北朝鮮の美人ウェイトレス「残酷ショー」怖くて集団亡命
中央アジアのウズベキスタンの首都・タシュケントにある北朝鮮レストランの女性従業員5人が、脱北して韓国に到着したと、朝鮮日報など韓国の一部メディアが2日までに報じた。
北朝鮮レストランからの集団脱北事件としては、2016年4月に上海の南にある浙江省寧波の北朝鮮レストラン「柳京食堂」から従業員と支配人ら13人が韓国に亡命した事例がある。美人ウェイトレスが歌や踊りを披露することで有名な海外の北朝鮮レストランは、同国の重要な外貨獲得手段でもあり、事件は平壌当局に衝撃を与えた。
朝鮮日報は、現地の情報筋と情報当局の話を引用し、タシュケント市内の北朝鮮レストラン「ネゴヒャン」(私の故郷)で働いていた女性従業員Aさんがまず今年5月に脱北したと報じた。
Aさんは、現地在住の韓国人男性と手紙を交換するなどして、長きにわたって交際し、脱北の意思を示した後、男性の助けを受けて韓国大使館を訪れたと同紙は報じている。
次いで6月に1人、8月に3人と現地の韓国大使館を訪れ、脱北の意思を伝えたとのことだ。Aさんの脱北後、現地には保衛部(秘密警察)の要員が派遣され、残りの従業員は取り調べを受けたもようだ。従業員らは帰国させられた後、極刑が下されるのを恐れて脱北したという。
(参考記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面)
公開処刑や政治犯収容所の運営を担当する保衛部は、金正恩総書記の恐怖政治を象徴する存在だ。脱北した女性従業員らは主に20代だと推察されるが、その若さだと、保衛部要員からキツイ取り調べを受けるのは初めての経験だったろう。
金正恩政権になって以降、公開処刑の嵐が吹き荒れたのは2010年代半ばのことだ。当時、まだ幼かったであろう彼女らは、それを直に見たことはなかったかもしれない。
しかし、それがどれほど恐ろしいものであるか、噂ぐらいは耳にしていたはずだ。そもそも国民の間で恐怖が共有されなければ、恐怖政治を行う意味がない。そうした意味で、公開処刑はより多くの国民に見せつけるための「残酷ショー」なのだ。
ただ実際のところ、新型コロナウイルス対策で国境を封鎖している北朝鮮は、中国で摘発された脱北者の受け入れすら拒否している状況であり、彼女らがすぐに送り返されたかは微妙だ。