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差異の作曲家が生み出した現代音楽という新たな驚きと楽しみ<山内雅弘作曲個展アフター・インタヴュー>

富澤えいち音楽ライター/ジャズ評論家

コロナ禍3度目の緊急事態宣言明けという間隙を縫うように、山内雅弘作品個展が東京・上野の東京文化会館小ホールで開催された。

東京学芸大学の教授である山内雅弘は、還暦を迎えた昨年に一念発起し、自身初となる“個展”つまり自身のオリジナル作品のみの演奏会を、すべて初演というボーナス付きで企画。

クラウドファンディングを巻き込んでの実施までの経緯については、すでに本人に語ってもらっている。

初の個展に挑む現代音楽作曲家にその意気込みを語っていただきました【ジャズプレゼンテーション】|https://note.com/jazzpresentation/n/n0f6cb819765d

今回は、初の個展を終えた山内雅弘に、所感と総括を含めながら、「現代音楽の現在」を具現したとも言える新作の内容を語ってもらった。

山内雅弘作曲個展

2021年6月5日(土)

東京文化会館小ホール

出演:間部令子(フルート)、多久潤一朗(フルート、スライドホイッスル、鍵盤ハーモニカ、オタマトーン)、佐藤洋嗣(コントラバス)、荒木奏美(オーボエ)、鈴木俊哉(リコーダー、スライドホイッスル)、松岡麻衣子(ヴァイオリン)、甲斐史子(ヴァイオリン)、安達真理(ヴィオラ)、山澤慧(チェロ)、岩瀬龍太(クラリネット)、大須賀かおり(トイピアノ、ピアノ)、會田瑞樹(ヴィブラフォン)、馬場武蔵(指揮) <出演順>

♪ 緊急事態宣言の間隙を縫って開かれたコンサート

山内雅弘(中央)と出演者一同(撮影:稲木紫織)
山内雅弘(中央)と出演者一同(撮影:稲木紫織)

──6月5日の個展の成功、おめでとうございます。まず、総括的な感想をお聞かせください。

山内 いちばん印象的だったのは、緊急事態宣言のなかでの開催になってしまったということですね。それも、もうちょっとズレていたら、会場の東京文化会館自体が休館になっていたので、状況によっては延期もあり得たわけですが、「無事に開催できた」ということで、感慨深いものになりました。

 それ以上に、客席が、なんというか、とても集中して聴いてくれた。拍手も温かかった。緊急事態宣言下という普通の状況じゃないから余計にそう感じたのかもしれないですけれど、そうした会場の雰囲気が演奏にも良い影響をもたらして、私自身としては無事に終わっただけでなく、ある一定以上の満足感を得ることができたコンサートになりました。

──観客のひとりとして、大成功の要因はなによりも楽曲のすばらしさと演奏のすばらしさがあったからだと思っています。それぞれの曲について、作曲家から解説していただきたいのですが、まず1曲目「虚無の構造〜2本のフルートとコントラバスのための」では、音域的に対極の楽器であるフルートとコントラバスを選ばれたとパンフレットに解説されていました。この2つの楽器を選んだ選んだ理由と、“近似性”について説明していただけますか?

山内 室内楽というのは、いろいろな編成を組み合わせる可能性をもった対象で、組み合わせを考える段階ですでにある種の意図というか、どんな狙いがあってこの編成なのかという“作曲者の思考がわかる”ことになるわけなんです。

 今回のフルートとコントラバスでは、一般的には高音楽器と低音楽器ですからずいぶん“差がある楽器”にもかかわらず、意外に音色(おんしょく)は近く、似た音が出せたりする。

 こういうことはほかの楽器でもよく経験することですが、そういうことを積極的に利用するというのが現代音楽の作曲法にはよくあることなんですね。

 もちろん、一方では違う楽器だからこそぜんぜん違う音色もあって、その組み合わせがおもしろいということが曲の発想につながっています。

 そういうことは直感的に「これはうまくいきそうだ」と思って選ぶんですが、この曲の場合もそうでした。

──そうした発想のきっかけや、その発想を曲として仕上げるためのテクニックについて、少しご教示いただけないでしょうか。

山内 現代音楽では特殊奏法がいろいろと開発されて、それまでの伝統的な奏法による発音原理にはないことをやるようになりました。その結果、この楽器からはこんな音も出るんだということを私自身、これまでいろいろと経験してきているわけです。

