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「南北と日本の歴史が層になった『イムジン河』を、言葉の層を生かしながら見せたかった」イ・ラン〈上〉

韓東賢日本映画大学教員(社会学)
2月2日、東京都内で。(写真はすべて撮影=Chihiro Kudo)

南を思い北で作られ、日本で禁じられた歌を、50年のときを経た今、日本語と手話で歌う――

 韓国のSSW、イ・ラン インタビュー〈上〉

 イ・ランの『イムジン河』MV発表に際し、歌の成り立ちや今回のMVを受けとめた1人のファンとしての個人的な思いのような拙い文章を書いたところ、大きな反響があった。その後、来日したイ・ラン本人に直接インタビューすることができたので、上下2回にわけて紹介したい。主に〈上〉は『イムジン河』との出会いと今回の表現方法について、〈下〉は今回のMVへの反響とアーティストとしての役割に関する話だ。

 なお、3月には那須、仙台、金沢、東京の4か所をまわる来日ライブツアーが予定されている(文末に情報あり)。

■日本人が知っているのに

 『イムジン河』を歌うことになったきっかけは、美術作家のナム・ファヨンさんから、展覧会の映像作品のために歌ってほしいと依頼されたことだが、実は当初、あまり乗り気ではなかった。まったく知らない歌だったし、自分が歌う必然性がよくわからなかったからだ。

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 でも日本人の彼氏に聞いてみると、有名な曲だといって、『パッチギ!』という映画やフォーク・クルセダーズのことを教えてくれ、動画も見せてくれた。私がまったく知らない「韓国」の歌を、日本人のこの人がなぜ知っているのか、これはいったい何なんだろうと思った。この人だけが変わっているのかと思い親しい日本の友人カップルに聞いてみたところ、やはりよく知っているということだった。そしてまったく同じ話をしてくれた。

 みんなが知っているのに私だけが知らないなんて。とくに、社会問題にも関心の高い身近で親しい日本人3人がとてもよく知っている歌ということが、とても不思議で気になって、この歌には何かあるなという気持ちになった。

■歌ってわかる違いの面白さ

 アカペラで朝鮮語詞を歌うというのが先方の依頼だったが、私は日本語も少しできるから日本語詞を歌ってみると、朝鮮語詞と歌ったときと感触がまったく違う。それがとても面白かった。そこで私も欲を出して、朝鮮語と日本語の両方のバージョンを録音することにした。

 またアカペラよりギターがあった方がいいなと思ってギターの弾き語りにしたのだけど、『世界中の人々が私を憎みはじめた』のようにチェロとデュオにする方がずっとよさそうだと思い、一度チェロと合わせてみた後、ギターとチェロを加えた編曲もした。こうして作業を始めると、欲がもっと出てきた。

『世界中の人々が私を憎みはじめた』

 とくに朝鮮語バージョンを歌って面白かったのが、昔の歌だからか、メロディがとても濃いこと。抑揚が強い。ギターを弾きながら歌う練習をしたけど、いったいどうやって歌えばいいんだっていうくらい、すごく難しかった。ああいう歌い方をしたことがなかったから、私にとってはチャレンジしがいがあった。

 北朝鮮の言葉そのものの抑揚も強い。現代のソウルの言葉はフラットだけど、もともとのソウル方言は北朝鮮の言葉と似ていたという。なんというか、とてもメロディアス。それがとても難しいのだけど、練習していてとても楽しかった。一方、日本語バージョンはとてもフラットで、パッチムがないから柔らかいし、普段歌っているように楽に歌える。

 この両者の違いがとても面白くて、練習するときは1番が日本語で2番が朝鮮語だったり、逆だったりと、織り交ぜながら歌った。先方の依頼は朝鮮語のアカペラだけだったけど、作家が使いたいものを使ってもらうことにして、チェロの伴奏とアカペラでそれぞれ朝鮮語バージョン、ギターとチェロで日本語バージョンを録音した。

