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われらが藤井聡太七段はいつタイトルに挑戦できるのか? 若手時代の羽生善治九段との共通点とは?

松本博文将棋ライター
デビュー以来ずっと、ファンの声援を背に戦い続ける藤井聡太現七段(撮影:筆者)

 あえて、「われらが藤井聡太」と書いておきます。

 既報の通り、藤井聡太七段(17歳)は先日おこなわれた竜王戦決勝トーナメント準々決勝で豊島将之名人(29歳)に敗れました。

記事中の画像作成:筆者
記事中の画像作成:筆者

 筆者の速報記事は、勝った豊島名人を主語としました。

 豊島将之名人(29)が初の竜王挑戦に向けて前進 藤井聡太七段(17)に決勝トーナメント準々決勝で勝利(2019年7月23日、松本博文)

 https://news.yahoo.co.jp/byline/matsumotohirofumi/20190724-00135424/

 一方で、各メディアのニュースのヘッドラインではおおむね、われらが藤井七段を主語として、藤井七段の2019年内のタイトル挑戦、獲得の可能性が消えたことが伝えられました。世間の関心がどこに多く向いているのか、端的に示したものと言えるでしょう。

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 藤井七段には、かつて屋敷伸之五段(現九段)が達成したタイトル挑戦、獲得の最年少記録の更新の期待がかかっています。そのリミットは、次第に迫っています。

 豊島名人との対局の後もそうでしたが、藤井七段は敗局後にはおおむね、「まだまだ実力が足りない」という趣旨のコメントをしています。それは謙虚さの表れでもあるでしょうし、また本人にはそうした自覚もあるのでしょう。

 ただし、本人の言葉を他者が素直に解釈して「藤井君もまだまだ、タイトルを取れるだけの実力はない」と受け取るのはどうでしょうか。客観的に見て、それは間違いのような気がします。

 藤井七段のデビュー以来から現在(2019年7月26日)までの成績は131勝24敗(0.845)。史上最速、最高のペースで白星を重ねています。

 全棋士参加の朝日杯では、2017年度と18年度、佐藤天彦名人、羽生善治三冠、広瀬章人八段、渡辺明棋王(肩書はいずれも当時)などトップクラスの棋士を連破して、2連覇という偉業を達成しています。藤井七段自身が既にトップクラスに匹敵するだけの実力者であることは間違いないでしょう。

 藤井七段は、いつタイトルを取ってもおかしくはない。それなのに、なぜタイトル挑戦にも至らないのか。

 そうした雰囲気は、筆者を含め、古参の将棋ファンにとっては、かつて経験したことがあるものかもしれません。

 それは1980年代後半。羽生善治少年が、今の藤井聡太少年のように勝ちまくり、多くのファンの期待も背負いながら、なぜかタイトル挑戦になかなか結びつかなかった、ちょうどあの頃の雰囲気に、よく似ているのではないでしょうか。

両天才少年の比較

 改めて、羽生善治現九段(48歳)と藤井聡太現七段(17歳)、両天才のデビュー以来の成績を見てみましょう。

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 一言、圧倒的と言うよりないでしょう。

 羽生善治少年は1985年12月18日、中学3年の時に、15歳2か月で四段となっています。年度半ばから公式戦に参加したため、1985年度の対局数は少なく、8勝2敗でした。

 藤井聡太少年は2016年10月1日、中学2年の時に、史上最年少の14歳2か月で四段となっています。同年度成績は10勝0敗。その後は棋界最高記録となる29連勝まで星を伸ばしました。

 規定対局数を満たしたデビュー翌年度から、羽生現九段は4年連続、藤井現七段は2年連続(継続中)で勝率1位を記録しています。

 若手棋士の登竜門である新人王戦では、羽生九段は1988年度、藤井七段は2018年度に優勝しています。羽生九段は昭和最後の新人王、藤井七段は平成最後の新人王というわけで、こうした点にも何かしらの共通点を感じずにはいられません。

 羽生現九段は1987年、17歳の時に全棋士参加棋戦の天王戦で優勝。翌88年度も同棋戦で連続優勝しています。

 また88年度にはファンが注目するNHK杯で、加藤一二三九段、大山康晴15世名人、谷川浩司名人、中原誠棋聖と名人経験者4人を連破して優勝。対局数、勝数、勝率、連勝の記録4部門も制しました。あまりにも抜群の成績だったため、史上唯一、七大タイトルの獲得がないまま、将棋大賞の最優秀棋士賞を受賞しています。