 そうすると、これまで通常と思われなかった奏法での組み合わせでおもしろい音色が生まれる。そういうことを経験してきたなかで、直感的に「これはうまくいきそうだ」と思うわけです。

 今回の場合、フルートは管楽器にもかかわらずパーカッシヴで、想像していたのと違う音が出せるぞ、と。コントラバスも同様で、叩いてみるとおもしろい。ぜんぜん似たところがないと思っていた2つの楽器が、叩いてみると聴いたことがない似たような音色になる。目の前で演奏されていても、「これはなんの楽器で音を出しているの?」っていう驚きが生まれる。

 こうした未知の音色に関する興味というものが、もともと私のなかにあるんです。そして、驚きたい。驚かせたい。

 この楽器とこの楽器を組み合わせれば、驚くような音色が生まれるのではないかということを、経験と直感で選んでいくわけです。

──演奏を聴いた瞬間、脳が混乱するという体験をしたことが印象的でした。曲の構成的には“音列的な操作を考えた”とされていましたが、そうした操作と即興的であることとの両立についてはどうお考えですか?

山内 自分で“音列的”と解説を付けましたが、実際にできあがったものが、音列的に操作されているのか、本当に自由に作曲されているかの区別は、おそらく難しいと思います。

 ただ、音列にこだわりすぎると、ある種のモチーフ的に聞こえて、そこに仕掛けをしたなと気づくことができる場合もある。

 反対に、即興が完全に自由かというと、そうでもない。つまり、でたらめにやることが即興ではないわけです。ジャズにおける即興でも、「この場合にこの音は弾かない」というような論理性はあるわけで、言い換えれば“論理的なことが身体に染みついているからこそ自由にできる”ということになる。

 つまり、即興的であるということと論理的であるということは対立しているわけではない、と僕は思っていて、この曲で“即興的になる”というイメージは、むしろ音列とは関係なく、どちらかというとリズム的な部分じゃないかと思っているんです。

 3人の演奏者がすごく自由に吹いているようで、実はカッチリと書かれている、と。

──音列への意識と即興への意識には近似性があるということですか?

山内 そうですね。即興の裏には論理性があることを踏まえて、結果的に聞こえる音が作曲されていないような印象にしたかったということです。

 つまり、音列を意識するというより、リズムの補完的な感覚によって「そう聞こえる」ことをやってみた、というか……。

──リズムの補完的感覚、ですか?

山内 ジャズのインプロヴィゼーションの場合でも、コード的な操作よりはリズムのノリ的に揃えることで成立させるということがありますよね?

 それって、いわゆる“楽譜を練習した”という演奏ではないとされるワケです。クラシック側から言わせれば、ジャズが自由に、好き勝手に弾いているように見えるというのは、やはりリズムのノリによるところが大きいんじゃないかという気がしているんです。

──なるほど。ありがとうございます。では、2曲目「オーボエ・コンチェルト」。これはオーボエとリコーダーとスライドホイッスルとオタマトーンという、通常のオーケストラでは使われない楽器も入れてのアンサンブルなんですが、この発想はどこから?

山内 この曲もまた、西洋音楽の多様な編成のなかで、どういう楽器を組み合わせれば良いかをいろいろと試行錯誤しているときに、直感的に、けっこうすんなりと浮かびました。

 最初に独奏楽器、それでコンチェルトっぽく。今回は室内楽なので厳密には協奏曲ではないのですが、3〜4人の演奏者のなかのひとりがソリスト役で、ほかの演奏者がそれを支える“擬似的コンチェルト”というイメージが浮かんだときに、まずソリストは管楽器がいいだろう、と。そしてすぐに、クラリネットではなくオーボエだ、と決まった。

 それを支える相手としてなにがいいかと考えていたら、意外とすぐにスライドホイッスルでやったらおもしろいんじゃないかというアイデアがでてきて……(笑)。

 ただ、スライドホイッスルはグリッサンドは得意ですが、ひとつのピッチを規定するのがあまり得意ではない。ある部分はピッチが明確なほうがいいということになって、だったらリコーダーだ、と。まぁ、スライドホイッスルとリコーダーなら持ち替えもできるだろうということもありました(笑)。

──オタマトーンは、バックを支える、つまりオーケストレーションを担うことができる楽器と思って使ったんでしょうか?

