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【映画】「スティーブ・ジョブズ」という名の大河ドラマ

神田敏晶ITジャーナリスト・ソーシャルメディアコンサルタント
ファスベンダー版のジョブズはまさに大河ドラマだった…(写真:REX FEATURES/アフロ)

KNNポール神田です!

ようやく、ダニー・ボイル監督、マイケル・ファスベンダー主演の映画「スティーブ・ジョブズ」を観てきた。アシュトン・カッチャー主演の「スティーブ・ジョブズ(2013年)」から実質2年なので、また?ジョブズの映画?的な雰囲気もある。実際にジョブズが亡くなったのが2011年10月5日なので、実質4年と5ヶ月弱しか経過していない。ウォルター・アイザックソンが記した「スティーブ・ジョブズ」が世界で発刊されたのも同月の2011年10月24日だった。

ジョブズ亡きあと、Appleは何を創造し何をディスラプトしたのか?

この間、Appleでは、何が起きたのか…?iPhoneのナンバーが増え、SやらPlusが追加された。iPadはminiやらProやらが追加された。ジョブズがティム・クックCEOに託したAppleWATCHの発売は、2015年04月24日で、まもなく一年を迎える。常にジョブズが新製品をステージで発表する時には、その5年先の新カテゴリーを描いたはずだ。AppleWATCHにもこだわってティム・クックやジョナサン・アイブに無理難問を病床で指示していたことだろうことは安易に想像がつく…。このカッチャ−版の映画でも、ウォズニアックの開発した腕時計のシーンがあるので注目してほしい…その頃からAppleWATCHの構想は、きっとあったのだろう。そのようなヒントとなるシークエンスがこの映画には隠されている。

そして、この映画もその5年先スキームを見事に表している。3つのプレゼンの舞台裏のドタバタ劇に、ありとあらゆるエピソードを集約したのがこの映画だ。そう、歴史となった「大河ドラマ」には千差万別の自由な描き方が許されているのだ。ジョブズ以降のAppleは継続しただけで、新たなものは今のところ何も創造していない。いやむしろ過去の製品をディスラプトするくらいのインパクトのある製品が必要な時期でもある。

この映画を見る前にアシュトン・カッチャ−版を見ておこう!

この映画を見る前に、まずアシュトン・カッチャーの「スティーブ・ジョブズ」を見ておくべきだ。どちらかというと、こちらの「Jobs(原題:2013)」の方が、ウォルター・アイザックソン原作に忠実なのだ。できれば、テレビの金曜ロードショーあたりで、アシュトン・カッチャー版を放送してからマイケル・ファスベンダー&ダニー・ボイル監督版の公開というスケジュールにすべきであった。

日本公開名が全く同じ映画「ステイーブ・ジョブズ」だが、内容は全くかぶらない。

すると、IT戦国時代のアップルにおける登場人物群が少しでも頭に入ることだろう。それでなくても登場人物が多い。Appleの歴史のバックボーンが何もないと、単なる親子映画になってしまう。そういう意味では、カッチャー版で「ウォズ」や「コトケ」「スカリー」などとの文脈が整理される。

アシュトン・カッチャー版の「スティーブ・ジョブズ」の間に、マイケル・ファスベンダー版の「スティーブ・ジョブズ」は、スッポリと挿入でき、理解を深めるからだ。NHK大河ドラマに歴史の知識はあればあるほど楽しめるのとまったく一緒だ。

アシュトン・カッチャ−版「Jobs(2013)」

そう、ファスベンダー版のラストは、「iMac」のプレゼンで終わり、カッチャー版のオープニングは「iPod」のプレゼンで始まるからだ。なので、Appleを創り、Appleを蘇らせた男を知りたければ見ておかなければならない。

NHK大河ドラマとなりうるIT戦国武将の「スティーブ・ジョブズ」

NHKの大河ドラマの「真田丸」はさすがの三谷幸喜作品ならではのテンポの良い展開で、NHKの大河ドラマに新風を注いだ。史実に忠実かどうかはさておいてだ。ファスベンダー版の「スティーブ・ジョブズ」は、まさに史実に忠実ではない、IT業界の織田信長を描いた作品そのものだ。そう、大河ドラマは自由な解釈で、織田信長を描いているのだ。スティーブ・ジョブズも、いろんな角度から"織田信長"像として描かれても問題はないはずだ。

何度もあったジョブズにとっての決戦の場であるプレゼンは、すべてにおいて「本能寺の変」の舞台裏が繰り広げられているのであった。なぜならば、この映画には、明智光秀が多数登場するからだ…。

ある時は、元Apple Computerのダイナミックデュオであった元CEOのジョン・スカリー、ある時は、認知を拒み続けられた娘であるリサ・ブレナン・ジョブズ、またある時は、盟友だったスティーブ・ウォズニアックだ、他にも明智光秀は、元ゼネラルマジックのアンディ・ハーツフェルド(現Google)にまで至る。

そう思って、この映画を見ると舞台裏のドタバタがすさまじい。本番前のリハーサルがこんな地獄なワケがないくらい、最悪にシュールな喜劇なのだ。また、誰に暗殺されても、おかしくない状況だ。

