。不慣れな方だと、病院臨床は得意でも学校臨床の経験が浅い人もいるでしょう(このときは、おそらくベテランが派遣されたかと思いますが)。
また不登校などには詳しくても、非行臨床には詳しくない人もいるでしょう。ましてや、今回のような異常犯罪に詳しい人は少ないでしょう。
また、今回は1ヶ月だけで終了しています。スクールカウンセラーは、全国の中学校を中心に配置されていますが、小学校にはまだあまり配置されていません。
単なる結果論、理想論かもしれませんが、少年犯罪、少年による異常犯罪にも詳しいスクールカウンセラーが、週一日勤務でもしっかり教職員の一人として先生方と共にこの件に関わり続けていれば、あるいは何かができていたかもしれません。
高校入学後は、ほとんど登校していません。報道によると、担任やスクールカウンセラーが定期的に一人暮らしの少女を訪問していますが、「不登校生徒への訪問ケア」だったのでしょうか。父親殴打事件や精神科医の意見など、さまざまな情報が十分に共有できていれば、「事件を起こす可能性がある生徒への訪問ケア」として、何かができていたでしょうか。
■精神科医も関わったのに
詳しいことはわかりませんが、再婚した両親が少女を受診させたようです。この精神科の医師は、給食事件も動物虐待解剖行為も、父への金属バット殴打も、把握しています。
精神科の医師も、もちろん専門家ですが、何でもできるわけではありません。多くの精神科医は、たとえば典型的な大人の統合失調症やうつ病などであれば、精神科の医師として適切な投薬による治療や入院治療などができるでしょう。
しかし、さまざまな反社会的行動や非社会行動などの問題行動となると、話は複雑です。引きこもりを治す薬や、よい子になる薬はないからです。
精神科の中で、思春期臨床(児童青年期精神医学)の専門家は限られています。犯罪精神医学となれば、なおさら少ないでしょう。
医師が、どのような診断と治療を行ったのかは不明です。
■児童相談所も関わったのに
少女を診察した医師は、児童相談所に電話をかけます。給食事件や動物虐待、父親に暴力を振るいけがをさせたことなどをあげ、「人を殺しかねない」などと相談していました。
児童相談所の多忙ぶりは、よく報道されています(忙しいから仕方がないとは言いませんが)。赤ん坊の虐待事例など、明日にでも命に関わるケースが優先されます。もちろん、すぐに命に関わるケースではなくても、児童相談所は対応し、親と面談したり、学校などに出向いて関係者に聞き取り調査なども行っています。しかし、それでも優先順位は判断しているでしょう。
また児童相談所は、警察のような捜査を行ったり、強制力を持っているわけでもありません。今回のケースでは、通報者である精神科医に対する「助言」という対応にとどまりまったようです。
「人を殺すかもしれない」という医師が感じた切迫感が、児童相談所には十分届かなかったのでしょうか。
精神科医が患者のことを外部に話すのは、よほどのことでしょう。児童虐待や麻薬などの場合は、通報義務がありますが、今回のケースは難しい判断だったことでしょう。
*医師は、地域の「こども・女性・障害者支援センター」の児童相談窓口に電話しています。このセンターは、児童相談所、身体障害者更生相談所、知的障害者更生相談所の3つの機関が統合された機関です。
■児童相談所からの助言と精神科医と両親
精神科医は、助言を受け、両親と3回にわたり面談しています。
これは、診察治療の一環としての面談というよりも、「事件を起こす可能性」への対応としての面談でしょう。病気やケガを治すことは、医師として当然行うでしょうが、このような形での両親との時間をかけた面談は、特別な事です。精神科医が毎回長時間のカウンセリング等を行うことは、普通はないでしょう。
医師は今回の問題に深く関わろうとしていたのでしょう。
しかし、少女の一人暮らしは続き、自室での友人殺害事件が起きてしまいました。
■注目すべきサインは何だったか:非行は心のSOSだが
少年非行は、行為自体を見れば違法行為や迷惑行為です。しかし心理学的にみれば、非行は心のSOSサインです。非行行為を叱り、大きな違法行為であれば法的な制裁を受けることも当然です。
しかし同時に、その行為の背景にどのような問題が潜んでいるのかを探り、さらに大きな犯罪を引き起こすことなく、少年を更正させることを考えます。
非行でも、悩みでも、子ども若者はさまざまなことをしでかします。それをサインとして受け止めることが大切です。
今回の少女のケースは、一般の非行とは異なると思います。たとえば家庭の問題からの、親を困らせたい、親を振り向かせたいといった動機ではなく、学校への反発や社会への恨みでもないでしょう。「人を殺してみたい」「人を解剖してばらばらにしたい」という欲求を持つ、病理性の高いケースと言えるでしょう。
日頃から悪いことを繰り返している子が、また乱暴で悪いことをした場合は、もちろん学校現場は苦悩しますが、それでも良くある問題行動です。
しかし、まじめな優等生であるはずの小学生が給食に毒物を入れるのは、良くある事ではないと思います。これは大きなサインです。だからこそ、学校は特別な対応をしたのでしょう。