 では一方で、当時の七大タイトル戦では、どのような戦績を残していたでしょうか。

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 当時はちょうど、十段戦が竜王戦へと発展的解消をする頃でした。棋聖戦は1年2期。叡王戦が8番目のタイトルに加わるのは、はるか後のことです。

 1986年3月。羽生四段は王将戦一次予選で桜井昇七段(現八段)に敗れています。表はその敗戦によって、1987年1月から始まる王将戦七番勝負に出場できなかったことを示しています。

 羽生四段はデビュー以来、圧倒的に勝ち続けました。

 筆者は当時、十代の将棋ファンでした。そして率直に思ったのは、「羽生さんはなぜこれだけ強いのに、タイトル挑戦がないのか」ということでした。これは筆者だけではなく、多くの将棋ファンもまた、同様に感じていたと思われます。

 1989年のはじめ、河口俊彦六段(没後追贈八段)は、こう記しています。

 ここで気になるのは新人類棋士達の勝負運である。いくら勝率が高くても、急所の一番に勝たなくてはなんにもならない。

 羽生についていえば、今年1月末までで50勝14敗。最近ちょっとペースが落ちて8割から遠のいたが、それにしても恐るべき高勝率である。これだけ勝つと、いつ見ても勝っているという感じだが、実績はといえば、これというものがない。新人王戦、天王戦と二つの優勝はあるものの、タイトル戦の挑戦者になれないし、リーグ戦にすら入っていない。棋王戦がいい例で、みんなあと一歩のところで負けている。そして肝心の順位戦は他力頼みの状態だ。意地わるな言い方をすれば、要領のわるい勝ち方をしているということになる。

出典:河口俊彦『一局の将棋 一回の人生』

 昔はこうした「若手がいくら勝率が高くても、本場所である順位戦昇級や、タイトル獲得に結びつかなければ意味がない」式の論評をよく目にしたものでした。現代の視点では、ややストレート過ぎる物言いとも思われますが、そんな見方をしている人が多かったのもまた、事実でしょう。

 もし当時、現在のようにインターネットが存在したならば、「羽生五段、またもやタイトル挑戦を逃す」「史上初の十代でのタイトル挑戦は持ち越し」などの見出しの速報が、何度も見られたかも知れません。

 河口六段の上記の一文が書かれてからしばらくして、羽生五段はついに竜王戦というビッグタイトルで挑戦権を獲得します。河口六段は、今度はこう書いています。

 あえて、我等が羽生、と書こう。羽生善治五段が、竜王戦の挑戦者になった。

 これまで、あきれるほど勝ちまくりながら、そのほとんどを死に星にして、タイトル獲得など目立つ実績がなく、ここ一番での勝負弱さが心配されていた。それが、今度挑戦者になったことで、きれいさっぱり解消された。

出典:河口俊彦『一局の将棋 一回の人生』

 タイトル獲得に結びつかなければ積み重ねた勝数は「死に星」となる、新人王戦、天王戦、NHK杯などの優勝は「目立つ実績」ではない、などはいかにも河口六段らしい表現です。その点については、見解がわかれるところでしょう。

 一方で「我等が羽生」という表現は、多くの人に共通する感覚だったと思います。多くの人がわがことのように応援する天才が、ついに大舞台に立った。その時代の高揚感が、これほど端的に表されている言葉はないかもしれません。

 羽生五段は竜王戦の挑戦者となって六段に昇段します。羽生六段は七番勝負で島朗竜王に対して4勝3敗1持将棋の成績をあげ、初タイトルの竜王位を獲得しました。デビューからちょうど4年。19歳3か月でのことでした。

 その時から、30年が経とうとしています。将棋界にはまた、次代の覇者たる天才少年が現れています。

 あえて、われらが藤井聡太、と書いておきます。われらが藤井七段は、この先、いつタイトル戦の挑戦者となるのでしょうか。筆者も一人の将棋ファンとして、来たるべきその時を待ちたいと思います。

将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

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