山内 最初は使う予定ではなかったんですが、低音部をカヴァーできる大きなスライドホイッスルを探しているときに、グリッサンドができる楽器としてオタマトーンを見つけて、「あっ、これだ!」ということでした(笑)。

左からオタマトーン、オーボエ、スライドホイッスル(撮影:稲木紫織)
左からオタマトーン、オーボエ、スライドホイッスル(撮影:稲木紫織)

♪ 現代音楽作曲家を悩ました弦楽四重奏の呪縛

──3曲目は「弦楽四重奏曲 第1番 Reflexion」。作曲家にとっての弦楽四重奏曲の難しさを解説で語られていましたが、それはどういった難易度なんでしょうか?

山内 先ほどから話題になっていますが、現代の音楽にとって、特に室内楽では、変わった編成を選ぶこと自体が、ある種のアイデアの表出になる、と思っています。

 ところが、弦楽四重奏とピアノ・ソロに関しては、古典時代から過去の大作曲家が取り組んできた標準的な編成ですから、そのアイデアを発揮する余地がない。弦楽四重奏はハイドンのころからありますから。

 そうしたなかで、いま、21世紀に自分がその滔滔たる弦楽四重奏の歴史に対して、なにを加えることができるのか……。

 そうした想いが先立ったことが、ほかの曲以上にたいへんだったんだと思います。

──この曲では、旋法的な音づかいをされていると解説されていましたが、旋法的つまりジャズではモードという言葉でおなじみの手法を使って、なにを“リフレクション”させたのでしょうか?

山内 まず、この曲でモードを使ったのはひとつの選択に過ぎず、弦楽四重奏に向き合うのが難しいとかには関係ないんです。

 単純に私のなかのイメージで、弦楽器は比較的音色が同じであること、だけども実は微妙に、弓の圧力とか奏法によって同じグリッサンドでも違うということがあるな、と。ボディを叩いて出す音もずいぶん違いますよね。

 例えば、海に光が当たると、水面がキラキラと光って、グラデーションになったり乱反射が起きたりする。同じ光なんだけれど、違う表情を見せてくれますよね。

 4つの弦楽器も、一見、同じ音色、同質な響きに聞こえるんだけど、実はそれぞれが微妙に違う。

 同じだと思われているものに多様性が潜んでいることを表現したいという想いが、このタイトルにつながっています。

──そして、“1番”という番号が振られています。2番の見通しというのは?

山内 先ほども申したように、弦楽四重奏に向き合うには厳粛な気持ちにならざるをえなくて、7曲のなかではいちばん真面目に取り組んだというか……。ほかの曲は不真面目に作ったというわけじゃないんですが、その点を自己評価すると、やはり“力が入っている”ということなんです。

 それは必ずしも良いことではなくて、逆に“遊びがある”“力が抜けている”というほうが良いに決まっている。

 ほかの6曲に関しては、良い意味での“遊び”があって、たぶんそれは聴いた人に対しても好ましい結果をもたらしていると思っています。

 では、なぜこの「弦楽四重奏曲 第1番」を真面目に作ってしまったかというと、学生時代の習作を除けばようやく書こうと思った、かける気がした対象だったから、まずは「真面目に書かなければ」と思ったと言うことなんです。

 一種の自分に対するケジメみたいなもので、最初だから真面目に取り組んで、次からは力を抜いて、“遊び”を入れられるのではないか、入れなきゃいけないなと、そういう気持ちでいるんです。

