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トランプ大統領がバレット連邦控訴裁判事を次期最高裁判事に指名した本当の理由を明らかにする

中岡望ジャーナリスト
トランプ大統領は保守派のエイミー・バレット連邦控訴裁判事を次期最高裁判事に指名(写真:ロイター/アフロ)

■ エイミー・バレット連邦控訴裁判事指名は”オクトーバー・サプライズ”か

アメリカの政治において最高裁がいかに大きな役割を果たしているのかについて既にヤフーの別稿で説明した(https://news.yahoo.co.jp/byline/nakaokanozomu/20200920-00199140/)。過去において最高裁の判決はアメリカ社会の方向性を決定してきた。最高裁は、保守派とリベラル派が社会的価値観を巡って争う“文化戦争”の場所になっている。最高裁判事は9名で構成されている。保守派とリベラル派は、それぞれ自分たちのイデオロギーに近い人物を最高裁判事に送り込もうと激しい対立を繰り返してきた。最高裁判事は、大統領によって指名され、米議会上院で承認されなければならない。上院における最高裁判事の承認に関する公聴会では常に激しい論争が行われ、幾つかの劇的なドラマの展開も見られた。

 9月18日にリベラル派のギンズバーグ判事が死亡し、最高裁の判事の思想的色分けは、保守派が5名、リベラル派が3名へと変わった。民主党は新最高裁判事の指名と承認は選挙後に新しい大統領と新しい上院で行われるべきだと主張した。トランプ大統領の決定に従って選挙前に最高裁判事に保守派の人物の就任が承認されれば、保守派の判事が6名と圧倒的な数を占めることになる。民主党は、そうした事態は絶対避けなければならなかった。

 他方、トランプ大統領と共和党にとっては、これは絶好の機会であった。新最高裁判事が保守派になれば、今後予想される様々な訴訟で保守派の主張が通る可能性が高くなるからだ。しかも最高裁判事の任期は終身であり、政権が交代し、議会の勢力が変わっても、保守派の判事は最高裁を支配し続けることができるからだ。

 またリベラル派の反対を押し切ってもトランプ大統領が新最高裁判事の指名に踏み切った別の理由がある。それは、世論調査を見る限り、大統領選挙でトランプ大統領の劣勢は明らかだからだ。上院も100議席のうち、現在は共和党が53議席を占めている。上院の選挙予想では、現状では共和党が非改選を含めて過半数を維持する可能性が強い。だが選挙情勢は流動的である。共和党が上院の過半数を維持できたとしても、議席数を減らす可能性は大きい。トランプ大統領には、自分が大統領職にあり、共和党が上院の過半数を占めている間に、強引でも新最高裁判事を任命したいという強い思惑があったのは間違いない。さらに言えば、後で詳述するが、最高裁判事指名はトランプ大統領にとって大統領選挙の劣勢を覆す絶好のチャンスでもある。

 大統領選挙には“October Surprise”が起こると言われている。選挙の土壇場の10月に想定外の事態が起こり、選挙情勢を大きく変えることがある。過去に、そんなサプライズは何度かあった。たとえば2016年の大統領選挙では、民主党のヒラリー・クリントン候補が世論調査で共和党のトランプ候補を圧倒していたが、10月28日にFBIが、クリントン候補が公務に私用電子メールを使ったという古い疑惑が蒸し返し、新証拠が見つかったとして再調査すると発表した。これで世論の流れは一気にクリントン候補に批判的となり、最終的に多くの予想に反してクリントン候補は敗北を喫した。2012年の大統領選挙でも、ハリケーン・サンディがアメリカ東部を直撃し、その対応でオバマ大統領が手腕を発揮したことで、共和党のロムニー候補を振り切った例がある。

 

 トランプ大統領の劣勢の理由のひとつに、最大の支持層である宗教票のトランプ離れがある。敬虔なカトリック教徒で、保守派のバレット連邦控訴裁判事を最高裁判事に指名したのは、宗教票を取り戻す狙いがあった。バレット判事の最高裁判事指名は、トランプ大統領にとって”オクトーバー・サプライズ“になるのだろうか。

