G7のビアリッツから内陸へ バスク地方の手仕事を訪ねて 《マキラ》
前回の記事でご紹介したビアリッツから南東に内陸に入ると、車窓には緑が濃くなってゆく。緩やかな傾斜の丘に点在する家々は白壁に赤い窓枠。緑、白、赤の三色はバスクの旗にもなっているくらい、この土地を象徴する色だ。30分ほど車で走るとエスプレットに入る。ここは香辛料「ピマン・デスプレット」で有名な村。日本の干し柿のように白壁にぶらさがっているのが名産品のピマンで、これが香辛料の原料になっている。ここでいうピマンは、ピーマンとは違う。フランス語でピマンというとトウガラシのこと。しかもここのピマンから作る「ピマン・デスプレット」は、マイルドな辛味で料理を引き立ててくれるスパイスとしてフランスではよく使われている。
目指すマキラ工房「Ainciart Bergara(エンシア・ベルガラ)」はエスプレット村から5分ほどのラレソール村にある。「マキラ」とは耳慣れない言葉だが、バスク語で「杖」の意味。その起源は正確にはわからないようだが、バスク地方独特の杖、マキラは少なくとも2、300年前から存在していて、今回訪ねた工房「エンシア・ベルガラ」はおよそ200年、7世代にわたって受け継がれている。迎えてくれたのはリザ・ベルガラさん。今年3月に母ニコルさんから家業を引き継いだ女性だ。
そもそもマキラは普通の杖とどう違うのか。
今のように交通手段のない時代、人々はよく歩いた。バスク人、特にラブール地方の人たちの日々の助けになっていたのがマキラで、杖としての機能に加えて、細工が施された持ち手の金具を外すと小型の鋭い槍が仕込まれいて、山中で身を守る役割もしていた。
この辺りはかつてサンジャックデコンポステラ巡礼の街道筋で、同じバスク地方でもスペイン領になっているナバラ地方からフランス側の大西洋岸へ通じる交易路でもあることからマキラ作りが発展したという経緯がある。近代になると、多くの作り手は工業化に舵を切ったが、「エンシア・ベルガラ」は、「工業化することで、技術が失われる」と頑なに昔ながらの製法を守り、今では正統の手仕事を継承する工房としてほとんど唯一と言っていい貴重な存在になっている。
材料になるのは西洋かりん。周辺の森に自生する木で、丈夫でしかも柔らかいという特徴がある。杖にするのは9〜10年の樹齢のものだが、目星をつけた木には波線の模様を施し、さらに1年間成長させてから伐採する。リザさんの祖父シャルルさんは93歳だが、実は今でも現役で、この前日にはリザさんと一緒に森に入り、木に印をつけたという。
「多くの皆さんにこの文化を知っていただくために」と、「エンシア・ベルガラ」は日曜祝日をのぞいてほぼ1年中門戸を開いていて、アルチザンの仕事を間近で見ることができる。ただし、旅の記念に一つ、と、その場で即買って持ち帰ることはできない。なぜならこちらのマキラはすべて注文生産。それも、使う人の体格(身長、体重)に応じて木材を選ぶところから始まり、持ち手にはイニシャルやその人、もしくは贈り主が選んだ言葉がバスク語で刻まれるという具合に、首尾一貫パーソナライズされたものなのだ。
200年前と違い、マキラが日常に使われるという時代でなくなって久しいが、地元では誕生日や結婚祝い、あるいは退職する人へのはなむけとして、人生の節目に贈られる象徴的な工芸品になっている。ちなみに、お値段は290ユーロから660ユーロ。仕事の手間と希少性からするとこの値段はむしろ安いように思えるが、それは「すべてのバスク人が買えるように」という気持ちからあえて値段を引き上げていないのだという。また、バスクを訪れた人への最高のプレゼントとして、これまでにはヨハネ・パウロ2世、ネルソン・マンデラ、チャップリン、レーガン元大統領ら、歴史に名を残す人たちに贈られてきた。
では今回のG7の首脳たちにも? と、問えば、職人さんは作業の手を休めず静かな笑みを浮かべたまま、肯定も否定もされなかった。