杉山清貴、変わらない声、変わり続ける歌 AORの現在地を映し出す新作に感じる“好奇心”
2年ぶりのオリジナルアルバム『Rainbow Planet』に込めた思い
2018年にデビュー35周年を迎えた杉山清貴は、昨年60歳を迎えた。しかしその声はデビュー当時と変わらない透明感を湛え、瑞々しさ、爽やかさを感じさせてくれ、そこに艶が加わり、唯一無二のボーカリストとして輝きを放ち続けている。毎年作品をリリースし、ライヴを精力的に行い、休みなく歌い続けている。そんな歌い続けてきたからこその“自信”、そしてニューアルバム『Rainbow Planet』(5月13日発売)の収録曲「Other Views」の中で本人が綴っている、「同じ景色だけ眺めていたら、明日を迎える勇気は生まれない」という、常に新しいことを追求しようという探求心と、ニュートラルなマインドが圧倒的な“強さ”になっている――今回本人にインタビューをし、そう感じた。「杉山清貴っぽいアルバムだなと自分で思った」という、2年ぶりのオリジナルアルバム『Rainbow Planet』について、そして改めてアーティスト・杉山清貴という存在について、話を聞いた。
セルフプロデュースから、プロデューサーに全てを委ねようと思った理由
『Rainbow Planet』は杉山が音楽プロデューサー・Martin Nagano氏と作り上げた『Driving Music』(2017年)、『MY SONG MY SOUL』(2018年)に続く3作品目になる。それまでセルフプロデュースというスタイルをとっていた杉山が、シンガーに徹して作りあげた“3部作”だ。
「僕は基本面倒くさがり屋なので(笑)。強迫観念に駆られるかのように、80年代から20年以上毎年アルバムを出してきて、なんでこんなことをやり続けてるのかなって思ってしまって。それで、2016年に『Ocean』というアルバムを作った時に、やり切った感というか、こういうアルバムを作りたかったんだと腑に落ちて。セルフプロデュースをやるのはしばらくいいかなと思ったんです。そんな時にMartinさんに出会って、自分が持っていない世界を、引き出してもらおうと思いました」。
杉山が“次のステージ”へ向かおうという気持ちになってすぐに、大貫妙子や南義孝、小野リサなど数多くのアーティストや、映画『耳をすませば』の劇伴などを手がけたMartin Nagano氏と出会い、同年代の二人は意気投合した。“更新”を続ける杉山にとって40周年を目前にこの出会いは大きかったという。
「全てタイミングだと思います。プロデューサーを探そうと思っていた時に、Martinさんを紹介されて。いきなり濃い人と出会ってしまって(笑)。彼はアレンジをするプロデューサーではなく、全てを統括するポジションで、特にその“音脈”がすごい。作家、ミュージシャンを総動員して、とにかくいい音源を集めてきてくれる。『MY SONG MY SOUL』の時は、いいミックスができました、じゃあアビーロードスタジオでマスタリングやってきますって言って、『えっ、アビーロードに?』ってビックリしたし、なかなかできることじゃないし、そういう“音脈”を持っているのがすごい。そんな彼と出会って、最初は我々の世代はやっぱりAORだよねという方向性を決めて制作に入りました。僕はオメガトライブの時からそうですけど、もちろん自分でセルフプロデュースもしますけど、まな板の上の鯉になるのも得意なんです。どうにでもしてくださいという状態に自分を置いた時に、どこまで遊んでくれるかが、プロデューサーに求めることです。『Driving Music』はMartinさんが杉山清貴というボーカリストを、どう料理したら面白いのかなと、探りながらやっていたと思います。次の『MY SONG MY SOUL』ではソウルっぽい感じの曲も入ってきて、今回の『Rainbow Planet』では、若手の作家陣と僕の歌がどんな化学反応が起こるのか、試したかったのだと思います」。
「ここ数年は曲、サウンドを作ることよりも、“歌う”こと、そして歌詞を書くことが楽しくなってきた」
その言葉通り、『Rainbow Planet』にはフィロソフィーのダンスなどに楽曲提供し、注目を集めている宮野弦士や、AORやフージョンを得意とするクリエイター・福田直木(ブルー・ペパーズ)などの若手から、これまでも杉山に楽曲を提供してきたmanzo、澤田かおり、和悠美、鈴木伸一郎、さらに野見祐二、成田忍、そして売野雅勇、高柳恋、西脇辰弥というベテランまで、そのクレジットを見ているだけでも仕上がりが楽しみになる、幅広い世代の作家陣が上質なポップスを作り上げている。表題曲の「Rainbow Planet」は売野×宮野という大御所と若手のタッグが実現し、瑞々しくも深い“シティポップ”が完成した。杉山本人も“当時”の風景や匂い、ワクワクをパッケージした「Omotesando’83」と、今どうしても伝えたいことを綴った「Other Views」で詞を書いている。そして「もう僕らは虹を見て、綺麗だとは言わない」では、作曲を手がけ、日本を代表する作詞家の一人、高柳恋とのコラボが実現した。
「前は曲を作る面白さ、サウンドを作る面白さを追求していましたが、ここ数年はそれが歌を歌うことへの熱量に変わりました。歌詞に関しては、ここ何年かでやっと詞を書く楽しさ知ることができて。しかもこのプロジェクトだとすごく詞が書きたくなるし、Martinさんがそういう興味深い曲を持ってきてくれて、メロディを聴いていると詞を書きたくなるんです。『Other Views』も曲を聴いた時に、イーグルスを彷彿させるような雰囲気ですごくよくて、詞を書かせて欲しいと提案しました。『Omotesando’83』は曲を聴いた瞬間、ウワッて思って、当時、デビューが決まって、事務所から見下ろす表参道の交差点の風景がすぐ浮かんできて、だからあの頃の自分たち(オメガトライブ)の歌です」。
