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【仙台市若林区】12年目の「3.11」忘れないこと、伝えていくことの大切さを震災遺構と共に考える

長谷川誠地域ニュースサイト号外NETライター(仙台市)

仙台市宮城野区・若林区を愛する号外NETライターの長谷川誠です。

この記事がアップされるのは2023年3月11日の予定です。あの日、あの時、2011年3月11日14時46分、未曽有の大災害である東日本大震災が東日本各地を襲いました。今年は12年目の「3.11」となります。皆さんはどのように12年目の「3.11」を過ごされていますでしょうか。

被災された方、幸いなことに被害がなかった方、きっと皆さんそれぞれのオモイを抱きながら「3.11」を過ごされていることと思います。

今回は皆さんがそんな「3.11」について、改めて何かを考える・行動するキッカケになってくれれば…との思いで、2023年1月31日に展示内容をリニューアルした「震災遺構仙台市立荒浜小学校」をご紹介させていただきます。

※これ以降の記事は、東日本大震災直後の様子を具体的に想起させる文章や写真が含まれています。ご自身の体調やお気持ちをお考えいただき「読む・読まない」をお選び下さい。

震災遺構仙台市立荒浜小学校、敷地入口の看板
震災遺構仙台市立荒浜小学校、敷地入口の看板

仙台市若林区荒浜、あの伊達政宗公との縁も深い貞山堀(ていざんぼり)のほど近くにある「震災遺構仙台市立荒浜小学校」。震災遺構として公開され、東日本大震災の教訓と地域の記憶を、後世へ伝え続けてくれている建物です。

荒浜小学校内に展示してある「貞山堀」の説明
荒浜小学校内に展示してある「貞山堀」の説明

仙台湾に沿うように続いている「貞山堀」のほど近くにある、それ即ち、海からほど近いところにあるということ。少し歩けば「深沼海水浴場」という立地です。

荒浜小学校校舎の外観に鮮やかな横断幕
荒浜小学校校舎の外観に鮮やかな横断幕

校舎に近づいてみると、カラフルなハートにつつまれた「ありがとう荒浜小学校」の横断幕が目に入ります。こちらの横断幕に書かれた文字は

荒浜小学校内に展示してある「横断幕」の説明
荒浜小学校内に展示してある「横断幕」の説明

仙台市立七郷小学校との統合により閉校となった2016年3月、最後の卒業生たちが心を込めて書いたもの。「ありがとう荒浜小学校」というメッセージは、既卒生や地域の皆さんにアンケートをとって決めた言葉なんだそうです。

1階、1年1組の教室
1階、1年1組の教室

中へ入ってみると、震災直後の様子が並べられた1年1組の教室がありました。「津波は圧倒的な力で車を押し込んだ」と脇に書かれた写真…。言葉が出ない光景です。

2階の廊下、倒壊したベランダ壁と鉄柵
2階の廊下、倒壊したベランダ壁と鉄柵

2階に上ると、廊下には津波の威力を感じる倒壊したベランダの壁と捻じ曲げられた鉄柵。

津波の高さを解説する展示
津波の高さを解説する展示

荒浜小学校を襲った津波は、校舎2階にまで届く4.6mの高さまで到達しました。

公開されていない校舎3階に関する説明書
公開されていない校舎3階に関する説明書

極力校舎に手を加えることなく公開する範囲を最低限とするため、との理由から現在校舎3階はシャッターが下ろされ非公開となっています。震災当時は仮設トイレや避難場所があった階です。

3階入り口に下ろされたシャッターに掲示されている手記
3階入り口に下ろされたシャッターに掲示されている手記

下ろされたシャッターには、他にも印象的な手記が掲示されていました。東日本大震災の当時、3年生を担当されていた先生が書かれた手記です。

3階の教室に残されていた、「こんな時こそ、思いやりと感謝」「fight!! H23.3.12」という2つのメッセージ。死の恐怖、色々なものを失ってしまった絶望感、そんな極限状態だったとしても、荒浜小学校に避難していた方々は、救助されるまで「人としての尊厳」を失わないように頑張っていたことが伝わる感動的な手記です。

4階に展示されている「体育館の時計」
4階に展示されている「体育館の時計」

4階に上がると、津波到達時刻の15時55分で時を刻むことを止めた「体育館の時計」

避難から救助までの記録
避難から救助までの記録

学校へ避難されてきた地域の皆さんが、ヘリコプターで救助されるまでを時系列で追った解説

ドキュメント映像が上映されている教室
ドキュメント映像が上映されている教室

荒浜小学校における発災から救出までの27時間を約17分にまとめたドキュメント映像を見ることができる教室

4階「明日への備え」展示
4階「明日への備え」展示

将来起こるかもしれない「明日の震災に備える」ことを啓蒙してくれる展示などがありました。

4階の廊下にあるメッセージボード
4階の廊下にあるメッセージボード

廊下に展示されていたメッセージボードには、震災遺構仙台市立荒浜小学校に来てくれた世界中の方々が残してくれた温かい言葉が数多く並んでいました。

ちなみに、今までご紹介したのは展示の全てではありません。紹介していないものを含めた実際の展示については、是非とも皆さんご自身で体験していただければと思います。

荒浜小学校屋上から眺める「復興道路」
荒浜小学校屋上から眺める「復興道路」

いかがでしたでしょうか。最後にご紹介するのは、避難されていた皆さんが救助のヘリコプターを待っていた屋上から眺める復興道路です。

私も東日本大震災で被災しました。幸いなことに、沿岸部から離れた仙台市太白区と名取市の境目あたりにいたため、津波の被害はなかったですが、今までに体験したことのない大きな揺れ、そして訪れた停電と断水。どうにか避難できないものかと飛び乗った自家用車のAMラジオから、信じられないような津波の情報が流れてきた「あの日」を「震災遺構仙台市立荒浜小学校」を見学しながら改めて思い出しました。

12年目となる「3.11」。この記事が、東日本大震災への「想い」、そして災害への「備え」を今一度考えてみるキッカケになってくれれば…と祈りながら筆を置きたいと思います。

震災遺構仙台市立荒浜小学校

〒984-0033 宮城県仙台市若林区荒浜字新堀端32-1

地域ニュースサイト号外NETライター(仙台市)

地域ニュースサイト『号外NET(仙台市宮城野区・若林区)』ライター/仙台市在住、オタクな一児のパパ。文章を書くこと、街歩き、食べ歩き、オタ活が大好き。HPが少ないピンチの時には温泉や寺社仏閣に出没する傾向あり/芋煮は醤油派こと、お隣の山形県出身ということもあり、新鮮な目線で仙台の”今”を見つめる。記事を読んでいただいた方に、ちょっとでも「行動するキッカケ」が芽生えるような仙台の情報・ネタを発信していきます。皆様からのご意見、ご要望、ご質問から叱咤激励までお気軽にご連絡下さい!

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