大笑いで夫婦別姓について答弁。丸川大臣の何が問題なのか
今日は国際女性デーですが、日本のジェンダー平等は引き続き前途多難です。
「女性が多い会議は時間がかかる」との森喜朗氏の女性蔑視発言が国内外で極めて激しい非難にさらされ、森氏は五輪組織委員会会長の辞任に追い込まれました。
橋本五輪・男女共同参画担当相が組織委員会会長に就任し、これに代わって日本政府の五輪・男女共同参画担当相になったのが丸川珠代氏です。
男女共同参画担当相は世界121位というジェンダー平等後進国である日本のジェンダー平等を進め、男女共同参画を推進する施策に責任を負う重要な役職です。
ところが、丸川氏は、自民党国会議員連名で今年1月30日に、埼玉県議会などの地方議会に対し、夫婦別姓に賛同する意見書を採択しないよう求める文書を送った文書に名を連ねていたことが明らかになったのです。
なぜ丸川氏が任命されたのか?
この驚くべき話は、BBCなどを通じて世界にも報道され、世界が「またか」とあきれています。
結婚する際に夫婦同氏を強制する法制度は日本特有の制度。多くの場合、女性が氏を変更せざるを得ず、社会生活・職業上、氏名に結び付けて築きあげてきた信頼や社会生活上の認知が振り出しに戻されてしまい、女性の社会進出を大きく妨げているのがこの夫婦同氏を強制する現行制度です。
国際的にこの制度が女性差別に該当するとの見解は広く共有されています。
国連女性差別撤廃委員会や国連人権理事会から何度となく問題視され、改善を勧告されてきました。
例えば、2016年、国連女性差別撤廃委員会は、以下のように勧告し、特に重要な勧告の実施を求めるフォローアップ「項目」になっています。
このように、選択的夫婦別姓の課題は、ジェンダー平等の一丁目一番地の課題です。すべて夫婦別姓にするわけではなく、選択肢を増やして多様な生き方や多様な家族像を尊重しようという提案なのです。
その課題に真っ向から反対する「抵抗勢力」である丸川氏が、なぜ、これほどジェンダー平等が国際的にも問題視された直後に、男女共同参画担当、五輪担当大臣に任命されたのでしょうか?
男女共同参画担当大臣はもちろん、五輪担当大臣も、多様性やジェンダー平等の視点を重視して取り組むことが求められ、森氏の問題で改めてジェンダー平等が問われる東京五輪の担当大臣として、ジェンダー平等や多様性に対する深い見識と理解、情熱が求められます。
ところが、情熱の有無を通り越して、「抵抗勢力」である丸川氏を平気で任命する首相の姿勢はいかがなものでしょうか。
森氏の騒動を我が事としては何ら顧みず、多様性やジェンダー平等に何の重要性を認めていないことの表れではないでしょうか。首相にとって多様性やジェンダー平等は真剣に取り組むべき課題というよりは外見を取り繕うような課題、「所詮その程度のこと」「とるに足らないこと」ということではないのでしょうか。
自民党のなかにも、また与党公明党を含めても、多様性やジェンダー平等の推進に積極的な議員は少なからず活躍していますし、民間も含めて人選すれば、もっと適任な人材を登用できたはずです。
丸川氏も多様性やジェンダー平等に反する見解を持って、地方議会に圧力までかけていながら、よく多様性やジェンダー平等を推進する役職を引き受けたものだと思いました。
答弁拒否した丸川氏の不誠実
しかし、さらに驚いたのは、国会答弁での不誠実な対応です。
丸川氏は、何故夫婦別姓に反対なのか問われて、7回にわたり答弁を拒否 、その内容も大きな問題をはらむものでした。
「私の意見に左右されないで国の政策を進めていただきたい」とのことですが、国の政策を進め、優先順位を決め、政治決断するのは事務方ではなく大臣です。その大臣が選択的夫婦別姓に反対のまま、政策実現をサボタージュすればこの問題は前に進みません。
だからこそ、福島議員は反対する理由を聞いているのに、誠実に答えず問題をはぐらかそうとしたのです。
多くの人にとって切実なこの課題に対し、賛成反対を真剣に議論せずにごまかす大臣でよいのでしょうか?
また丸川氏は、
と述べたとされます。
しかし、朝日新聞が1月25日、26日に実施した世論調査によれば、
とされています。国民世論は多くが選択的夫婦別姓に賛成なのだといえるでしょう。
世論が盛り上がっていないから、男女共同参画の視点から議論を後押しするべきというフェーズではありません。大臣がすべきは議論を後押しするのではなく、世論をもとに改革を進めることです。
この世論調査の直後の1月30日に連名で手紙を送りつけた丸川議員が
・「国民のみなさんがすべてを理解されているわけではない」
・「まず自分事としてとらえていただける議論を後押ししたい」
というのは要するに、これだけ選択的夫婦別姓に賛成が多くても、それは国民が「すべてを理解されているわけではない」、つまり理解が不十分だから賛成派が多いのだ、もっと慎重に議論しないといけないというブレーキを踏んで法改正を押しとどめようとするものでしかないでしょう。
人を馬鹿にしたような大笑いへの違和感
とりわけ、多くの人が違和感を持ったのは、丸川氏の大笑いです。
多く拡散しているツイートから見てみましょう。なぜこのような、人を馬鹿にしたような笑い方で答弁する必要があったのでしょうか。
多くの人が真剣に見守っている、これからの女性の社会進出、女性の人格権(丸川氏もそう言及した)、自分らしい生き方という基本的人権にとって大切な議論に対して、なぜこのような不真面目な態度で答弁するのでしょうか?
