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荒川がいまのかたちになって100年。これまでの100年とこれからの100年を考える

橋本淳司水ジャーナリスト。アクアスフィア・水教育研究所代表
岩渕水門(著者撮影)

荒川は人がつくった川

本日10月12日は、荒川放水路(現在の荒川)の通水100年に当たる。王子駅(東京都北区)近くの「北とぴあ」の展望ロビーからは、直線的で幅広い荒川と、蛇行しながら並走する隅田川の姿が見えるが、これらの流れが現在の形となったのはごく最近のことなのだ。荒川は人が作り上げた人工の川であり、その背後には多くの努力と犠牲が積み重ねられてきた。

京浜東北線の上野駅から赤羽駅の間には、波によって削られた崖(海食崖)が続いている。この崖は縄文海進時に形成されたもので、かつてこの地が海であったことを思い起こさせる。

関東平野は近世まで、原始河川と無数の沼沢が複雑に絡み合う巨大な三角州であった。低湿地であったため、しばしば洪水に見舞われ、その被害は歴史書にも多く記録されている。平安時代の『三大実録』には「武蔵国去秋水勞(武蔵国で昨秋(858年)水害)」とあり、鎌倉時代の『吾妻鏡』にも「建仁元年(1201年)八月の暴風雨で、下総葛飾郡の海溢れて四〇〇〇人余が漂没」と記されている。このような低湿地に今日の東京という巨大都市が形成されていることを、私たちは再認識する必要がある。とくに近年は豪雨に見舞われるようになり、自分の住む土地の成り立ちや歴史に注目する必要がある。

隅田川の流れを放水路で東京湾へ

明治時代に入り、「富国強兵」のスローガンのもと東京は近代都市への歩みを進めた。隅田川沿いには工場が立ち並び、人口が急増したことで市街地も拡大した。荒川(当時の隅田川)は依然として洪水のリスクを抱えていたし、市街地の拡大は浸水想定区域の拡大にそのままつながっていた。特に1910年8月の洪水では、日本堤や隅田堤を越えた氾濫水が東京市街地にまで達し、浸水家屋は27万戸、被災者は150万人に上った。これは未曾有の被害であり、東京の治水に対する考え方が大きく変わる契機となった。

自然の猛威を抑えるため、荒川放水路の開削工事が始まった。放水路は岩淵から東京湾までの延長22キロメートルにおよび、川幅は上流部で455メートル、河口付近では588メートル、水深は約3~4メートルであった。工事には当時の最新技術が導入され、蒸気掘削機による掘削やトロッコを用いた土砂運搬が行われた。

1924年10月12日、ついに岩淵水門(旧岩淵水門/通称赤水門)が完成し、通水式が行われた。今日はこの日から100年に当たる。1930年には20年にわたる大工事を経て荒川放水路が完成した。この放水路は、以降東京を洪水から守る重要な役割を果たしてきた。その影で工事によって1300世帯超が移転を余儀なくされ、多くの人々の生活が変わったことを忘れてはならない。

地理院地図をもとに筆者が作成
地理院地図をもとに筆者が作成

1947年のカスリーン台風では利根川の堤防が決壊し、荒川放水路まで氾濫水が到達したが、都心への影響は免れた。このことは、荒川放水路が隅田川だけでなく、利根川の洪水からも東京を守る要となっていることを証明した。1965年、荒川放水路は荒川に呼称を改め、荒川本川下流に位置づけられた。

1982年には、旧岩渕水門の老朽化、地盤沈下対策などから、洪水調整能力の強化を図るため新水門(青水門)が完成した。平常時は開放されて荒川の水を隅田川に入れ、隅田川の水質を浄化する。増水時は水門を閉めて、荒川の水を隅田川に流さないようにしている。

地理院地図をもとに筆者が作成
地理院地図をもとに筆者が作成


荒川の未来

近年気候変動による豪雨や台風の頻度や強度が増しており、これまでの治水対策だけでは対応しきれない状況に直面している。そこで注目されているのが「流域治水」である。

筆者作成
筆者作成


これは、ダムや堤防といった従来のハードな対策に頼るだけでなく、流域全体で水の流れを管理し、自然と共生する治水を目指すもの。たとえば、上流域の森林を保全し、湿地を再生することで水をため、洪水を緩和する「自然の力を活かした対策」が一つの例だ。気候変動による水害リスクが高まる中、この流域治水が今後100年にわたって都市と自然の共存を支える重要な鍵となるだろう。

地理院地図をもとに筆者が作成
地理院地図をもとに筆者が作成

さらに、荒川流域では生物多様性の保全も重要な課題である。かつて豊かな生態系を育んでいた荒川も、水質が悪化し、多くの生物が生息環境を失ってきた。これからの100年、荒川を単なる治水の対象としてだけでなく、生態系の再生と多様な生物が暮らせる環境へと回復させることが求められている。湿地の再生や川辺の植生の復元は、自然再生のための有望な取り組みであり、結果として水質の改善にも寄与する。

現在、荒川にとっても私たちにとっても重要な転換期を迎えている。気候変動による水害リスクの増大や、生態系保全という複雑な課題に対処するため、流域全体での協力が不可欠だ。通水100年を機械に、荒川放水路の歴史と役割を再評価し、流域治水や生態系の回復を新たな知恵と技術で進めていく必要がある。

荒川の流れはこれからも多くの人々の暮らしを支え続ける。そのためには私たち一人ひとりが流域の問題を理解し、自らの課題として捉えて行動する必要がある。気候変動への対策、生物多様性の保全、そして流域全体での協力こそが、次の100年に向けた新たな歴史を刻む鍵となる。未来を見据えた取り組みが、荒川を「守る川」から「共に生きる川」へと変える一歩となる。

水ジャーナリスト。アクアスフィア・水教育研究所代表

水問題やその解決方法を調査し、情報発信を行う。また、学校、自治体、企業などと連携し、水をテーマにした探究的な学びを行う。社会課題の解決に貢献した書き手として「Yahoo!ニュース個人オーサーアワード2019」受賞。現在、武蔵野大学客員教授、東京財団政策研究所「未来の水ビジョン」プログラム研究主幹、NPO法人地域水道支援センター理事。著書に『水辺のワンダー〜世界を歩いて未来を考えた』(文研出版)、『水道民営化で水はどうなる』(岩波書店)、『67億人の水』(日本経済新聞出版社)、『日本の地下水が危ない』(幻冬舎新書)、『100年後の水を守る〜水ジャーナリストの20年』(文研出版)などがある。

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