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『海のはじまり』のおかげで、「夏くんがいた夏」になりそうな今年の夏

碓井広義メディア文化評論家
『海のはじまり』の人々(番組サイトより)

夏ドラマも佳境に入ってきました。

中でも、『海のはじまり』(フジテレビ系)は目が離せない1本になっています。この作品でしか体験できない、独特の「物語感」があるからでしょう。

主人公は印刷会社で働く月岡夏(目黒蓮)。大学時代、付き合っていた南雲水季(古川琴音)から一方的に別れを告げられました。

それから7年。現在の夏には恋人の百瀬弥生(有村架純)がいます。

ある日、水季が亡くなったという知らせが届きます。葬儀で出会ったのが水季の娘・海(泉谷星奈)でした。

しかも水季の母親・朱音(大竹しのぶ)から、父親は自分だと聞かされ、衝撃を受ける夏。

水季が妊娠した時、彼女は中絶を決めており、突然の別れはその直後のことだったからです。

夏のことを、水季と同じように「夏くん」と呼ぶ海。そんな海と接触する機会が増えるにつれ、夏の中でその存在が大きくなっていきます。「父と娘」として、一緒に暮らしたい気持ちも膨らんできました。

しかし、自分にそれが許されるのか。さらに弥生との関係もあります。彼女を巻き込んでいいのか、強いためらいがあるのです。

俳優陣が大健闘です。自分より相手の気持ちを優先してしまう夏を繊細に演じる目黒さん。その表情から目が離せない泉谷さん。

難役の水季を、存在感のある女性にしている古川さん。抱える葛藤を、抑えた演技で見せる有村さん。

海を抱えた水季を支え続けた図書館の津野晴明と、まるで一体化したかのような池松壮亮さん。

そして、「男は妊娠や出産をしなくても父親にはなれる」といった言葉に納得感を持たせる大竹さん。彼らの高い表現力がこのドラマを支えています。

脚本の生方美久さんは、その「構成力」と「セリフの力」で、登場人物たちの揺れる心情を丁寧に描いていきます。

交差する、現在と過去。時間も空間もどこか地続きです。生方さんをはじめ、作り手たちの目線は、今を生きる人にも、今は亡き人にも、区別なく優しい。

生方さんの「連ドラ」デビュー作は2022年の目黒蓮主演『silent』(同)。

8年前に別れた恋人たちが再会します。しかし、青年は両耳の聞こえが悪くなる病気を抱えていました。

互いの思いをどう伝え合うのか。ハンディキャップ・ドラマの既成概念を覆す展開に驚かされました。

また、昨年の『いちばんすきな花』(同)では、男女間に友情は成立するかというテーマに挑んでいました。

4人の男女が織りなす友情と恋愛の物語は、「自己」と「他者」との新たな関係性を考えさせてくれました。

そして今回の『海のはじまり』は、いわゆる恋愛ドラマや家族ドラマといったジャンルを超えた、「生きること」の意味を問うヒューマン・ドラマとなっています。

このドラマのおかげで、「夏くんがいた夏」になりそうな今年の夏。深化した物語世界に、引き続き注目です。

メディア文化評論家

1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶大助教授などを経て、2020年まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。著書『脚本力』(幻冬舎)、『少しぐらいの嘘は大目に―向田邦子の言葉』(新潮社)ほか。毎日新聞、日刊ゲンダイ等で放送時評やコラム、週刊新潮で書評の連載中。文化庁「芸術祭賞」審査委員(22年度)、「芸術選奨」選考審査員(18年度~20年度)。

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