サッカー報道。いまこそ「選手中心」の見方から脱却を
ウルグアイ戦、ベネズエラ戦に臨む日本代表のメンバーが発表された。初選出5人。ブラジルW杯メンバーとは半分が入れ替わった。
新監督を迎えれば、代表チームの価値観も変わる。初選出の中には、意外な選手も含まれているが、この程度の入れ替わりは本来、あっておかしくない話だ。僕は先日、出演したラジオ番組で「選ばれてもおかしくない選手は100人ぐらいいる」と述べたが、価値観が変われば、善し悪しの基準も変わるので、候補選手の対象は広がるのだ。
今回選ばれなくても、次回、次々回、チャンスが巡ってくる選手は少なくないはずだ。アギーレの話に基づけば、メンバーの入れ替わりは、今後もしばらくは続くだろう。これは、代表監督を替える大きなメリットと言っていい。
風通しはグッと良くなった。と同時に、代表メンバー入りを懸けた争いも、先が読めない混沌とした状況になった。誰が選ばれるか分からない面白さがある。アギーレが次回、誰を呼ぶか。その胸の内に興味がある。お眼鏡に適うのは誰か。
戦国時代。それはそれでとても興味深い。贔屓の選手が、選ばれたり、選ばれなかったりで、一喜一憂している人も少なくないと思う。実際、代表チームで見たい選手は誰ですか? と、訊ねられることも最近、増えている。
だが、3ヶ月前、ザックジャパンの最終メンバーが発表された後にも書いたが、代表メンバー発表の報じ方、そのニュースの広がり方は、紅白歌合戦の出場者やAKBの総選挙とかなり似ている。
日本代表選手に選ばれることは、一種のステイタスだ。選手のブランド価値が上がることを意味する。サッカー界がクラブではなく、代表チーム中心で回る日本の場合は、ことさらその傾向が強い。代表の新メンバーは、新たなスターの誕生を意味している。
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