 ですから、真面目に作ったのは結果的そうなったというよりはそうしようと思ってなったわけで、成功だったということなんです。

 で、2番をいつ書くのかですが、予定はないですけれど、内容については違う方向性からの作曲ができると思いますので、自分でも期待しています。

弦楽四重奏(撮影:稲木紫織)
弦楽四重奏(撮影:稲木紫織)

♪ アコースティックではできない表現を“電気仕掛け”で

──4曲目の「そして虚空へ〜クラリネットソロのための〜」では、ループを使って、クラリネットの独奏なのに、多重的、多層的な音楽を表現されました。

山内 現代音楽では、ループに限らず、エレクトロニクスや電子音楽との協働はかなり前からありましたが、日本ではそもそも、必ずしもエレクトロニクスや電子音楽に対して、音楽大学のカリキュラムなどで活発に取り組むような動きが少なく、逆に“電気仕掛け”のようなあまり良くないイメージでとらえられていた。

 個人的には、機会があれば全面的にではないけれど、エレクトロニクスや電子音楽でなければできないアイデアに取り組んでみたいという気持ちはもっていました。その一端が、この曲に現われたということです。

──テクノロジーの利用と山内さんが考える作曲には境界線というものが存在するということなんでしょうか?

山内 この曲の場合、ループ部分も織り込んで記譜するわけですから、自分ではこれも作曲には違いない、と思っています。

 電子的なもので偶然になにかが加わることで変わる音楽もおもしろいと思いますが、どちらかというとアコースティックな発想、楽譜に記譜してコンポジションするというスタイルの作曲を続けてきた自分としては、偶然性を生み出すエレクトロニクスを全面的に利用するのではなく、あくまでも一部をアイデアとして取り込む、という発想だと思っています。

──5曲目の「螺旋の記憶II〜2つのヴィオラのための〜」では、ヴィオラのデュオである必然性があったと解説されていましたが、どのような必然だったのでしょうか?

山内 まず、ヴィオラは特殊な位置にある楽器だと考えていること。弦楽器でヴァイオリンとチェロに挟まれているヴィオラは、オーケストラでは“縁の下の力持ち”的な、あまり脚光を浴びない位置に甘んじている。

 そもそも楽器学的にも、ヴァイオリン音域を完全5度下に延長するにあたって、音響比だともはや顎で支えるのでは手が届かないぐらいに大きくなるはずで、かといってチェロのように立てることもできないという中間的な存在なので、音響学的にも不利な設計らしいんですね。

 その結果、ほかの弦楽器とかぶっている音域についても音が“渋く”なっているというか、やっぱり違う音色なんです。

 だから、「やっぱりヴィオラじゃなければダメだよね」と思っている作曲家もいるんですけれど、まさにヴィオラならではのC線の音域をメインとしながら、高い音域にも行くことができて、高い音域ではヴァイオリンにはない軋み感、ある種の“苦しさ”を表現できる。そういう魅力を発揮するヴィオラが、デュオならさらに際立つのではないかという、音色的な欲求から生まれた曲だと思っています。

──この曲の構造を“スパイラル・ポリフォニー”と解説されていましたが、対位法とは違うのですか?

山内 いえ、同じなんですけれど……。DNAの螺旋のように、完全に自立しているというよりは、2つの旋律が1本のヒモを作っているようなイメージなんです。

 組紐のような、微妙に遠近感が前後するもの。前にいたり後ろへ行ったり、絡み合っているような、ね。

 だから、2つのヴィオラが対立している対位法というより、似た要素で絡み合って1本のように見える螺旋的なポリフォニーである、と。

 あれ? 1本じゃなかった、2本なんだ、でもくっついて見えるぞ、というような、絡み合っているイメージがこの曲に合っていると思ったので、スパイラルという言葉を付けることにしました。

──絡み合っているイメージには、なにか影響を受けたものがあったりしますか? 例えばDNAのニュース映像とか……。

山内 いや、そういうものがきっかけではないんですけれど、例えばリゲティ(作曲家、1923ー2006)がやっていたような音群作法というのがあって、塊のように見えるけれど、実は細かくうごめいていたというような曲があります。

