【京都府長岡京市】鉄道ファン必見! 文明開化の息吹を伝える水路閣より古い現役のレンガ造りアーチ橋!
明治期に造られたレンガ造りのアーチ橋といえば、田辺朔郎が設計したとされる琵琶湖疎水の「水路閣」が有名ですね。しかし長岡京市には、その水路閣建設より、14年さかのぼる1876年(明治9年)に開通した二つのレンガ造りアーチ橋、通称「神足六連橋」「老ヶ辻三連橋」が、今も現役で活躍しています。2022年7月27日にその雄姿を見学に行きました。
日本の鉄道は、1872年(明治5年)に新橋-横浜間で初めて開通しました。その4年後に向日町から大阪に向けて、初めて蒸気機関車が走りました。当時の鉄道は「陸蒸気」(おかじょうき)と呼ばれ、文明開化の象徴だったのです。
その時に、イギリス人ブランデル技師の設計によって開通したアーチ型の鉄道橋が、長岡京市馬場にある「七反田橋梁」(神足六連橋)と長岡京市神足(こうたり)2丁目の老ヶ辻(おいがつじ)橋梁(老ヶ辻三連橋)です。
神足六連橋は、京都-大阪間に現存する橋の中では、最多の連続アーチ橋です。現在は複々線のためにコンクリートで西側に継ぎ足をされています。
では、川でもないのに何故この橋が造られたのでしょうか。橋の西側を流れる小畑川は、かつて、渇水時には水が一滴も無くなる「狐川」、一旦出水すると堤防を決壊させる「暴れ川」でした。そのため、鉄道の築堤は高く設定されました。洪水時には水をせき止めて被害を広げることが推定されたのです。そのため、この橋は排水用として造られたそうです。
勝竜寺城公園近くにある住宅街の傍らにある老ヶ辻三連橋もまた、同じ年にブランデル技師の設計によって造られました。川の土手から橋梁がよく見えます。河原に降りることもでき、飛び石もあって、向こう岸に渡ることもできます。この土手からJR線の走る姿は絶景です。鉄道ファンにはたまらんやろなと思いました。
二つの橋は、開通時の姿そのままで残り、現役で活躍している貴重な文化遺産と言うことができます。145年近く風雪に耐え、文明開花の息吹を今に伝えています。
「七反田橋梁」(神足六連橋) 京都府長岡京市馬場4
「老ヶ辻(おいがつじ)橋梁」(老ヶ辻三連橋) 京都府長岡京市神足2丁目17