■ エイミー・バレット判事とは何者か

 バレット判事の指名は保守派の選考基準を満たしていた。保守派は女性の中絶権を認めた「ロー対ウエイド裁判」を覆すことを大きな目標に掲げている。バレット判事は反中絶派のプロライフの立場を明確に表明している。同判事は現在48歳で、第7巡回区控訴裁判事の職にある。2017年にトランプ大統領によって連邦控訴裁の判事に指名され、議会で承認された。トランプ大統領にとってバレット判事は旧知の関係にある。彼女は2年前、辞任したアンソニー・ケネディ最高裁判事の後任候補に挙がっていた。最終的にはブレッド・カバノー連邦控訴裁判事がトランプ大統領に最高裁判事に指名され、上院の承認を得て最高裁判事に就任している。

 ちなみにバレット判事は上院で55対43で連邦控訴裁判事に承認されている。民主党の3名の上院議員が賛成票を投じている。バレット判事は、テネシー州のローズ大学を経てノートルダム大学法科大学院を卒業。短期間、民間の法律事務所で働いた後、母校のノートルダム大学で教鞭を取っている。この間に保守派の最高裁判事アントニン・スカリア判事の調査官(law clerk)を務め、同判事の薫陶を受けている。彼女はスカリア判事を「自分に計り知れない影響を与えた」人物であると書いている。バレット判事が最高裁判事に承認されれば、彼女は最初のアイビー・リーグ以外の大学を卒業した最高裁判事になる。さらに歴代最高裁判事で最年少の判事となる。バレット判事には子供は7名いるが、これは同判事がカトリック教徒で、カトリック教の避妊や中絶を拒否する教義が影響しているのかもしれない。

 バレット判事のカトリック教徒であるが、プロテスタントの白人エバンジェリカルの支持を得てる。その理由は、彼女が1973年に女性の中絶権を認めた「ロー対ウエイド判決」を覆す投票をすると期待されているからだ。さらに同判事が銃規制にも反対しているのも、保守派に受け入れられる要因となっている。

 バレット判事の考え方を知る幾つかの資料がある。1998年に裁判所調査員を務めているとき、「中絶を禁止するという教会の教えは絶対である」と書いている。さらに2003年に「最高裁が『ロー対ウエイド判決』で女性に中絶権を認めたのは間違った判断である」とも主張している。こうした文章からも、バレット判事が中絶に反対していることが窺われる。ただ別の顔も見せている。連邦控訴裁判事として、女性が中絶のために病院に入るのを阻止することを禁止するシカゴ市の法律を支持する投票を行っていることだ。アメリカでは中絶を求めて病院に訪れる女性をピケを張ったり、暴力的に阻止する事件が頻発している。バレット判事は、そうした行為を禁止する法律を支持している。そうした事実から、バレット判事はドグマ的な反中絶派であると断じるわけにはいかないのかもしれない。2013年に行った演説の中でバレット判事は「中絶権の基本となる保護条項を最高裁が覆すということはあり得ない(very unlikely)」とも発言している。法律家と宗教者の間での揺れがみられる。

 いずれにせよ上院司法委員会で最高裁判事候補は「ロー対ウエイド判決」について私見を求められることは間違いない。筆者の知る限り、上院司法委員会で明確に「ロー対ウエイド判決」を否定した最高裁判事候補者はいない。いずれも口を濁す発言を繰り返している。「ロー対ウエイド判決」は、最高裁判事を承認するかどうかを決めるリトマス紙でもある。バレット判事が上院公聴会で「ロー対ウエイド判決」に関する質問に対してどのような答えをするのかが注目される。ちなみにバレット判事は連邦控訴裁判事に就任する際の上院の公聴会で「私の所属する教会、宗教的信念のために、判事としての義務を放棄することはない」と、宗教的立場よりも判事としての立場を優先すると答えている。

 中絶問題だけでなく、バレット判事はオバマケアに反対する意見を持っている。オバマケア廃止は、トランプ大統領と共和党の願望でもある。ただ、今までその試みは最高裁判決で阻止されている。バレット最高裁判事が誕生すれば、オバマケアが再び最高裁の審理の対象になるのは間違いない。リベラル派や民主党は、バレット最高裁判事就任で今まで推し進めてきたリベラルな政策が覆されるという危機感を抱いている。こうした政策は最終的に最高裁で審理され、保守派が多数を占める最高裁で民主党の政策がことごとく覆される可能性がある。

