Yahoo!ニュース

ハリス候補とトランプ候補の接戦は続く、勝敗の予測は難しい。選挙で問われている「問題の本質」を解明する

中岡望ジャーナリスト
公開討論会でハリスは勝利したが、トランプ陣営を打ち負かすことはできなかった(写真:ロイター/アフロ)

【目 次】(字数5400字)

■支持候補を決めていないのは登録有権者の3%/■「激戦州」が選挙の最終的な結果を決める/■今回の大統領選挙は「戦後のリベラル体制」に決定的な影響を与える/■誰がトランプを支持しているのか/■民主党は労働者の支持を失った/■トランプが勝利すれば権威主義が世界を支配/〈文中敬称略〉

■支持候補を決めていないのは登録有権者の3%

 9月10日、ハリス副大統領とトランプ前大統領の最初の討論会が行われた。討論直後に行われたCNNの調査では、ハリス勝利が66%、トランプ勝利は34%と、ハリスがトランプを圧倒する結果が出た。だが、その後、行われた幾つかの世論調査では、ハリスがリードするものの、その差はわずかで、拮抗した戦いが続いている。多くの専門家は、どちらの候補が勝つか予想はできないとしている。

 大統領選挙は終盤に入った。ペンシルバニア州では9月16日から期日前投票が始まった。他の州でも相次いで期限前投票が始まる。選挙当日に投票所で投票する有権者より、期日前投票を行う有権者の方がはるかに多い。

 選挙結果を予想する上で重要な要素がある。それは「無党派層」の動向である。アメリカでは党に対する忠誠心は極めて強い。候補者が誰であれ、党が選んだ候補者に投票する。Pew Research Centerによると、有権者の33%は民主党員であり、32%が共和党員である。無党派は35%である。この無党派層の投票行動が選挙結果を左右することになる。多くの無党派層は既に誰に投票するか決めている。決めていないのは、登録有権者の3%に過ぎないとの調査もある(8月に実施されたフランクリン・マーシャル調査の結果)。現在、両候補は、この残された3%を巡って熾烈な選挙運動を展開しているのである。

 大統領選挙の結果は得票総数で決まるわけではない。各州に割り当てられた選挙人の獲得数で決まる。各州には下院議員の数に上院議員の2議席を加えた数の選挙人が割り当られている。下院議員の総数は435人、上院議員の総数は100人である。さらにワシントンDCに3人の選挙人が割り当られており、選挙人の総数は538である。270人の選挙人を獲得した候補者が勝利する。

 また州の選挙で勝利した候補は、州に割り当てられた選挙人を全て獲得する(これは「勝者総取り=a winner takes all」と呼ばれている)。ただメイン州とネブラスカ州は得票率に応じて候補者に選挙人が案分される。2016年の大統領選挙では、クリントンの得票率は48.2%で、トランプの得票率の46.1%を上回った。しかし選挙人の獲得数は227人対304人で、最終的にトランプが勝利した。

■「激戦州」が選挙の最終的な結果を決める

 もう一つ特徴的なのは、多くの州では政党支持が変わらないが、選挙のたびに異なった党の候補者が勝つ州がある。こうした州は「swing state」あるいは「battleground state」と呼ばれている。最終的に選挙結果を決めるのは、こうした「激戦州」での勝敗である。

 激戦州は7州ある。ペンシルバニア州(選挙人19人)、ジョージア州(16人)、ノースカロライナ州(15人)、ミシガン州(15人)、アリゾナ州(11人)、ウィスコンシン州(10人)、ネバダ州(6人)である。ハリスとトランプは、現在、こうした激戦州に集中して遊説を続けている。

 様々な世論調査が行われるが、その結果だけでは、選挙の結果は予測できない。政治サイトRealClearPoliticsは各種の世論調査の平均値を出している。9月15日段階では、ハリスの支持率は49.0%、トランプの支持率は47.3%である。だが激戦州を見ると、ハリスがリードしているのはペンシルバニア州、ウィスコンシン州、ミシガン州、ネバダ州の4州。トランプがリードしているのは、ノースカロライナ州、ジョージア州、アリゾナ州の3州である。激戦州が最終的にどの候補を選ぶかは、まだ断定できる状況ではない。

 ハリスは世論調査でリードするものの、決定的な切り札がない。加えて有権者の多くが「ハリスのことは良く知らない」と答えており、人物や政策が十分に浸透していない。ハリスに不安感を覚える人は多い。2020年の大統領選挙では「トランプは嫌だ」という人が大挙してバイデンに投票し、史上最高の投票率を記録し、バイデンを勝利させた。今回も反トランプ派を動員して、高投票率が実現すれば、ハリスに有利に働くだろう。

 特に女性票と若者層の動向が鍵を握る。2022年の中間選挙で共和党の大勝が予想されたが、結果的に共和党は伸びなかった。その最大の要因は中絶問題で、多くの女性が共和党候補を支持しなかった。今回も女性票が動けば、ハリス勝利の確率は高まる。女性票がハリスに向いている兆候は見られる。女性のハリスに対する政治献金は大きく増えている。