■レイヤーを可視化するアイデア

 許可を得て音源を公開しようとは思っていたけど、やっぱりこのままだともったいないような気がしてきた。織り交ぜてもっといいものにして公開したいのに、音源はそれぞれ別々。録り直しはできないので、どうすればひとつにできるか悩んだ。

 そこで、言語を混ぜる方法として、手話を思いついた。聴覚障害者の親を持つ友人がいることもあって、以前から言語としての手話に関心を持っていた。国ごとに異なりながらも共通点が多いという点も、言語的に興味深い。手話を取り入れるため、音源をそのまま公開するのではなく、MVを撮影することにした。

『イムジン河』

 一番考えたのは、言語のレイヤーをいかに表現するかということ。『イムジン河』という歌はもともと北朝鮮の歌で朝鮮語の歌詞なんだけど、これを翻案した日本語詞で歌って、それをまた韓国語に訳してそれを韓国手話で表現することにした。

 韓国人の私が朝鮮語詞を歌ってそこに説明を加えるより、もとは朝鮮語の歌を日本語で歌ってそこに韓国手話をつける方がレイヤーの厚みが生まれると思い、このアイデアを固めていった。手話を学ばなくてはならなかったけど、周囲の助けも借りながら日本語詞を私が韓国語に訳し、それを手話にしてくれるよう聴覚障害者の先生にお願いした。

 要は、南北朝鮮と日本の歴史がたくさんの層になって折り重なった『イムジン河』という歌を、言語的なレイヤーを生かしながら見せたかった。この歌には、朝鮮語と日本語の両方のバージョンがあり、歌にまつわる様々な歴史や物語がある。それを知らせるためには、織り交ぜて歌うのが一番いいと思った。

 でも音源が別々だったから、再録音したらよかったのかもしれないけど、それだとお金がかかりすぎるから。結果的にはMVを撮ることでもっとお金がかかってしまったけど、歌いながら感じていた気持ちや、歴史と言葉のレイヤーを表現する方法としてここに行きついた。

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 私はよく自分のことを「生産業者」と言う。私は何かを生産して、それを売る人だから。それがあるときは音楽、あるときは映像、あるときは文章や漫画、そういう結果物となる。それらをすべてやってみたことがあり、方法論を知っていて自分でやることができるから、それらを行き交う自由な発想ができるのかもしれない。

■言語、動作としての手話

 ライブのたびに必ず来てくれる視覚障害者のファンがいる。いつもうれしくて、視覚や聴覚、身体に障害がある方も一緒に楽しめるライブにするにはどうすればいいのだろうかとつねづね考えていた。普通のライブ会場は、たとえ心は傷ついていても「若くて健康な人」ばかりだから。

 『イムジン河』は、とてもシンプルなメッセージを力強く伝える歌なので、手話で歌っても伝わりやすいのではないかと思った。手話は手と表情がセットになった言語で、とてもストレートだ。一方、手話は身体を動かすという意味ではダンスのようでもある。『神様ごっこ』や『プロペラ』のMVもそうだが、私はもともとダンスや動作、身体を動かすことに対する関心が強い。

『神様ごっこ』

『プロペラ』

 私は生産業者だから、多様な分野に関心を持っているし、大学時代は映画を専攻したけど、演技や美術や韓国舞踊や現代舞踊、やれることはすべてやった。そしてこれが結論だと思ったのが、精神と身体はつながっているし、じっとしていると思考が拡張しないということ。つまり、身体を動かすと精神も一緒に拡張すると思っている。

 だから、身体を動かす努力をたくさんした。ダンサーでもないのにダンスするMVを撮影したり、実際に振りつけを考えたりもした。『神様ごっこ』のMVのときも働く人たちの手の動作を集めたが、それを見て手話だと思った人がいたりして、そういう反応も興味深かった。今回、初めて手話を習ったのだけど、イメージを持ってきて表現する言語なのだということを知る過程が、とても面白かった。

