ハリルホジッチの合宿スタート。練習非公開は是か非か?
バヒド・ハリルホジッチ監督が率いることになった新生日本代表。3月23日に大分で合宿が始まったが、練習は連日、非公開とすることになった(メディアだけ冒頭の15分間の取材が許されるが、それは非公開同然である)。
では、練習を非公開とすることにどんな意味があるのだろうか?
一つは、メディアという雑音を封じることで、整然と練習を行い、お互いが意思を疎通し、集団の中の団結力を生み出す。
もう一つは、試合直前にセットプレーなど敵に知られたくない細かいプレーの確認をする。
合宿2日目からの非公開なので、やはり前者が理由なのだろう。
しかし、練習の日常的な秘匿は、思いの外、選手の緊張を強いることがある。
アルゼンチン代表、チリ代表を率いて旋風を巻き起こしたマルセロ・ビエルサは、基本的に練習を公開しているが、その理由は簡潔だった。
「プロサッカー選手というのはスタジアムで常に衆目に晒されています。練習非公開は、むしろ不自然な状況を作り出してしまうわけです」
なんと論理的な答えだろうか。
2005年6月に平壌で開かれる予定だった FIFAワールドカップ・ドイツ大会のアジア最終予選、北朝鮮対日本は無観客試合で行われた。北朝鮮の観客の暴動行為にペナルティが科された形だったが、日本の選手たちは無観客という状況に違和感を覚え、本来の力を出すのに苦労したという。
サッカーは、メディアを含めた観客とのコミュニケーションによって成立している競技である。その色合いは、他のスポーツ競技よりも濃いだろう。それはホームとアウエーでの歴然とした成績の違いにも反映されており、「一流選手は周囲からわき出る感情の熱量で飛躍を遂げる」ともいわれる。逆説すれば、メディアやファンの目にさらされたときに力が出せない選手は、脱落を余儀なくされる。
言い換えれば、雑音に囚われてしまう監督は足下をすくわれるのだ。
<初日の練習時間は25分>
そんな報道がトップニュースになった。ハリルホジッチ監督としては想定やしきたりを壊し、まずは選手たちに自分流を伝えたい意向があるのかもしれない。メンバー発表でスタンドマイクとスクリーンを使ったパフォーマンスも、その一つなのだろう。ブラジルW杯で惨敗し、アジアカップでも敗れ去り、自信を喪失しつつある日本サッカーを自分が変えたい、変えられる、という強い意志が見て取れる。
ハリルホジッチの発言は一様に強気で、彼の放つ覇気は間違いなく選手にも伝わるだろう。その点は期待できる。一方で監督の振る舞いで一番注目されるのは練習場である。だからこそ、そこで手の内を隠さず、"全部見せたとしても、その本質はまだ手の中にある。誰が見ていようと、統率できる"という剛毅さを見せて欲しかった。
もっとも、監督の振る舞い方に正解はない。
例えば、ビエルサは変わり者として有名で、スポンサーのスーツ撮影も欠席するのに、子供好きなので練習場に社会見学で来た少年少女たちを招き入れ、ピッチで嬉しそうに会話をすることもある。何を是、何を非とするのか。ジョゼップ・グアルディオラは「報道の平等」を重んじており、単独インタビューは受けない。ジョゼ・モウリーニョは会見を舞台化する。
指揮官として自分のサッカーをいかに発信するか。
それは練習の公開、非公開一つをとっても象徴的であり、選手をいかに統率し、メディアといかに付き合うか、というのは、それはサッカー監督たちの命題なのだろう。