 バイデンのもとで動きの鈍かった若者層にも動きはみられる。選挙運動のボランティアに応募する若者の数は、ハリスが大統領候補に指名されてから飛躍的に増えている。ただオバマの選挙の時ほどの熱気と盛り上がりは感じられない。

■対立の背景にある深刻な”社会的分断”

 今回の大統領選挙は、アメリカにとってだけでなく、世界にとっても極めて重要な意味を持っている。ハリスとトランプの対立の背景には、アメリカ社会の深刻な分断がある。その分断は、もはや修復不可能な状況になっている。

 アメリカでは長い間、社会的・倫理的価値観を巡る「文化戦争」が戦われてきた。保守派や保守的なキリスト教徒であるエバンジェリカル(福音派)は、伝統的価値観、特に家父長制を軸とする伝統的家族観こそがアメリカ社会の基本であると主張し続けている。伝統的価値観は、リベラル派が主張する「EDI(Equality=平等、 Diversity=多様性、Inclusion=包括性)」の理念と対立してきた。それが「中絶問題」や「ジェンダー問題」、「宗教的自由の問題」を巡る対立として顕在化している。

 今回の選挙の最大の焦点は「中絶問題」である。倫理的問題や宗教的問題に政治的妥協の余地はない。2022年に最高裁は女性の中絶権を認めた1973年の最高裁の「ロー対ウエイド判決」を覆した。トランプはエバンジェリカルの要求を受け入れ、最高裁判事に反中絶派の人物を送り込んだ。2022年の最高裁判決は、エバンジェリカルの勝利であった。最高裁判決を受け、南部の州では実質的に中絶を禁止する法案を成立させている。エバンジェリカルは連邦法で中絶を禁止することを求めている。ハリスは、こうしたトランプの政策を「女性を侮辱するものだ」と批判している。今回の大統領選挙では、中絶問題が選挙結果を決める可能性が強い。

 「所得格差」、「教育格差」、「地域格差」も深刻な社会的分断を引き起こしている。アメリカの大学の授業料は極めて高い。優秀で奨学金を貰える学生は問題ないが、普通の若者は学生ローンを借りない限り大学進学は難しい。だが多くの人は学生ローン返済で苦しんでいる。学歴格差は同時に所得格差を生み出した。大学で学位を取った若者は都市で高所得の職に就く。大学に進学できなかった若者は地元で低所得の仕事に就くしか道は残されていない。都市部と地方の所得格差は拡大している。「教育格差」は「所得格差」も作り出している。地方に取り残された多くの若者は絶望的な気持ちに苦しんでいる。彼らは熱狂的にトランプを支持している。

■誰がトランプを支持しているのか

 地方にある製造業はグローバリゼーション(国際化)の中で衰退し、多くの白人労働者は職を失業するか、低賃金で働くことを強いられている。失業した白人労働者はアルコール中毒やドッラグ中毒になり、社会保障で生活を繋いでいる。平均余命も短いという研究結果もある。彼らは、自分たちの不幸の元凶はエリートと、エリートが主導するグローバリゼーションであると信じている。グローバリゼーションで工場は海外に移転し、大量に流入する移民が白人労働者の職を奪い、不法移民は犯罪を地域社会に持ち込んだと信じている。2016年の大統領選挙では、トランプは選挙の争点を「グローバリゼーションとナショナリズムの対立」と位置づけ、工場を海外から呼び戻すと訴え、白人労働者の支持を得た。

 経済的基盤を失った地方コミュニティ―は活気を失い、自治体の資金不足からインフラの劣化が進み、補修されることなく放置されている。アメリカ社会の繁栄を支えてきたミドル・タウン(中都市)には、かつての面影はなくなっている。

 白人労働者やエバンジェリカルは、自分たちはワシントンのエリートに軽蔑され、忘れ去られているという強い思いを抱いている。白人労働者は、労働組合は自分たちを守ってくれるのではなく、組合幹部は自分たちを搾取していると思っている。

■民主党は労働者の支持を失った

 労働者の味方であった民主党は現在では「高学歴者の党」、「都市の党」になり、南部や中西部の地方都市を無視し、白人労働者に注意を払うことはなかった。むしろ民主党は労働者を守るのではなく、グローバリゼーションを積極的に推進する党であった。民主党が地方を無視する中、共和党は地方で地道に党組織を拡充し、エバンジェリカルと白人労働者を支持基盤に組み込んできた。共和党は「伝統的な保守主義の党」から、「ポピュリストの党」へと変わって行った。さらに現在は「トランプの党」になっている。

 1930年代、ルーズベルト大統領は大恐慌で失業した労働者を「忘れられた人々」と呼び、彼らを救うために「ニューディール政策」を始めた。現在、深刻な社会的分断を背景にトランプは、白人労働者を「忘れられた人々」と呼び、彼らとエバンジェリカルを結び付け「MAGA運動」を展開している。「MAGA」は、トランプのスローガンである「Make America Great Again」の頭文字からきている。MAGA運動に参加している人は熱狂的なトランプ信者である。