■ 紛糾が予想される上院での審議

 共和党の上院司法委員会のリンゼー・グラハム委員長は、フォックス・ニュースでのインタビューで「バネット判事の上院での承認公聴会は10月12日から始まる」と答えている。同委員長は審議日程を決める権限を持っている。さらにグラハム委員長は「10月26日までにバレット判事の最高裁判事就任を承認したい」とも語っている。トランプ大統領も11月4日の投票日までに上院でバレット判事の最高裁判事が承認されることを期待している。ただ民主党の上院司法委員会の委員であるリチャード・ブルメンソール議員は、トランプ大統領の指名の仕方に抗議して、「指名の手続きが合法的ではない」とし、バレット判事に事前に面談を行わないと語っている。野党は最高裁判事候補と事前に面談する慣行があるが、現民主党議員はそうした慣行に従わないと強硬な姿勢を見せている。民主党がバレット判事の承認に反対を表明して以降、民主党支持者から3億ドル以上の献金が集まっている。こうした世論の支持を得て、民主党は強硬な姿勢を取るものと予想される。バレット判事の最高裁判事承認で上院の党派対立はさらに深刻化し、審議は波乱含みになるのは間違いない。

 審議時間に関して言えば、2000年以降では最高裁判事の大統領指名から上院承認までにかかった平均期間は69日である。上院の共和党が無理やり審議を急がせれば別だが、通常で考えれば、上院がバレット判事の最高裁判事就任を承認するのは12月になってからであろう。セクハラ問題で紛糾したブレッド・カバノー判事は、7月9日にトランプ大統領に指名され、上院が承認したのは10月6日である。3カ月かかっている。トランプ大統領の最初の最高裁判事に指名されたニール・ゴーサッチ最高裁判事は1月31日に指名され、4月10日に上院で承認されている。それほど深刻な問題ではなかったにもかかわらず上院での承認に3カ月弱かかっている。

 もしバレット判事に審議の過程で何等かのスキャンダルが明らかになれば、審議は紛糾し、承認まで長い時間がかかるだろう。グラハム委員長が希望するように2週間で審議を終えるのは難しい。上院の承認に時間がかかり、選挙後の新議会で審議される可能性もある。新議会は2021年1月3日に開催される。可能性は低いが、選挙で民主党が上院で過半数を得る事態が起これば、バレット判事の承認自体が難しくなる。バレット判事も「私は承認に向けた道が容易であるという幻想は抱いていない。短期かもしれないし、長期間に及ぶかもしれない」と語っている。

 上院司法委員会は、最高裁判事候補個人に対するヒアリングを開く前にFBIによる身辺捜査が行われる。個人に対するヒアリングが終わると、様々な証人を呼んでの公聴会が開かれる。そうした手続きを経て、上院司法委員会が票決を行う。司法委員会委員長は共和党のグラハム議員、副委員長は民主党のダイアン・ファインスタイン議員である。委員は共和党議員が11名、民主党議員が9名であり、票決になれば間違いなくバレット判事の最高裁判事就任の賛成票が反対票を上回るだろう。司法委員会の票決を受け、上院総会で最終決定される。選挙前に上院総会で票決が行われた場合、現在の上院の勢力は共和党53議席、民主党47議席で、同判事の最高裁判事就任は承認されるだろう。

■ トランプ大統領のバレッド判事指名の本当の狙い

 最高裁を支配し、保守派の意向に沿った判決を引き出し、アメリカ社会を変えるというのが保守派や白人エバンジェリカルの野望である。特に白人エバンジェリカルはすべての法律は「聖書」の基準に一致すべきだと主張している。トランプ大統領のバレット判事の最高裁判事指名は、こうした白人エバンジェリカルの意向を踏まえたものである。

 だがトランプ大統領には、もっと切実な狙いが存在する。それは大統領選挙で勝利するということだ。世論調査では、トランプ大統領の劣勢は明らかである。その最大の理由は、2016年の大統領選挙で当選の原動力になった白人労働者と白人エバンジェリカルがトランプ離れを見せていることだ。今回の選挙でも大勢としては、白人エバンジェリカルのトランプ支持で変わりはないが、間違いなく“トランプ離れ”の現象もみられる(ダニエル・コックス、2020年6月27日のAEI「Trump is in danger of losing some of his most faithful voters」)。2016年の大統領選挙では、トランプ候補が獲得した票の3分の1は白人エバンジェリカルの票であった。トランプ大統領が再選を果たすには2016年の選挙で獲得した白人エバンジェリカルの票を維持する必要がある。2つの選挙の6月時点での白人エバンジェリカルのトランプ支持率を比較すると、2016年では支持率は78%(ピュー・リサーチ・センター調査)であった。だが今回の選挙では、その支持率は69%(AEI調査)にまで低下している。異なった調査で、そのまま比較はできないが、この調査を比較することで白人エバンジェリカルの動向を推測することはできる。10ポイント近い支持率の低下は、トランプ大統領にとって致命的といえる。

