Yahoo!ニュース

ヒデキが舞い降りた夜。

二宮寿朗スポーツライター
マスコットのふろん太が西城さんのパネルと一緒にオープンカーに乗り込んでYMCA!

 あのお馴染みのイントロが鳴り響くだけで、なぜだかどうしてか体がムズムズする。

 7月22日夜、川崎フロンターレのハーフタイムショー。今年も川崎市制記念試合、恒例のイベントが始まった。

 ヤングマン! さあ立ち上がれよ。

 大型ビジョンには、在りし日の西城秀樹さんがここ、等々力競技場で歌い上げていた姿が映し出されている。ピッチ外のトラックには、いつも乗っていたオープンカーがトラックを走っている。

 ホームもアウェイのV・ファーレン長崎もお客さんみんなでYMCA。大人も子供もYMCA。筆者も、心のなかでYMCA。ヒデキが舞い降りた夜だった。

 西城さんとフロンターレの絆は深い。

 2000年の市制記念試合で「YOUNG MAN」を歌い上げたのが始まりである。当時はクラブの認知度が低く、観衆は3000人~5000人程度。「スタジアムに一体感をつくりだしていただきたい」というクラブの思いを汲み、川崎在住だった西城さんは出演を快諾する。出演料は二の次。成功させるためにリハーサルを何度も行ない、スタジアムに集まった全員に呼び掛けるように歌い上げた。

 フロンターレが求めていたものが、そこにあった。

 04年から年に一度の恒例行事となる(07年は実施せず)。ユニフォームを着て、声を張り上げ、キミを元気にさせていく。

 その後、フロンターレは強豪クラブに成長していくとともに、アットホームなイベントで知られることになっていく。フロンターレ独特の一体感は、「YOUNG MAN」が導いたもの。1年に1度、原点に立ち戻るかのようにYMCAが等々力にこだました。

 西城さんは2度、脳梗塞を発症した。それでも病に負けることなく、元気な姿をファン、サポーターに見せてきた。

 もうあの姿を見ることはできない――。

 5月16日、西城さんは63歳の若さで天国に旅立った。

画像

 ありがとう、ヒデキ。

 クラブも選手も、そしてサポーターたちも。

5月20日に行われたホームの清水エスパルス戦。サポーター有志が作成した西城さんの似顔絵が入った大きな幕が登場し、ゴールを決めた中村憲剛は両手で「YMCA」を繰り出し、喪章を天に掲げた。そして試合後に流れた「YOUNG MAN」。ここにいる誰もが、西城さんの死を悼んだ。

 この夜の景色がクラブスタッフの背中を押す。

 2カ月後に控える市制記念試合。やっぱり西城さんと一緒に盛り上がりたい――。正式にイベントが決定すると、ビジョンに流す映像制作に入った。こだわり満載の映像であった。

 これまで西城さんの企画に携わってきた営業部の井川宜之さんが明かす。

「この場で歌ってくれているようなライブ感を出さなきゃいけないと思いました。CDの音源ではなく、あくまで過去の(市制記念試合での)音源で。選手たちにもYMCAをやってもらって、映像に入れました。秀樹さんは歌い終わった後、『盛り上がっていくぞ』とかスタンドに向かって声を掛けてくれていました。『フローンターレ』の掛け声があってサポーターの手拍子があるんですけど、秀樹さんはいつも何故か『フロンターーレ』になって、手拍子しづらい(笑)。ここも昔の音源で再現しています。VTRが完成したときに、古いスタッフたちはここが一番盛り上がっていました。そうそう、これが秀樹さんだって」

 映像は懐かしい西城さんの姿を映し出す。水色の帽子のときもあれば、赤色の帽子のときもある。晴れの夜も、雨の夜も、西城さんは楽しそうだった。みんなも楽しそうだった。

 実は、リハビリに励む西城さんに対し、恒例行事を中断せざるを得ないこともクラブ側は覚悟していたという。井川さんは言う。

「ご病気のことがありますから、お願いしてもいいものかどうか、すごく悩みました。でも秀樹さんが毎年、楽しみにしていると聞いて、うれしくてうれしくて。我々としては、断られるまでずっとオファーさせていただこうよ、と。だから一昨年も昨年も、秀樹さんは等々力に来てくれました。そしていつものように一体感をつくっていただきました。感謝の言葉しかありません」

 市制記念試合の4日前、井川さんは西城さんの自宅を訪問した。サポーター有志がつくった幕を、通夜の際に渡していた。そこにはサポーターたちの感謝のメッセージが書き込まれてあった。ご家族から「この幕をイベントで使っていただきたい」と連絡を受けて、駆けつけたのだった。妻・美紀さんからサポーターへの感謝の言葉があり、そしてフロンターレへの『お願いごと』もあった。

「できれば今後もYOUNG MANを続けてください。きっと天国の秀樹さんも喜ぶと思いますから」

 家族の思いを有難く受け取った。市制記念試合の「YOUNG MAN」。これからも西城秀樹の歌声が、大好きな等々力競技場で響き渡りますように。家族のみならず、井川さんをはじめフロンターレにかかわる多くの人々がきっとそのことを願っている。

 ハーフタイムショーが終わると、長崎のサポーター席から「西城秀樹」コールが巻き起こった。「西城秀樹さん、たくさん元気、夢、思い出ありがとう」と書かれた横断幕が掲げられた。

 その光景に温かい拍手が、スタジアムを包んだ。ホームもアウェイも一緒に、盛り上がろうぜ。これもヒデキが生み出す一体感である。

 キミも元気だせよ!

 蒸し暑さも、憂鬱も、吹き飛ばしてくれた。

 舞い降りたヒデキが、吹き飛ばしてくれた。

画像

(写真はいずれも川崎フロンターレ提供)

スポーツライター

1972年、愛媛県出身。日本大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。格闘技、ボクシング、ラグビー、サッカーなどを担当し、2006年に退社。文藝春秋社「Sports Graphic Number」編集部を経て独立。著書に「岡田武史というリーダー」(ベスト新書)「闘争人~松田直樹物語」「松田直樹を忘れない」(ともに三栄書房)「サッカー日本代表勝つ準備」(共著、実業之日本社)「中村俊輔サッカー覚書」(共著、文藝春秋)「鉄人の思考法」(集英社)「ベイスターズ再建録」(双葉社)がある。近著に「我がマリノスに優るあらめや 横浜F・マリノス30年の物語」。スポーツメディア「SPOAL」(スポール)編集長。

二宮寿朗の最近の記事