イギリスの国鉄民営化はどうして破綻したのか サッチャーの新自由主義革命はEU離脱で終わりを告げる
英国鉄改革26年目の破綻
[ロンドン発]英イングランド北部で2016年から旅客鉄道輸送を引き受けている列車運行会社ノーザンを3月1日から再国有化すると、グラント・シャップス運輸相が29日発表しました。サッチャー改革による民営化路線は欧州連合(EU)離脱をきっかけに大きく転換します。
ノーザンは528の鉄道駅を営業、1日2800本の列車を運行し、年に1億800人の旅客をさばいています。しかしインフラ投資が滞り、ダイヤの乱れ、サービスの低下、ストの多発、週末の運休が相次ぎ、利用者からの不満が膨らんでいました。
「鉄道の支配権を取り戻す最初の小さな一歩」
イギリスで国鉄(ブリティッシュ・レール)改革が始まったのは1994年。これまでの保守党は小さな政府、民営化が金看板でしたが、シャップス運輸相は「北部の鉄道網が乗客の必要とする価値あるサービスを提供しているとはとても言えない」と国鉄民営化の破綻を認めました。
「今日は北部が鉄道の支配権を取り戻す最初の小さな一歩だ」。ノーザン社は財政的に持続可能ではなく、このままでは数カ月間しか継続できない経営危機に陥っていました。シャップス運輸相が打ち出した方針は次の通りです。
・ノーザン社の鉄道網の他の場所から多くの電車をマンチェスターとリーズに集めて、旅客能力を高める
・今春までに30の駅でプラットフォームを延長して車両数の多い列車を運行できるようにする
・列車の清掃を徹底する
・日曜日のサービスの信頼性を向上させる
・地元に権限を与える
・雇用削減や運賃の値上げはしない
鉄道の再国有化は最大野党・労働党の強硬左派ジェレミー・コービン党首が掲げてきた主要政策だっただけに、驚きました。保守党は鉄の女・マーガレット・サッチャー首相時代の「小さな政府」から「大きな政府」に180度舵を切ったのです。
背景に、イングランド北部にある旧炭鉱・造船街のオールド・レイバー(古い労働党)の支持を受けて先の総選挙で保守党が地滑り的な大勝利を収めたこと、イギリスの長期金利が0.5%と低いため政府が借り入れをしてインフラ投資に充てやすい状況にあることが指摘できます。
「上下分離」方式の問題点
イギリスの国鉄は1994年以降の改革で運行とインフラを分離した「上下分離」方式で運営されるようになり、「上(運行)」の旅客輸送部門は25の列車運行会社に分割、民営化されました。現在、列車運行会社の数は21です。
「下(インフラ)」の鉄道網や駅を提供しているがネットワーク・レール社。車両はリース会社が列車運行会社に貸し出しています。
「上下分離」方式は同じ路線で運行する複数社が競争することで運賃が下がり、サービスが向上する市場のメリットが強調されましたが、現実は理論通りにはいきませんでした。
問題を抱えている列車運行会社はノーザン社だけではありません。イングランド南部の列車運行を引き受けるサウス・ウェスタン・レールウェイ社の利用者の3分の2が運賃の高さに不満を募らせています。
イギリスの鉄道に詳しい藤山拓ロンドン大学准教授に今回の再国有化について尋ねてみました。
藤山准教授「“上下分離”と“民営化”は別のものです。自分は経済屋ではないのですが、エンジニアリングの観点から上下一体となった鉄道運営の必要性を感じます。特に下をやっている側は、上への影響は分かるが、結局下だけの論理で動いてしまうのです」
「また逆に言えば、下を分かっていない人が上の計画を作ると、例えばそれが下も絡む計画であれば(例えば電化による輸送改善)、無理だらけの計画になってしまいます」
「もし上下を分離するのであれば、それを仕切る行司が、上下両方に精通し、上下それぞれの運営また事業計画をチェックしまたルールを設定する必要がありますが、鉄道は多方面の技術の融合という面もあり、行司にはハイレベルの能力が求められます」
日本の国鉄民営化との違い
関係者によると、英運輸省は経済屋や事務屋が多く、ノーザン社を審査する際、下の遅れの影響をまともに受けるような体制・事業計画になぜゴーサインを出したのか疑問視する声があったそうです。
旧ブリティッシュ・レール関係者の中には「ブリティッシュ・レールはもともと中央集権的で何をやるにも時間がかかり責任もあいまいだったが、末期には地域毎に運営体を作り、権限を与えた。その際は割と上手くいった」と振り返る人が多いそうです。
日本の国鉄民営化は基本的に運行とインフラを一体的に運営しています。鉄道はインフラへの投資が欠かせません。保線を怠ると大事故につながりかねません。日本では運行や駅ナカ事業で儲けたオカネを研究開発やインフラへの投資に充て、サービス向上に努めてきました。
イギリスの国鉄改革との最大の違いは、日本のJR各社は民営化されたと言っても「国民の交通インフラを守る」という良い意味の”国鉄魂(鉄道マンとしての魂)”を受け継ぎました。
これに対してイギリスでは事業を細分化し過ぎた結果、設備投資と保守管理が不十分となり、2000年には老朽化したレールが破断するというハットフィールド脱線事故の大惨事が起きています。
世界金融危機で金融機関への公的資金注入が相次ぎ、一部が国有化されました。今回の鉄道再国有化も行き過ぎた市場主義の失敗を政府が介入して是正する試みです。イギリスのEU離脱には市場主義の是正という側面があることも忘れてはいけません。
(おわり)