動物の解剖、動物虐待も、乱暴な非行少年が野良犬に石をぶつけたり、猫のヒゲを切るのは、もちろん悪いことで矯正が必要ですが、シンプルな事例とも言えます。
しかし、この少女による動物解剖は、違いました。これも、この少女の問題性をとても大きく示すサインでしょう。
父親への金属バット殴打は、とんでもないことです。ただこれも、乱暴な少年が父親と対立し、父親を嫌って殴ったり棒を振り回したケースとは違います。
殴打の動機はつたえられていませんが、少女は父を尊敬していると供述しています。
何らかの発達上の問題をもっていたり、性格上のゆがみをもった人が、些細な理由でパニクを起こすし、結果的に周囲が驚くようなことをしてしまうことがあります(それでも通常の子どもは大きな犯罪になるようなことはしませんが)。
今回も、パニックの中での行為だったのかもしれません。それは、ただの乱暴や非行とは異なる心の大きな不調のサインでしょう。さらに、通常ならそれでもここまで危険なことはしないはずなのに、命に関わるような行為をしてしまったのは、とても大きなサインでしょう。さらにもしも「殺してみたかった」という動機による行為であれば、それが異常なのは言うまでもありません。
誰かが、少女の父への金属バット殴打の動機に近づいていたのでしょうか。
多くのサインがあり、教育、心理、医学の専門家が関わり、チャンスはありました。しかし、事件は起きてしまいました。
■事件は防げなかったか
これだけの人間が関わって、それでも事件が起きてしまったとすれば、事件は結局防げなかったのではないかと考える人もいるでしょう。たしかに、犯罪を0にはできません。異常な殺人事件も0にはできないでしょう。しかし、今回の事件を防ぐ事は、不可能ではなかったと思うのです。
それは、とても難しいことですが、やはり相談と連携ではないでしょうか。
両親と精神科医と児童相談所が関わった時が、最後で最大のチャンスでした。もしもここで、両親、学校、病院、児童相談所、警察の連携がとれていたらどうでしょう。
金属バット殴打事件は、傷害事件、殺人未遂事件とも言えるでしょう。ただだからといって逮捕させろというのではありません。子どもが家庭内暴力で親にケガをさせたからと言って、親は簡単には被害届は出さないでしょう。警察に話をすることを避けるのは、理解できます。時には学校にも隠そうとするのも理解はできます。しかし、信頼関係に基づいて相談ができていれば、結果は違っていたかもしれません。
連携のためには、相互信頼関係が必要です。この段階では、周囲は少女を罰するための存在ではありません。精神科医が危惧した「事件を起こす可能性」「人を殺しかねない」ということを何とか防ぐためにチームプレイができたはずです。
子どもを本当の意味で守るためには、時に心を鬼にする必要があります。警察の介入も、それが本当に子どものためになるなら、親も教師も選択すべきでしょう。
心に問題を持つ人のほとんどは、危険なことなどしません。しかし、今回はその可能性を感じた専門家がいました。
しかし、医師個人ができることは限られています。児童相談所も、権限を越えたことはできません。学校も保護者の意思を無視したことはできませんし、警察も事件が起きないとなかなか動けないでしょう。「自傷他害の恐れあり」で、警察官による「保護」も考えられますが、やはり難しいでしょう。両親も途方に暮れて、娘との別居を選んでいたのかもしれません。
しかし、これらが連携していたら、たしかにもっと何かはできていたでしょう。両親が警察や学校や児童相談所にもすべてを話し、これらの機関が見事な連携を組むことができていたら、もっと何かができていたことでしょう。
少女の根本的な問題は、簡単には治りません。お説教も、感動的な話も、一錠の薬も、簡単に少女を治すことはできないでしょう。でも、何かがもう少し変わっていたら、事件は起きなかったかもしれません。
少女が、殺人と人間解剖の思いを我慢できず、今まさに実行しようとしていた瞬間に、もしもマンションに来客があり、その後被害者少女が帰宅していたら、あの日の殺人は実行されなかったでしょう。
彼女の異常な欲望には、波があったはずです。その日の犯行が中止され、そしてその後、誰かの何かのサポートや介入があれば、悲惨な被害は出ずにすんでいたかもしれません。
関係者は努力してきました。
それでも、もうほんの少しの、小さな何かがあれば、未来は変わっていたかもしれません。
補足8/3:報道によると、入院や警察への相談も話し合われていたとのことです。しかし実行はされず、事件は起きてしまいました。本当に残念です。
補足8/4:報道によると、両親は事件が起こる前日の夕方6:30に児童相談所に電話しています。しかし、すでに電話受け付の時間が終わり、担当者もいなかったために、話ができませんでした。
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長崎・佐世保高1女子同級生殺害事件の犯罪心理学1:教訓はなぜ生かされなかったか