 アメリカ社会の根底には常に伝統的にポピュリズムが存在している。18世紀後半に結成された「人民党(People’s Party)」は、「反エリート主義」と「反移民」を掲げ、労働者や農民の支持を得た。トランプのポピュリズムも同様に「反エリート主義」と「反移民」を訴え、「忘れられた人々」を結集している。トランプは、選挙に勝利すれば、不法移民の大量強制送還を行うと主張している。

 バイデンは労働組合の支持を得るために、労働組合結成を促進する政策を取ってきた。同大統領は自分を「最も親組合的な大統領である」と呼んでいる。ハリスも労働者階級に向けた政策を打ち出している。だが、その視線は組織労働者に向いているのであり、反組合意識の強い白人労働者には向いていない。

 また中間層の支持を得るために、女性の中絶権を擁護し、医療保険制度や社会保険制度を整備し、新生児を対象に児童税額控除を拡大し、住宅購入を促進するための住宅補助金の提供を政策に掲げている。有権者の最大の関心事である物価上昇に対しては、食料品を中心とする価格統制を主張している。こうした政策で、無党派の支持を得ようとしている。

■トランプが勝利すれば権威主義が世界を支配

 今回の大統領選挙は、「民主主義」対「権威主義」を巡る戦いでもある。バイデンはトランプを「民主主義に対する脅威」であると攻撃し、選挙の争点にしていた。トランプは明らかにアメリカを権威主義的国家に変えようとしている。大統領権限を強化し、司法省を使って政敵に復讐すると公言している。司法省の「武器化」である。

 官僚組織も完全に自らの支配下に置くとも主張している。保守派のシンクタンクのヘリテージ・ファンデーションは「Project 2025」という900ページを超える政策提案を行っている。多くのトランプ陣営の有力者が策定に携わった。そこで描かれた社会は「権威主義国家」以外の何物でもない。その内容の過激さに、トランプは自分の政策は「Project 2025」とは直接関係ないと否定に躍起になっている。だが、同提案は間違いなくトランプが描く国家像を示している。

 2021年1月6日にトランプ支持派の極右が大統領選挙の無効を主張して議会に乱入したクーデター未遂事件が起こった。民主主義の基本である平和裏に政権移行を行うことを否定する行動であった。トランプは、このクーデター未遂を支持し、自分が大統領になったら、罪に問われている人に恩赦を与えると主張している。トランプはバイデンとの討論会で司会者から「選挙に敗北したら、結果を受け入れるのか」と聞かれた時、その質問を無視している。その態度は、トランプが敗北すれば、再び流血事件が起こることを暗に示唆しているように思われた。

 極めて深刻な民主主義の危機は、保守派の司法支配にもみられる。保守派は最高裁を始めとする連邦裁判所、州裁判所を支配している。最高裁判事9人のうち、6人が反中絶を主張する保守派である。アメリカでは裁判所は極めて政治的な判決を下す。この20年間に重要なリベラルな政策に相次いで違憲判断が下されてきた。トランプ勝利は、それをさらに加速することになるだろう。保守派の司法支配は偶然に起こった訳ではない。法曹界に「Federalist Society」と呼ばれる保守派の組織がある。その組織は保守派の判事や弁護士を養成し、組織的に法曹界の保守化を進めている。

 トランプの勝利は、国際的にも重要な影響を与える。トランプが勝利すれば、世界はトランプとプーチン大統領と習近平国家主席の3人の権威主義者によって支配されることになる。ポピュリズムもさらに勢いを増し、「反グローバリゼーション」と「反移民」が世界の潮流となるだろう。欧州の極右の台頭の背景には、トランプの影響がある。

 さらにトランプはウクライナ支援を中止する意向を持っている。ハリスとの討論会で「ウクライナを支持するのか」と聞かれた時、彼は質問に答えることはなかった。副大統領候補のバンスは公然とウクライナ支援に反対している。トランプの勝利は、ウクライナの敗北をもたらし、国際安全保障の枠組みを根本から変える可能性がある。

 私たちの想像を超えるほど、トランプは強固な支持基盤を持っている。保守派にとってトランプがどんな人物であるかは関係ない。人格に問題があっても、自分たちの要求を実現してくれる「優れた指導者」なのである。分断された社会では対話は成立せず、自分に都合の良い陰謀論と嘘がはびこる。今回の選挙は、アメリカの将来を決定するほど重要な意味を持っている。アメリカ国民は、どんな社会を選択するのだろうか。

ジャーナリスト

1971年国際基督教大学卒業、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)、東洋経済新報社編集委員を経て、フリー・ジャーナリスト。アメリカの政治、経済、文化問題について執筆。80~81年のフルブライト・ジャーナリスト。ハーバード大学ケネディ政治大学院研究員、ハワイの東西センター・ジェファーソン・フェロー、ワシントン大学(セントルイス)客員教授。東洋英和女学院大教授、同副学長を経て現職。国際基督教大、日本女子大、武蔵大、成蹊大非常勤講師。アメリカ政治思想、日米経済論、マクロ経済、金融論を担当。著書に『アメリカ保守革命』(中央公論新社)など。contact:nakaoka@pep.ne.jp

中岡望の最近の記事