「今の若い世代がカッコいいと思っているAORを、彼らが作る方がそれっぽくなる」
『Rinbow~』は、曲もアレンジも20代が作ったと思えない。知らない人が聴くとおっさんが作っていると思いますよ(笑)。歌っている時に、20代の自分が書いた曲みないだなと思いました。僕らみたいにAORやシティポップをリアルタイムで聴き、体現している人間は、そこに戻ろうとしても戻れないんですよね。それこそ『さよならのオーシャン』みたいな曲をもう1度書いてくださいって言われても、もう書けない。それは“通過”してしまっているからで、だから逆に今の若い世代がカッコいいと思っているAORを、彼らが作る方がそれっぽくなる。アレンジの問題ではないんです。メロディを生み出すのはアレンジと違うので、アレンジだったらその時代のものを持ってくればそれらしくなりますけど、メロディはやっぱりあの頃巷でガンガン鳴っていたものが体に入っていて、それが出てくるので、今は出そうとしてももう無理という感じになります。だから若い世代の作家が作ってくれるものを素直にすごい!って思えます。『もう僕ら~』は、まだ集大成じゃないですけど、一連の流れのひと区切りになっている気がしますし、このアルバムに辿り着くために、前作2作があるという気もしています」。
「昔も今も“虹”が自分の中のひとつのキーワードになっている」
シティポップという言葉が一般的になる前から、杉山は35年以上それを鳴らし続け、血肉化された中で、これまで様々なジャンルの音楽を聴かせてくれた。ブレがない、しっかりとした芯があるからこそ、どんな音楽を歌っても極上の気持ちよさを提供してくれる。今回の作品にも色々なジャンルの音楽が響いているが、極上のポップスアルバムに仕上がっている。
「僕の今までの作品や今回のアルバムも、“虹”という言葉がキーワードとして入っている曲が多いなって思って。以前住んでいたハワイのオアフ島って、レインボーアイランドって言われるくらい色々な場所で一日中虹がかかっているんです。大きさや形は毎回違うし、角度によって見え方も変わるし、そういう体験もあるので“虹”は自分の中でひとつキーワードになっています。今回のアルバムも色々な人が参加して、色々な色が入っているので「虹」がキーワードになると思いました。プロデューサーを立てて3作目で杉山清貴らしさが一番出ていると思うし。タイトル候補はたくさんあったけど、『Rainbow Planet』という曲のタイトルがあまりにもしっくりきてしまってこのタイトルになりました」。
「オメガトライブ時代の曲をソロで歌うのと、オメガトライブのメンバーの演奏で歌うのとでは全く違う。“きちんと”歌わなければハマらない」
杉山は2018年~2019年にかけて、35周年イヤーで杉山清貴&オメガトライブの活動にフォーカスし、その変わらないサウンド、声で全国ツアー(13公演)も大成功させた。筆者も2018年の14年ぶりの結成ライヴを日比谷野音で観たが、改めてその素晴らしい音楽に感動した。お客さんも全員一緒に口ずさみ、その熱狂ぶりは今もハッキリと覚えている。今年もオメガトライブとしてのライヴが予定されていたが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で延期になってしまった。
「久しぶりにメンバーのオリジナルの演奏で歌った時、ソロのライヴで歌う時とはやっぱり全然違うんですよね。ソロの時、全く同じアレンジでやっても歌がそこにいかないというか。自由な杉山清貴の歌にはなるんですけど、あのメンバーと音を出すと、オメガトライブの歌い方にちゃんとしないとハマらないなというのをすごく感じています。ある意味それは僕にとって大事なことで、自由奔放に歌っているだけではなく、“きちんと”した歌を歌える唯一の場所であると思います。そうでなければお客さんにも失礼だという感じです」。
増田敏郎とのユニット、DA・BUDSでの杉山清貴と、“パブリック”的な杉山清貴と
目前に迫った40周年に向けての野望を聞いてみると――。
「杉山清貴という名前でやるにあたっては、自分の中では特に何も決めていなくて、今はMartinさん任せで、面白いことをやりたいなと思っています。僕は元々音楽は遊びという発想から始まっているので、自分が遊べる場がたくさんあればいいかなって。関西のミュージシャン増田俊郎さんと、もう20年くらいやっているユニットのDA・BUDSでは、自分の色はガンガンに出しているので、パブリック的な杉山清貴としては、“ちゃんとしたもの”を皆さんに提供していくために、自分の思いだけでは作品は作れないと思っています」。
杉山は4月29日に「杉山清貴STAY HOME SPECIAL ミュージックビデオ特集」と題して2013年から最新作までのミュージックビデオや、杉山清貴&オメガトライブのライブ映像を、本人が撮影秘話などを語りながらLINE(@kingrecord)でライブ配信した。「いつ、こういう状況が終わるかわかりませんけど、それまでなんとか頑張って、自分の今までできなかった事を見つけてやってみたりとか、普段やらないような事をやってみたりするとか、いい時間になるんじゃないかと思います。すべてが終わったらライブ解禁して、そして盛り上がりましょう!」とメッセージを贈った。
昔も今も杉山の歌、声はまさに一服の清涼剤になり、そして同時に、色々なことを気づかせてくれ、希望を与えてくれる言葉がスパイスにもなってくれる――「同じ景色だけ眺めていたら、明日を迎える勇気は生まれない」。