三連休、どこ行く? はじめての「ひとり温泉」なら、ふらっと――。新宿から90分で≪1泊1万円代の宿≫
これが盆地というものか――。
城壁のように四方を山に囲まれ、真ん中に人の営みがある。それぞれの家はとても小さい。それに比べると、なんと山々は雄大なことか。幾重にも峰が重なる光景に天から光が射し込んでくると「はっ」と息を呑んでしまう。
山梨県笛吹市に湧く石和温泉「ホテル古柏園」の8階ラウンジから、富士山や南アルプス、秩父山麓などに囲まれた甲府盆地を眺めると、戦国武将の武田信玄が思い浮かんだ。そういえば、武田信玄はこの地に巨大な城を構えたわけではなく、周りの山々を要塞とし、盆地ならではの地の利を生かした国づくりをしたのだった。
8階ラウンジで、しばしの時を過ごした。
眺めは、見て飽きることがない。景色に想いを馳せては、パソコンに向かい手を動かす。また風景に目をやり一息つく。
ラウンジでワインが飲めた。よく知られた「甲州」など、赤白8種が用意されている。
「古柏園」の前身はぶどうとワインを生産する農園だったこともあり、甲州のぶどうを誇りとするからこそ、甲州の地形を見渡せて、ワインで酔えるラウンジがあるのだろう。
こうして土地を俯瞰すると、知的好奇心が募っていく。話し相手のいないひとり旅だから、ますます色々知りたくなる。このラウンジに、地形を解説してくれる展示か書籍か、何かあれば嬉しかったなぁ。
ネットで検索すると、甲府盆地は「天然の水がめ」と呼ばれていた。地下構造は、スポンジを敷き詰めた洗面器のようになっていて、いわば巨大な地下貯水池だ。多くの水がそこに蓄えられている。
そもそも甲府盆地は山が隆起し、平野が沈降して出来上がった。盆地は深い窪みとなったが、河川によって運び込まれた砂礫や、盆地の北にある黒富士の噴火による火砕流の堆積、北西の八ヶ岳の崩壊による韮崎岩屑流堆積物などで次第に窪みが埋まり、平野となった。
またマグマが冷えて固まった花崗岩や安山岩などの火成岩で形成された山梨の地質は水を通しにくい。堆積物は覆うように甲府盆地や八ヶ岳、富士山などの河川沿いに広がり、雨や河川の水が浸透する。結果的に地下水が豊富になる。
――ということらしい。『地図で読み解く初耳秘話 山梨のトリセツ』(昭文社)を抜粋したWebの記事で知った。
地形を見た後で、その地の名産を食すと、全てが腑に落ちて、おいしさが増す。
石和温泉もまた、この盆地ゆえの温泉である。
実は石和温泉の歴史は浅く、開湯は昭和36年。ブドウ畑で井戸の掘削中に、突如、毎分1200リットルの高熱温泉が噴き出た。湧出量の多さから、近くの川へと温泉が流れ込み、そこに人が入る。当初は「青空温泉」と呼ばれ、地域の人に愛された。その証として、石和温泉の宿にはほぼ必ず、「青空温泉」の当時の写真が掲げられている。石和の人たちにとっての原風景であり、誇らし気である。
現在も、49度のお湯が毎分2千リットル湧出する。泉質はアルカリ性単純温泉。
石和温泉の大きなメリットは、首都圏から近いことだろう。
新宿駅から特急「かいじ」で90分ほど。バスだと2時間。東京から日帰り客も多いというし、移動に体力を消耗しないから、構えずにサクサクと行ける。
コロナ蔓延前は団体旅行で賑わいを見せた石和温泉だが、実は滞在を愉しみたいと思わせる、バリエーションに富む宿が揃っている。
ひとり温泉の旅先にも選びやすい。
昨年の晩夏は「銘石の宿かげつ」に宿泊した。
数多くの文化人や芸術家に愛され続けてきた宿だが、その特色は日本庭園にある。5000坪の庭に巧みに配置された巨石や奇石や銘石に目が釘付けに。加えて1万匹もの錦鯉が泳ぐという。渡り廊下で庭を散策しながら、よく肥えた錦鯉を見る。客室からも美しく整えられた庭が眺められ、庭に出ることもできる。玄関やロビーなどのパブリックスペースに置かれた屏風や衝立の絢爛さ。いちいち、目を見張る。
ここのお風呂もやはり巨石、銘石に囲まれている。ここまで銘石に触れられる湯船は珍しい。「かげつ」は、「ザ・日本」である。
石和温泉駅から徒歩3分と近い湯宿が「糸柳」だ。
館内に4か所あるお風呂のうち、「吹き抜けの大貸切風呂」の2か所は、一般的な大浴場の広さに匹敵する。湯船は、床と段差がないフラットなタイプのお風呂と、湯船の横に腰かけられるベンチが付いたお風呂の2種類がある。
特筆すべきはスチームサウナ「薬石湯」と「日本一」を自負する朝食だろう。宿泊プランも充実していて、ひとり温泉にも優しい。
※この記事は2024年9月6日に発売された自著『ひとり温泉 おいしいごはん』(河出文庫)から抜粋し転載しています。