【富士宮市】地名『代官屋敷』に思いを馳せて…富士地区で唯一のエビス系『若宮蛭子神社』で除災招福を願う
西冨士道路を出て、国道139号線富士宮バイパスに差し掛かる『小泉若宮』の信号を南へ曲がり、約300mほど走った先、ウェルシア富士宮小泉店の道を挟んだ反対側に『若宮蛭子神社』があります。
富士地区で法人登記している唯一のエビス系神社です。1801年に岡部河内正藤原住房が京都吉田家より任官された際に祀られたと言われています。
七福神に名を連ね、狩衣姿で、右手に釣り竿を持ち、左脇に鯛を抱える姿のエビスさんは福の神として人気ですが、実は壮絶な過去があります…
エビスさんは国を創生したと言われる伊邪那岐命(いざなきのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の間に生まれた最初の子。
ですが成育が悪かったため、葦船に乗せられて海に流されてしまいます。
流されたエビス様はどこかの地に漂着したという信仰が生まれ、異郷より来臨する客神であったエビス神と習合したと言われています。
あぜ道のような狭い参道を抜け、階段を上がります。
左手には小泉三区岡部家の先祖の墓石、お題目塔、馬頭観音などの石造物があります。
社殿の屋根にはエビス様を象徴する柏の葉の神紋がありました。
社殿中にはエビスさんの像が祀られているそうですが、外からは確認することができませんでした。
中のエビスさんに祈りが届くように手を合わせて、お願い事を唱えます。
そして、気になるのが若宮蛭子神社のあるこの場所の地名『代官屋敷』。
代官屋敷というのだから、有名な代官がこの辺りに住んでいたのかと調べてみると、駿河国富士郡小泉郷(現・富士宮市小泉)に今川氏に仕えていた家臣・植松泰清一族が、住んでいたことが分かりました。
今川氏没落後、治水・農政技術を評され家康に仕えた泰清の子吉次は、1601年武蔵国稲毛川崎(現・神奈川県川崎市辺り)の代官となって、二領用水を開削し新田開発を行い、武蔵国内において740石(石高は大体1石=1両、今のお金に換算すると10~20万円と言われています)の領地を得ます。そして家康より出身地駿河小泉郷にちなみ植松から小泉に改名するようにとの言葉を賜ったと言われています。
植松家長屋門と住宅が、富士市の広見公園に移築されていると聞き、見に行ってきました。
『代官屋敷』という地名は、小泉氏出身の屋敷があったから…と言うのはあくまで私の憶測ですが、地名から歴史を紐解いていくのも謎解きのようで面白さを感じました。
ちなみに、この辺りには『代官屋敷遺跡』があり、縄文時代早期~中期初頭の土器と石器と共に、住居跡・土坑などが確認されています。
私の興味心をくすぐられる小泉地区。
これからも、歴史探検をしていきたいと思います!
若宮蛭子神社(わかみやひるこじんじゃ)
場所:富士宮市小泉字代官屋敷2180