北朝鮮の「地の果て」に連れ出された、ある男性の悲惨な運命
正確なデータは不明ながら、北朝鮮の首都・平壌の生活水準は、中進国レベルだとする向きもある。一方で地方、中でも農村部の住民は、極めて貧しい生活を強いられている。
当局は農村での住宅建設を行うなど、地方住民の生活向上を熱心にアピールしているが、平壌が圧倒的な優位にあり、その次に地方大都市、農漁村や炭鉱は最下位という北朝鮮のヒエラルキーは揺らがない。それは、人々の意識の面でも同じだ。
当局は都市部の若者を、彼らが自ら「嘆願した」形で農村や炭鉱の労働力として送り込む「嘆願事業」を行っているが、多くの人が嫌がり、あらゆる手を尽くして避けようとし、送り込まれてもなんとか逃げ出そうとする。
(参考記事:山に消えた女囚…北朝鮮「陸の孤島」で起きた鬼畜行為)
黄海南道(ファンへナムド)のデイリーNK内部情報筋によると、平壌から現地に飛ばされた40代の男性も、そのひとりだ。
元々は銅像などを作っている国営芸術会社である万寿台(マンスデ)創作社で画家として働き、平壌に暮らしていたが、「嘆願事業にひっかかり」(情報筋)、家族とともに黄海南道のクァイル郡にやってきた。
彼は、朝鮮労働党クァイル郡委員会(郡党)の宣伝部修復室で、金日成主席の銅像やモザイク壁画、油絵、朝鮮労働党の宣伝物を修復する専門家として働いていた。嘆願事業では労働環境の劣悪な現場に送られるケースが多い中で、身につけた技術を活かせる比較的恵まれた職場に配属されたと言えよう。
しかし、いくら恵まれた職場でも、また平壌から100キロ足らずで有数の果物の産地であっても、地方は地方だ。
一生を片田舎で暮らすことになった彼は、「こんな地方でどうやって生きていくのか」「過ちもないのに地方嘆願にひかかって農村に飛ばされて悔しい」などと、愚痴をこぼしていた。
さらに「自分がなぜ地方などに行かなければならないのか」「力もコネもない人は地方に追い出されなければならないのか」などと、彼の不平不満はとどまるところを知らなかった。
それを知った党組織は、修復室の同僚全員に彼の問題発言を文書にして報告するよう指示した。それをまとめた報告書を受け取った郡党は「常に不平不満を口にして、あたかも地方が人の住めぬ場所、流刑地であるかのように見下す者は、党の宣伝物を修復する作業を担う資格はない」、「清く純真な地方の人々を思想的に汚しかねない」と結論を下し、保衛部(秘密警察)に彼を逮捕させた。
数日後、彼の家族も忽然と姿を消した。
地域住民は、より深い山奥に追放されたのだろうと見ている。かくして、彼はあれほど嫌ったクァイル郡からの脱出には成功したかも知れないが、画家の仕事も、家族の未来もすべてを失ってしまった。いや、もしかしたら、管理所(政治犯収容所)という地獄に連れ出されたのかも知れない。