筆者が感じた生のスティーブン・ポール・ジョブズ

この映画を見て、筆者はジョブズに何回、合って会話をしたかを改めて数えてみた…ステージ上のジョブズでなく…個人的に、一番最初に生ジョブズに直接会ったのは、大阪大学のトイレだ。キヤノン販売の出資を受け、大量受注できた大阪大学での講演であった。黒尽くめで、覆われたNeXTのステージ、非常口のランプが消されるのは彼のこだわりだったのだろう。しかも記者であるボクたちは90分以上も講堂から閉めだされた。黒尽くめのNeXTの「黒ミサ」の為にだった。HELLOだけをMacintosh128Kに言わせる為にこだわったジョブズだからこそ、大阪大学でもきっとダダをこねまくりだったのだろう…。

大阪大学でのプレゼン後、スーツ姿をぬいだジーンズ姿の生ジョブズに会った。筆者はダメ元で、ジョン・スカリー体制のMacintosh PowerBook100をジョブズに差し出し、スカリー、アトキンソン、ブレイナードのサインの間にジョブズのサインを乞うた。ジョブズ氏に、静かにNo!とだけ告げられた。しかし、男子便所で手を洗った瞬間に握手した彼のバツの悪い顔をボクは鮮明に覚えている。ジョブズの大きな手はそれでも、とてつもなく熱かった…。プレゼンに緊張していたのだ。

そして、何度かMACWORLDの舞台でAppleとしての、スティーブ・ジョブズと再会することとなる。二度目はギル・アメリオ元Apple CEOがNeXTを買収し、ジョブズを呼び戻した時だ。ジョブズは予定時間をはるかにすぎても、アメリオから奪い去った時間でプレゼンしまくる…。筆者は最前列で眺めていたが、アメリオは怒りで足が震えまくっていたのだ。このあたりは、アメリオの「アップル薄氷の500日」に詳しい。もしも、アメリオが、NeXTでなくジャン=ルイ・ガセーのBeOSを選んでいたならば、世の中は、全く別の世界になっていただろう。Appleは、とうに存在せず、ソニーかSUN(現オラクル)の一事業部として買収されていたかも知れない。スマートフォンもDocomoかMicroSoftかNokiaが制していたことだろう。そして、世の中はもっと悪い方向へ進んでいたことは確かだ。…ということは、結果として、ジョブズを選んだアメリオは、もっと歴史的に評価されるべきだったのだ。

1997年のジョブズ

2001年のジョブズ by KandaNewsNetowork,Inc.

2002年のジョブズ by KandaNewsNetowork,Inc.

大人になったジョブズは、新iMacで今度は、TIME誌を今度はうまく利用した…

カッチャ−版やフォスベンダー版と見比べてもらうとわかるだろうが…。ジョブズは、スタッフに対し、本当に心から謝辞を表しているのだ。傍若無人のジョブズはボクが知ってからは、表面上ではわからないほど、まわりの人に気をつかっている。スタッフを讃える。

これはボクが目の前で、見た生ジョブズの真の姿だ。筆者からすると、天才ジョブズも、舞台から終わった時は、分厚い指の手のひらに汗がびっしょりな、小心者だったのだ。

まさか、こんなにも早く、ジョブズが天命に召されるとは思わなかった…。

考えてみたら、ジョブズの実父のレストランにもサンノゼにいた頃にお会いした。ウォルターザックソンの小説を読んでひっくり返った!あのオヤジがジョブズの父だったとは! そして、ジョブズの義母のクララさん、そして、リード・パウエルこと、長男のリード・ジョブズさん。そして、ローレン・ジョブズさん。考えてみたら、スティーブ・ウォズニアックや、アンディ・ハーツフェルド、ジョン・スカリー、マイク・マークラ、レジス・マッケンナとIT業界の戦国時代の人と会えた。歴史の中にいる時は誰もそれを歴史とは感じないのだろう。

まさかジョブズも「ベガスの恋に勝つルール」のカッチャ−と、セックス依存の「シェイム」やアンドロイドの「プロメテウス」のドイツ人俳優のファスベンダーに演じられるとは夢にも思っていなかったことだろう。

ジョブズを織田信長にたとえ、ラリー・ペイジを豊臣秀吉、ビル・ゲイツを徳川家康にたとえて大河ドラマがあってもよいかと思う。やはり明智光秀は、ジョン・スカリーがあいそうだ。未来の人たちがスティーブ・ジョブズをどう評価するかわからないが、日本人には織田信長とするとぴったりだと思う。

筆者は生のスティーブ・ジョブズと同時代に生き、接することができたことを誇りに思える。ボクにとっての二人の、リサ・ブレナンのような子孫にも、スティーブ・ジョブズを間近で追い続けた日本人として、父をいつしか誇りに思ってくれる日がやってくるとありがたい…。

ITジャーナリスト・ソーシャルメディアコンサルタント

1961年神戸市生まれ。ワインのマーケティング業を経て、コンピュータ雑誌の出版とDTP普及に携わる。1995年よりビデオストリーミングによる個人放送「KandaNewsNetwork」を運営開始。世界全体を取材対象に駆け回る。ITに関わるSNS、経済、ファイナンスなども取材対象。早稲田大学大学院、関西大学総合情報学部、サイバー大学で非常勤講師を歴任。著書に『Web2.0でビジネスが変わる』『YouTube革命』『Twiter革命』『Web3.0型社会』等。2020年よりクアラルンプールから沖縄県やんばるへ移住。メディア出演、コンサル、取材、執筆、書評の依頼 などは0980-59-5058まで

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