 また前回の大統領選挙では、白人エバンジェリカルは宗教性が薄いクリントン候補を忌避した。だがジョー・バイデン候補は“敬虔なカトリック教徒”で、その真摯な宗教性を疑う人は少ない。これはクリントン候補と基本的に違う点である。むしろトランプ大統領の道徳性や宗教性が問題になっていることもあり、白人エバンジェリカル票は2016年とは異なった動きを示している。

 2016年のトランプ候補対クリントン候補、2020年のトランプ大統領対バイデン候補に対する白人エバンジェリカルの対応に明確な違いがみられる。オバマ大統領、クリントン候補は白人エバンジェリカルと対立したが、バイデン候補は保守的な白人エバンジェリカルと対立関係にはない。保守系のフォックス・ニュースの世論調査では、白人エバンジェリカルの36%はバイデン候補に好意的であるという結果がでている。2016年にはクリントン候補に好意的だった白人エバンジェリカルはわずか12%にすぎなかった。その差は無視できないほど大きい。大統領選挙は接戦である。支持層のわずかな変化でも、選挙結果に大きな影響をもたらす。トランプ大統領が白人エバンジェリカルの支持を数ポイント失うだけで、最終的な結果は大きく変わってくるだろう。

 トランプ陣営は最大の支持基盤である白人エバンジェリカルの支持率低下に危機感を抱いていることは間違いない。そうした状況の中で中絶に反対するバレット判事を最高裁判事に指名することは、白人エバンジェリカルの支持を取り戻す絶好の機会ともいえる。

 

 もうひとつ、トランプ大統領がカトリック教徒のバレット判事を選んだ理由がある。先に触れたように、バイデン候補は敬虔なカトリック教徒である。過去にカトリック教徒で大統領になったのはジョン・F.ケネディ大統領一人である。カトリック教徒は中絶問題に対して白人エバンジェリカルよりも厳しい姿勢を示している。限界的であるが、カトリック教徒の投票の動向で結果が大きく変わる可能性もある。そんな状況の中でカトリック教徒のバレット判事を最高裁判事に指名することは、カトリック教徒の票を確保するためにも必要である。

 ちなみに現在の最高裁判事の宗教を見てみると、カトリック教徒が6人、ユダヤ教徒が2名である。亡くなったギンズバーグ判事はユダヤ教信者であった。したがってギンズバーグ判事の死去の前の宗教状況は、カトリック教徒6名、ユダヤ教徒3名となる。不思議なことに、プロテスタントの最高裁判事は存在しないのである。カトリック教徒の票を巡ってバイデン候補とトランプ大統領が競合する。トランプ大統領としてはバレット判事を指名することでカトリック教徒の票を確保したいとの思惑があったと思われる。

 もうひとつの要因は女性票である。2018年の中間選挙で民主党が下院選挙で圧勝した。その要因のひとつは、高学歴で郊外に住む中産階級の主婦層がトランプ大統領から離れたことだ。そうした主婦層は伝統的に保守的で、共和党支持が多かった。だが彼女たちは反トランプへと変わりつつある。ニューヨーク・タイムズとシエナ・カレッジの調査では、女性票でバイデン候補がトランプ大統領を19ポイント上回っている。そうした女性票のトランプ離れを阻止するためにも、7人の子供を産み、職業人としても活躍しているバレット判事を指名することは重要であった。働く母親を訴えかけることで、郊外の高学歴の保守的な主婦層に支持を訴える効果が期待できるからである。

 バレット最高裁判事指名は単なる人事問題ではなく、大統領選挙や将来のアメリカ社会を展望した重要な決定なのである

ジャーナリスト

1971年国際基督教大学卒業、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)、東洋経済新報社編集委員を経て、フリー・ジャーナリスト。アメリカの政治、経済、文化問題について執筆。80~81年のフルブライト・ジャーナリスト。ハーバード大学ケネディ政治大学院研究員、ハワイの東西センター・ジェファーソン・フェロー、ワシントン大学(セントルイス)客員教授。東洋英和女学院大教授、同副学長を経て現職。国際基督教大、日本女子大、武蔵大、成蹊大非常勤講師。アメリカ政治思想、日米経済論、マクロ経済、金融論を担当。著書に『アメリカ保守革命』(中央公論新社)など。contact:nakaoka@pep.ne.jp

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