選択的夫婦別姓は多くの女性にとって切実な問題であり、一生かけて選択的夫婦別姓のために取り組んできた方々もいます。同氏を強制されたり、事実婚を余儀なくされるなど、不利益を受けたり、悩み続ける方は少なくありません。
このような重要な課題を雑に扱うことは、男女共同参画というミッションそのものをいい加減に雑に扱い、女性たちの思いを踏みにじるものではないでしょうか。
女性差別は笑い事ではありません。
私には、丸川氏の態度は、ジェンダー平等に関連して笑いを取ろうとして女性蔑視発言をした森氏、森氏の発言を聞いて笑っていた組織委員会関係者と同じくらい不誠実で問題があると思えます。
パンがなければお菓子を食べればいい
丸川氏が大笑いをしたのは、丸川氏は結婚して姓を変え、丸川というのは旧姓であることを福島議員に指摘された際です。
福島議員は、「一般の人は通称使用するのも難しいんですよ」と指摘しましたが、丸川氏はこれには正面から答えません。
議員や大臣は通称使用をできる、自分は交渉して通称使用を認めてもらった成功体験がある。それを広げていけばいいじゃないか、という考えでしょう。そうなると、交渉力がなく、通称使用を認めさせられなかった女性たちは自己責任で仕方がない、ということになるのでしょうか?
しかし、議員や大臣など恵まれた立場の人間なら通称使用を認めさせられたとしても、世間一般の人はそんなに恵まれていません。戸籍の壁は頑丈であり、多くの職場で通称使用は認められず、通称使用には限界があります。丸川氏と同じように交渉しても同じ成功体験を得られない人のほうが多いでしょうし、職場で立場の弱い女性であればとりわけそうでしょう。
選択的夫婦別姓制度が実現すれば、そしてそれを選択すれば、どんな職場でもどんな場面でも、その都度がんばって交渉しなくとも済みます。それが法律による個人の保護であり、政治が責任を担うべき使命のはずです。
丸川氏のすべきことは、自分の成功体験をひけらかすことではなく、困っている人たちのために制度を変えることです。
丸川氏や反対派の議員が、自分がいかに恵まれた特権的立場にあるかに鈍感なまま、「通称使用を拡大すればそれでよい」とするのは、民間の女性たちの苦労を知ろうともしない強者の論理であって、
まるで、フランス革命時にパンを求める民衆に対して「パンがないならお菓子を食べればいいじゃない?」と言い放って民の怒りを買ったとされる、マリーアントワネットのような言い分に聞こえます。
せっかく進んだ針を戻さないように
2月に起きたことを思い出してみましょう。日本の後進性を象徴するような森氏の発言が大きく報道され、多くの人が「これはないだろう」と反発し、若い女性たちが署名を立ち上げて約15万集まり、森氏は辞任、組織委員会はジェンダー平等に向けて動き出しつつあります。
日本のようにジェンダーギャップのひどいところでも、声を上げれば社会をアップデートすることができる、という希望を若い人たちも持てるきっかけとなりました。
ところが橋本氏に代わって、五輪・男女共同参画担当大臣になった丸川氏は、これから社会に出ようとする若い人、立場の弱い女性、別姓が実現しないまま苦しんできた人たちの思いに寄り添わず、切実な願いを馬鹿にしたように笑ってけむにまき、せっかく高まったジェンダー平等の機運に冷水を浴びせています。
「やはり日本は変われない」と若い人たちが未来への希望を失い、進んだ針が後戻りすることになれば本当に残念です。
丸川氏は
「私の考えを脇に置いてでも、国際社会の理解を得る努力をまずしないといけない」とも述べたそうですが、丸川氏が理解を得る努力をすべきは、国際社会よりも国内で困っている女性たち、選択的夫婦別姓を望む人たち、それがないことにより不利益を得ている人たちです。そもそも向いている方向性が違うのではないでしょうか?
こうした状況を見ると、端的に言って、丸川氏は男女共同参画大臣として適格性を欠いており、早急に辞任すべきであり、首相の任命責任が厳しく問われなければなりません。
もし丸川氏が大臣のポストにとどまるのであれば、一連の問題を真摯に反省し、今通常国会で選択的夫婦別姓を成立させるように確約し、心を入れ替えて取り組む以外にありません(了)。