 私はそこにカタルシスを感じたのだけど、だからこそ、テレビで、手話通訳が画面の一角で丸く囲まれたなかで表示されるその丸の外に出て、自由に見えたらいいな、という思いもあった。実は試しにそういうかたちで作ってみたのだけど、あまりにも「聴覚障害者のための映像」になってしまって却下したという経緯もある。

 撮影を手伝ってくれたカメラマンも、手話というとやっぱり聴覚障害者を連想して、手話がよく見えるように一生懸命に撮影してくれた。でもそれはやっぱり「聴覚障害者のための映像」になってしまっていて、これじゃないと感じた。もっと、手話をダンスのように撮ってほしいと頼んだ。

 手話ができる人たちは、ちょっと暗くても、遠くて見えなくても、わかるから、聴覚障害者向けではなくひとつの言語としての手話を使いたいから、引きで全身を入れた構図にした。また撮影中、日が暮れてきて、MVの終わりの方でだんだん暗くなって最後は手がよく見えなくなるんだけど、それでも作品としては十分に伝えられるだろうと思って、そのテイクを使うことにした。

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〈下〉に続く)

 イ・ラン  1986年ソウル生まれ。16歳で家出・独立後、イラストレーター、漫画家として仕事を始める。その後、大学に入って映画の演出を専攻し、在学中に趣味で音楽を作り始め、結局、映画と音楽、そして絵を描くことをすべて仕事にしている。

 短編映画『変わらなくてはいけない』『ゆとり』、コミック『イ・ラン4コマ漫画』『私が30代になった』、エッセイ『いったい何をしようという人間かと』、アルバム『ヨンヨンスン』『神様ごっこ』を発表(2016年9月、スウィート・ドリームス・プレスより日本盤リリース)。

 『神様ごっこ』で、2017年の第14回韓国大衆音楽賞最優秀フォーク楽曲賞を受賞(大きな話題を呼んだ授賞式でのパフォーマンスとその後の顛末については『早稲田文学増刊 女性号』に本人が寄稿している)。

■Lang Lee Japan Tour 2018

ライブ+映像作品上映

3月17日(土)栃木・那須塩原 SHOZO 音楽室

出演:イ・ラン+イ・ヘジ

開場 6:00pm/開演 7:30pm

ライブ+トークショー

3月18日(日)仙台 TRUNK | CREATIVE OFFICE SHARING

出演:イ・ラン+イ・ヘジ、yumbo、長内綾子(Survivart|トーク聞き手)

開場 4:30pm/開演 5:00pm/終演8:30pm

イ・ラン映像作品上映会・トークショー

3月21日(水・祝)金沢 オヨヨ書林せせらぎ通り店

トーク:イ・ラン

開場 2:00pm/開演 2:30pm

3月21日(水・祝)金沢 shirasagi/白鷺美術

出演:イ・ラン+イ・ヘジ

開場 7:00pm/開演 8:00pm

3月23日(金)東京・武蔵小山 ひらつかホール

出演:イ・ラン(5人編成フルバンド・セット)

開場 6:00pm/開演 7:00pm

企画・制作:スウィート・ドリームス・プレス

招聘:OURWORKS合同会社

日本映画大学教員(社会学)

ハン・トンヒョン 1968年東京生まれ。専門はネイションとエスニシティ、マイノリティ・マジョリティの関係やアイデンティティ、差別の問題など。主なフィールドは在日コリアンのことを中心に日本の多文化状況。韓国エンタメにも関心。著書に『チマ・チョゴリ制服の民族誌(エスノグラフィ)』(双風舎,2006.電子版はPitch Communications,2015)、共著に『ポリティカル・コレクトネスからどこへ』(2022,有斐閣)、『韓国映画・ドラマ──わたしたちのおしゃべりの記録 2014~2020』(2021,駒草出版)、『平成史【完全版】』(河出書房新社,2019)など。

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