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異国で偉業を達成した1頭の日本馬に合うため、来日した3人の豪州人のストーリー

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
デルタブルースに合うため豪州から岡山を訪れたオーストラリアの3名

それぞれのメルボルンカップ

 6月15日、3人のオーストラリア人の姿が、岡山にあった。

 それぞれの思いを胸に抱いた3人は、歴史を作ったある1頭の日本馬に合うため、岡山の蒜山(ひるぜん)に降り立ったのだ。

17年前の2006年、オーストラリアでメルボルンC(GⅠ)を勝利したデルタブルース(レース翌朝撮影)
17年前の2006年、オーストラリアでメルボルンC(GⅠ)を勝利したデルタブルース(レース翌朝撮影)

 話は17年、遡る。現地時間の2006年11月7日、午後3時。当時、11歳だったのはマギー・ペイン。今回、来日した3人の中で、唯一の女性だ。

 「小学校にいたけど、先生が授業を止めて『皆で観よう』と言い、メルボルンCをテレビ観戦しました」

 南半球最大のレースであるメルボルンCの行われる11月の第一火曜日は、開催されるヴィクトリア州で“メルボルンカップデー”という休日になるほどの大行事。「国を止めるレース」という異名を持つように、オーストラリア国内の仕事場や学校で、皆が手を止め、テレビ観戦すると言われている。現在、ヴィクトリアレーシングに勤務するペインもまさにそういう形で、観たのだと語る。

 「史上初めて日本馬が勝ったというニュースで衝撃的だったのを覚えています」

 この時、勝利したのがデルタブルース。今回、同馬に合うために岡山を訪れたのだ。

マギー・ペイン氏。後方がデルタブルース
マギー・ペイン氏。後方がデルタブルース

 「当時はニューサウスウェールズのレーシングクラブで働いていました。勿論、テレビで観戦しましたよ」

 そう語るのはポール・ブラッドワース。

 「日本馬の強さを痛感する結果でした。同時に、いつかチャンスがあればデルタブルースに合ってみたいと思うようになりました」

 現在はレーシングヴィクトリアに籍を置く彼に、今年、ついにその機会が訪れた。

ポール・ブラッドワース氏とデルタブルース
ポール・ブラッドワース氏とデルタブルース

 1962年12月、メルボルンに生まれ、育ったのはリー・ジョードンだ。一度は銀行に就職したが、好きな競馬を仕事にしたいと転職。メルボルンCの行われるフレミントン競馬場を本拠地とするヴィクトリアレーシングから、ヴィクトリア州全体の競馬主催団体であるレーシングヴィクトリアへ移ったが、現在はまたヴィクトリアレーシングに戻って働いている。

リー・ジョードン氏とデルタブルース
リー・ジョードン氏とデルタブルース

 2000年に初来日をしたと語る彼は、07年の日本ダービー(GⅠ)、08年の安田記念(GⅠ)を日本で生観戦。勝ったのはいずれもウオッカだった。だから「スミイセンセイ(角居勝彦元調教師)には縁があったようです」と言うと、更に続けた。

 「そのスミイセンセイがビッグレースを勝つシーンに、初めて立ち会ったのが06年のメルボルンCでした。オーストラリア人が最も勝ちたいレースを日本馬が制したわけですけど、これを勝つ事の難しさは良く分かっているので、悔しいとかそういう感情は一切ありませんでした。素晴らしい事だと思いました」

デルタブルース(右)が勝利した06年メルボルンC。左は2着のポップロック
デルタブルース(右)が勝利した06年メルボルンC。左は2着のポップロック

 レーシングヴィクトリアに所属するブラッドワースと、ヴィクトリアレーシング勤務のジョードンとペインは当初、別々に来日する予定だったが、いずれも「デルタブルースに合いたい」という同じ目的を持っていたため、今回、行動を共にしたのだ。

約6000万円のカップを手に来日

 今年のメルボルンC勝者に贈られる実物のカップを手に、「私自身は初めての日本」というペインは語る。

 「参戦してくれる馬の誘致とメルボルンCのキャンペーンを兼ねて、現在、このカップと共に世界中を巡っています。ニュージーランド、イギリス、フランスと巡り、今後はアイルランドと香港も行く予定で、今回は日本に来ました」

今年のメルボルンカップ
今年のメルボルンカップ

 6000万円以上という今年のカップを手にした長旅は「プレッシャーを感じる」そうだが、それでも「このカップと共にデルタブルースに合うのが、今回の最も大きな目的です」と語る。

 「栗東ではジャスティンパレスのスギヤマ(杉山晴紀)調教師や、カワダ(川田将雅)騎手に会い、このカップを持った写真を撮らせていただきました」

 そう語るのはブラッドワース。それを受けてジョードンは次のように言う。

 「北海道ではヨシダさん一族に会って話をしてきました」

デルタブルースに合うために岡山を訪れた3名
デルタブルースに合うために岡山を訪れた3名

 更に、ペインは笑顔で次のように続けた。

 「渋谷のスクランブル交差点ではダミアン(レーン騎手)の奥様にカップを持って歩いてもらいました」

 約一週間の日本滞在の〆がデルタブルースに合う事だった。対面後には伊丹空港から成田へ飛び、乗り継いでオーストラリアへ帰国するというハードスケジュールになったが、それでも前日、栗東から車で約4時間をかけて岡山県真庭市にあるホテル入り。早朝、蒜山ホースパーク内にある引退競走馬支援施設の一般社団法人・オールド・フレンズ・ジャパンを訪問し、繋養されているデルタブルースとの対面を果たした。

 「隣の馬房のアロンダイトの方がデルタブルースよりもカップに興味を示してくれたわ」

 そう言って苦笑したのはペイン。

デルタブースの隣の馬房にいたアロンダイトがメルボルンカップに興味津々
デルタブースの隣の馬房にいたアロンダイトがメルボルンカップに興味津々

 「でも“あの”デルタブルースに合えて、感動したわ」と続けた。

 「元気そうで良かった」

 そう口を開いたのはブラッドワース。

 「大切にされているのが分かりました。もう22歳という事ですけど、まだまだ長生きしてもらいたいですね」

 この言葉に首肯したのはジョードン。

 「彼がメルボルンCを勝って以来の再会で懐かしい気持ちになりました。少し遠かったけど、またいつか合いに来たいので長生きしてほしいし、次はポップロック(デルタブルースが勝ったメルボルンCで2着。現在はチェコで繋養中)にも合いに行きたいです」

 メルボルンCを勝利した唯一の日本馬に合い、目を細めた3人。予定通り午後には機上の人となり、赤道を越えた。果たしてそれぞれの胸にはどんな想いが去来していただろう。

メルボルンカップとデルタブルース
メルボルンカップとデルタブルース

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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