 その塊を螺旋に“進めた”、というわけではないんですが、壁のような面ではなくて、音楽自体が龍のように自由に動き回り、それ自体が組紐のように見えるというのが、私のイメージなんです。

 別にリゲティに対抗したわけではなく、「音群作法を進めた螺旋作法だ」と主張するつもりもないんですが(笑)、スパイラルというイメージが自分の“音の塊”に対するとらえ方としては、合っていると思った、ということです。

螺旋的な対位法を表現したヴィオラのデュオ(撮影:稲木紫織)
螺旋的な対位法を表現したヴィオラのデュオ(撮影:稲木紫織)

──6曲目の「差異について〜トイピアノとヴィブラフォンのための〜」では、トイピアノを起用されています。

山内 これも意識して選んだというより、探しているうちに“合う”と思ったものが見つかって、曲になっちゃった、ということなんですね。

 根本的に、聴いたことがないような音色に惹かれるところがあって、トイピアノと出逢ってしまったわけです。

──ヴィブラフォンでは、アルコ奏法(弓弾き)を用いていますが、これも珍しさを?

山内 確かに、音色上の必要性からの選択です。ただ、ヴィブラフォンを弓で弾くのはすでに多くの作曲家が使用しているもので、以前から美しい響きが出せることを知っていました。それが必要かどうかというところで、今回はコーダ、結末部分で使いたいと思いました。

トイピアノ(左)とヴィブラフォン(撮影:稲木紫織)
トイピアノ(左)とヴィブラフォン(撮影:稲木紫織)

──曲名の「差異」にはどういう意味が?

山内 ヴィブラフォンとトイピアノ、どちらも金属の板を叩いて音を出すという、発音原理的には似ている部分があるけれど、トイピアノの響きは不安定で、ヴィブラフォンはよく響く。そういう違いのおもしろさが、この曲だけではなく、今回の全体のテーマでもあるんじゃないかと指摘する人もいて、私も「なるほど、それはあるな……」と思っているんです。

 弦楽四重奏では同じ楽器群で音色が近いけれど、違う楽器がなっているんじゃないかと思わせたいとか、フルートとコントラバスでは違う楽器だけど同じような音がするとか。

 ある瞬間、同じような音に聞こえて楽器同士の差が縮まったり、同じ楽器群なのに違う音に聞こえて差が広がったり。

 これはもしかしたら、キーワードかもしれない、と。

 ただ、今回の曲名は、すべて後付けなんです。僕は曲名なんてどうでもいいと思っているところがあって(笑)、曲がほとんどできあがった時点で題名が付いているものはなかったんですよね。

 ですから、言葉から受ける曲のイメージは、必ずしも作曲の原点ではないんです。

 特にこの曲は、ほかの曲以上に名前を付けるのに難航していましたからね(笑)。

──とはいえ、山内雅弘という作曲家は“差異の作曲家である”と言われるのはやぶさかではない、と?

山内 そうですね。差異から生まれるいろいろな調和や、逆に軋み、場合によっては亀裂のような、そういうものを上手い具合に取り込んで曲を作りたいと思っていることが、浮かび上がったのかもしれませんね。

♪新作初演の“経験豊富”な指揮者を起用

──7曲目は「忘却のリトルネッロ〜6人の奏者のための〜」。このリトルネッロというのは古典的な編成を示す音楽用語で、例えばヴィヴァルディの「四季」の「春」なんかが代表的なものだと辞書に出てきますが、こういう形式を起用した意図はどこにあったのでしょうか?

