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十勝沖地震から70年、心配な日本海溝・千島海溝沿いの地震、津波と共に流氷も襲う可能性

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
(写真:イメージマート)

流氷を伴った津波が襲った巨大地震

 1952年3月4日10時22分に襟裳岬南東の深さ54kmを震源とするM8.2の地震が発生しました。最大震度は5で、浦河町、帯広市、本別町、釧路市で観測しました。ただし、当時の震度観測点は現在と比べて少ないので、実際には震度6相当の揺れだったと思われます。揺れによる被害は、十勝地方や釧路地方の低湿地で目立ちました。また、津波が地震後約5分で襟裳岬周辺に到達しました。検潮所の記録では、津波高さは、釧路90cm、広尾180cm、室蘭55cm、函館60cmでしたが、津波痕跡に基づくと、厚岸町では6.5mに達し、北海道で3m前後、三陸沿岸で1~2mでした。北海道東部の霧多布などでは津波によって運ばれた流氷によって被害が拡大したようです。この地震による死者は28人、行方不明者5人で、家屋の全壊815棟、半壊1324棟、流出91棟に及びました。

はじめて発せられた津波警報

 この地震の直前の1950年に、中央気象台が「津波予報伝達総合計画」を策定して、具体的な津波予報手法を取りまとめていました。1952年4月1日には「気象官署津波業務規程」を制定しています。はじめての津波警報は、1950年2月28日に発生したオホーツク海南部の地震で、「ツナミナシ」を発表しています。津波を伴った最初の津波警報は、この十勝沖地震で、東北地方の太平洋沿岸に「ヨワイツナミ」、北海道地方に「ツナミナシ」を発表していました。残念ながら、北海道では「ツナミナシ」の発表でしたが高い津波が押し寄せました。当時の震源の決定精度の問題だと思われます。

前日の防災訓練が津波避難に活かされた

 十勝沖地震の前日の3月3日は、1933年昭和三陸地震の記念日でした。昭和三陸地震は、M8.1の巨大地震で、1896年明治三陸地震の発生に伴う日本海溝の海側で発生したアウターライズ地震だと考えられています。震源が陸から遠く離れていたので揺れは強くなかったのですが、津波によって3千人を超す犠牲者を出しました。1952年十勝沖地震の前日は、この地震から19年目の記念日に当たり、警報伝達訓練や避難訓練が行われていたことが、津波避難に活かされたと考えられています。

繰り返す十勝沖の巨大地震

 十勝沖では、1843年(M8.0)、1952年(M8.2)、2003年(M8.0)と巨大地震が繰り返し発生しています。この場所は、千島海溝沿いのプレート境界の一部に位置します。千島海溝沿いでは、M8クラスの地震が繰り返し発生していて、西側から「十勝沖の地震」、「根室沖の地震」、「色丹島沖の地震」、「択捉島沖の地震」と呼んでいます。根室沖では、1894年と1973年、色丹島沖では、1893年と1969年、択捉島沖では1918年と1963年に地震が起きており、4つの領域が隙間なく順に地震を起こしてきました。一回り小さいM7クラスのプレート間地震はより頻繁に起きています。地震調査研究推進本部が本年1月に評価した今後30年間の地震発生確率は、十勝沖地震はM8.0~8.6で10%程度、根室沖地震はM7.8~8.5で80%程度、色丹島沖及び択捉島沖地震はM7.7~8.5前後で60%程度です。2003年に発生した十勝沖地震以外は、極めて高い確率になっています。

心配される超巨大地震の発生

 北海道では、古文書が残されていないため、津波堆積物調査が精力的に行われてきました。その調査結果から、2011年東北地方太平洋沖地震のようなM9クラスの超巨大地震が繰り返し発生していることが明らかになりました。過去6500年間に内陸まで浸水するような地震が最多で18回発生していたようで、平均すると340~380年の間隔になります。前回の超巨大地震が17世紀前半に発生したと考えられているので、すでに400年程度が経過しています。東北地方太平洋沖地震に隣接する地域でもあり、超巨大地震の発生が心配されています。地震調査研究推進本部では、M8.8以上の超巨大地震の今後30年間の地震発生確率を7~40%と評価しています。

揺れと津波の予測

 千島海溝沿いで超巨大地震が発生すれば、北海道から東北北部にかけて強い揺れと大津波が襲うことになります。そのため、内閣府防災担当は、2020年4月に最大クラスの日本海溝・千島海溝沿いの地震について、津波高・浸水域、震度分布を公表しました。地震規模は前者がMw9.1、後者はMw9.3を想定しました。予測された津波高は、最大30m程度にも達し、岩手県宮古市以北では、東北地方太平洋沖地震を上回る津波高になっています。震度も、北海道厚岸町で震度7となっており、北海道から青森県、岩手県の太平洋岸で震度6強の揺れが予想されました。

冬季の地震での甚大な被害予測結果

 昨年12月21日、内閣府防災担当は、これらの地震による被害予測結果を公表しました。冬季の深夜の被害が最大で、日本海溝沿いの地震では、死者数は最大約19万9千人、全壊・焼失棟数が約22万棟、経済的被害は約31兆円、千島海溝沿いの地震では、死者数は最大約10万人、全壊・焼失棟数が約8万4千棟、経済的被害は約17兆円にも及びました。被害の殆どは津波によるものです。冬季に地震が起きると死者が急増します。道路の凍結や、吹雪、停電などにより、津波避難に困難が伴います。津波と共に流氷が襲ってくる可能性もあります。低体温症による犠牲者も発生します。

 1952年十勝沖地震は、M8クラスの3月4日10時22分の地震でした。当日の釧路の平均気温は氷点下6.8度で、皆起きている時間です。襟裳岬では地震後5分で津波が到達し、霧多布では流氷と共に津波が襲ってきました。この地震の被害を今一度思い出し、より大きな地震が、吹雪の中、深夜に起きたときのことなどを想像し、一人の命も落とさないよう、できる限りの対策をしていきたいと思います。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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