「あちこちで金持ちが餓死」むなしく消える金正恩の叫び
1990年代後半の大飢饉「苦難の行軍」以降で最悪の食糧難に見舞われていると伝えられる北朝鮮。農業改善を重要政策として掲げる金正恩総書記の叫びも、むなしいこだまとなって消えていくだけだ。
ただ、外部からその詳細な状況を把握する術はなく、国内から伝わる断片的な情報から、食糧難が全国的な規模で起きていると推測するしかない。
今回取り上げるのは、中国との国境に接し、国内最大の貿易都市の新義州(シニジュ)の状況だ。北朝鮮では首都・平壌には及ばずとも、豊かな方に属する地域なのだが、2年以上続いた国境封鎖で飢えに苦しむ人が増えていると、現地のデイリーNK内部情報筋が伝えている。
新義州や道内の各地では、一家全員が飢えに苦しむ家が増加し、ある人民班(町内会)では、3軒に1軒は食糧の調達が困難となっている。
市内の石下洞(ソッカドン)の人民班では、5つの家族全員が意識を失った状態で発見された。いずれも女性が市場での商売で家族を養っていたが、不況で充分な収入が得られなくなったところに、度重なる勤労動員を強いられた末に倒れてしまった。大黒柱を失った残りの家族も食べ物にありつけなくなり、飢えで倒れてしまったとのことだ。
(参考記事:北朝鮮「骨と皮だけの女性兵士」が走った禁断の行為)
コロナ前までは豊かな暮らしをしていた人々ですら、食糧を手に入れられず餓死したとの情報が、南浦(ナムポ)や元山(ウォンサン)から伝わっているが、新義州でも富裕層が生活難にあえぐ状況となっているというのが、情報筋の説明だ。
南浦も元山も、北朝鮮では比較的に恵まれた地域だ。しかし新義州と同様、極端なゼロコロナ政策で貿易がストップしてしまい、当局が市場に対する締め付けを強化したことで収入が途絶えてしまったのだ。市場経済化の進展に伴い、極端な格差社会と化していた北朝鮮だが、このような形で格差が解消されるのは実に皮肉なことだ。
同じ道内でも、国境から離れた地域ではより状況が深刻なようだ。
亀城(クソン)では、一家3人が栄養失調で倒れ、うち7歳の子どもが餓死する悲劇が発生した。両親は意識を取り戻したものの、子どもを失った悲しみで立ち直れずにいるという。
情報筋は「あちこちから金持ちまで餓死したという話が聞こえてくる」とし、隣近所で餓死者を目撃した市民の間では恐怖が広がっている。
ただ、食べるものがまったくないわけではない。
当局は、中国やロシアから輸入したコメ、小麦、トウモロコシを、今月8日の朝鮮人民軍創建日に合わせて除隊軍官(退職した将校)、栄誉軍人(傷痍軍人)、現役軍人で供給し、それが市場に流入したせいか、穀物価格は安定している。
ただ上述のように、北朝鮮の一般庶民が現金収入を得るほぼ唯一の手段である市場での商売への締め付けが強化されたことで、穀物を買うほどの収入がなく、需要が減ったことが価格の安定に繋がっている可能性も考えられる。