山内 いわゆる“何度か戻って繰り返す”という形式ですね。ロンドなどもそうです。

 現代音楽って、1950年代から60年代あたりまでは、繰り返しがとても嫌われていたんです。

 70年代のミニマル・ミュージックになると繰り返しが多用されるようになりましたが、それ以前は“再現”もまず取り入れなかった。重要なモチーフさえ、繰り返して使うことを避けていました。同音連打すら嫌っていましたからね(笑)。

 いまは、反復そのものに関してはあまり忌避されなくなって、もちろん私もそうですが、それでも簡単に使っちゃいけないという気持ちはずっとあったんです。

 それを逆手にとって、今回は積極的に向き合うことができるのではないかと思ってやってみた。

 実は、本当の意味でのリトルネッロではなくて、どんどん変質していって、そのあいだには違うモチーフも挟まったりする。でも、リスナーには繰り返されるモチーフが記憶され、しかし変容していくという不思議な気分を味わってもらえるんじゃないかと思いました。

──7曲中唯一、指揮者を起用されています。

山内 全曲、私がリハーサルから立ち会って、演奏を聴きながら作曲家としての注文を出すわけなんですけれど、この曲では、指揮者があいだに入ることで、私の代わりをやってくれたと思っています。

 特に今回お願いした馬場武蔵さんは、私が言おうと思ったところを先取りして指示してくれたりと、ほとんど口出しする必要がないくらいでした。

 こうした、自分以外に別の解釈者がいて演奏をまとめてくれるというのは、オーケストラでよく経験しますけれど、おもしろいですね。

──馬場武蔵さんとは初対面だったんですか?

山内 はい。まだ若く、海外で活躍されていますけれど日本ではまだあまり知られていないので、今回紹介することができて、よかったと思っています。

 馬場さんはヨーロッパの、特に現代音楽のアンサンブルでの経験があって、新作初演に立ち会うことも多い。新作委嘱の機会が多い演奏団体に関わっていましたからね。そういう意味で、現代音楽という範疇では“経験豊富”と言ってもいい。今後は、日本でも活躍されることでしょう。

──今回の曲のなかではいちばん大きな編成の曲ですが、大きな編成の曲を作る場合の難しさとは?

山内 当たり前なんですが、対位法的には楽器の数が増えればそれだけ当然、やりにくくなります。お互い対等に絡み合えるような音楽を作らなければなりませんからね。

 でも、聴く側としては4人が対等にしゃべっているのを聴き分けられるかという問題がある。おそらく人間の耳は、3つぐらいが聴き分けられる限界じゃないでしょうか。

 そうなると5人目や6人目にも自己主張させつつ、ほかの邪魔をさせないような関係性を作らなければならない。人数を増やしても、あるパートが寂しいことになったらダメですからね。

 それを対位法的に成立させようとするのはかなり難しくなる。

 でも、だからこそ、困難があるからこそ、やりがいがある、ということなんです。

 やっぱり、コンサートの最後に、音色的にも多彩で、派手な、クライマックスがくるような曲を持ってきたかったので、この曲が上手くいってとてもよかったです。

──これらの7曲、2020年のコロナ禍のなか、半年ぐらいで書かれたわけですね。

山内 はい。今回はクラウドファンディング※でも掲げたように、ぜんぶ初演で、とりあえずやりたいことをやれた、と思っています。本番も、いろいろと細かいことはありましたが、トータルでとても良い演奏だったと思います。

作曲個展を開催して生まれたばかりの作品を多くの人に届けたい‼|CAMPFIRE https://camp-fire.jp/projects/view/399175

──半年で7曲、1ヵ月で1曲は書けるということですね(笑)。

山内 室内楽のような小編成だと、がんばれば結構な短時間で書けるものですね(笑)。

 とりあえず室内楽をこれだけ書いたものですから、今度はオーケストラ曲に向かいたいんですよ。時間をかけて大きな曲を、来年に向けて1曲完成させたいと思っています。

──できあがりを楽しみに待ちたいと思います。本日はありがとうございました。

撮影:稲木紫織
撮影:稲木紫織

インタヴューのもようをラジオ番組風に編集しました。記事とあわせてお楽しみください。

https://note.com/jazzpresentation/n/n9d7577794ee8

音楽ライター/ジャズ評論家

東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。2004年『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)、2012年『頑張らないジャズの聴き方』(ヤマハミュージックメディア)、を上梓。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。2022年文庫版『ジャズの聴き方を見つける本』(ヤマハミュージックHD)。

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