宝塚記念の有力馬サートゥルナーリアの母シーザリオ、アメリカでのエピソード
伯楽初の海外遠征
2000年代の半ばの話である。ちょうど今くらいの時期に3歳牝馬にとって、既定路線の一つとなった海外のレースがあった。アメリカ、西海岸で行われていたアメリカンオークス(G1、3歳牝馬、芝2000メートル)だ。現在は廃止となってしまったハリウッドパーク競馬場が舞台だった。ちなみにこのレースはよく「米オークス」と記されたが、頭の”アメリカン”はスポンサーがアメリカンエアラインだったため。日米オークスなどという表記は意味合い的には誤りと言って良いだろう。
2005年、ここに挑戦したのがシーザリオだ。管理したのは角居勝彦調教師。ヴィクトワールピサによるドバイワールドカップ(G1、ドバイ)制覇やデルタブルースとポップロックでワンツーフィニッシュを決めたメルボルンカップ(G1、オーストラリア)など、後に世界中に名を轟かす事になる伯楽だ。技術調教師時代には森秀行厩舎のヨーロッパ遠征についてイギリス入り。アグネスワールドやエアシャカールと共にニューマーケットで過ごした経験があった。しかし、自らの開業後に海を越えたのはこれが初めてだった。
「海外に挑戦するのは昔からの夢でした」
太平洋を越え、ロサンゼルスに着いた若き角居は、当時そう言っていた。かの地の降り注ぐ陽光を避けるため、サングラスをしていたが、その瞳は野望に光り輝いている事が推察出来る力強い宣言だった。
もちろん、ただ夢を語っていただけではない。初めての遠征を成功させるために打てる手は打った。前年、同じレースにダンスインザムードを送り込んでいたのが藤沢和雄だった。角居は藤沢厩舎のスタッフから情報を仕入れた。洗い場は日本のように馬を張る設備がないから誰か一人が馬を持って別の人が洗わないといけない。そう聞くと「日本にいる時からそのスタイルで洗うようにした」。遠征期間と被るアメリカ独立記念日(7月4日で、この年はレース翌日)は盛大な打ち上げ花火がそこかしこで上がる。それを聞くと「メンコ(耳覆い)を多めに持って行くようにした」。飼い葉や水についても話を聞き、それぞれ対応出来るよう準備したお陰で「現地入り後は馬体を減らす事もなく順調そのものだった」と言う。
アメリカでも力を発揮
現地に帯同したのは持ち乗り厩務員の鈴木裕幸。トレセン入りしたのは前年の暮れで、シーザリオが自身2頭目の担当馬だった。角居は言う。
「彼は奥さんがご懐妊中という事だったので無理せず日本に残っても良いと伝えたのですが『行かしてください』と言う返事でした」
これに対し当時、鈴木は次のように語っていた。
「先輩方を差し置いて行くのは気がひけたけど、担当馬を連れて海外に挑戦出来るチャンスなんてまずあるモノではないと思い、行かしていただく事にしました」
現地での調教はポニーを付けて誘導させた。そのポニーに跨ったのは現在、調教師となっている稲垣幸雄。当時は萩原清厩舎のスタッフだったが、トレセン入りする前にはノーザンファームで働いた経験があった。シーザリオはそのノーザンファームの生産馬。牧場側が遠征に付き添えるスタッフを探しているという話を聞いた稲垣が萩原に相談すると二つ返事で承諾。東西の厩舎の垣根を越えて助ける事になった。その稲垣が言う。
「シーザリオはポニーがいなくても大丈夫なのでは?と思えるくらい落ち着いていました」
同調するのが先出の鈴木だ。
「むしろポニーが驚いちゃうような場面があってもシーザリオはどっしりと構えていました」
この時点でのシーザリオの日本国内での戦績は5戦4勝。主戦の福永祐一が乗れなかった桜花賞(G1)こそスタートダッシュがつかなかった事もあり脚を余しての2着に惜敗したが、直前のオークスでは福永が「下手な乗り方をしてしまった」と言うほど万事休すと思えた位置から豪脚を披露。ゴール寸前で差し切って樫の戴冠を掌中にした。これだけ強い馬が海を越えても平常心でいられたのだから、結果も伴った。
後に繁殖牝馬としてシンハライト(16年オークスなど)を生むシンハリーズやイスラボニータ(14年皐月賞など)を出すイスラコジーン、エイシンアポロン(11年マイルチャンピオンシップなど)の母となるシルクアンドスカーレットらと一緒に走ったアメリカンオークスで、好位を進んだシーザリオ。福永にいざなわれ3コーナーでは先団を捉えに動いた。一見、早い仕掛けに思える位置だが、1周1マイルのダートコースの更に内側に芝コースがあるハリウッドパークの最後の直線は短い。それも考慮すれば3コーナーから仕掛けても決して早くはなく、結果2着に4馬身もの差をつけて、日本の女王はアメリカでもクイーンの座を射止めてみせた。あまりにも呆気ない楽勝ぶり。先述した通り競馬場の発表は4馬身だったが、実際にはどう見直しても5~6馬身の差はつけている圧勝で、彼女はこの1戦だけで北米競馬のJRA賞にあたるエクリプス賞の最優秀3歳芝牝馬部門の候補に挙げられた。
シーザリオの本当の凄さ
こんなにも強かったシーザリオだが、彼女の本当の凄さを知るのは実はこの更に後の話だった。アメリカンオークスの後、繋じん帯炎に見舞われた彼女は長期休養の甲斐なく引退を余儀なくされ、繁殖に上がる。すると10年生まれの3番仔エピファネイアが13年に菊花賞(G1)に次いで14年にはジャパンC(G1)を優勝してみせた。更にその3歳下の弟リオンディーズは朝日杯フューチュリティS(G1)勝ち。そして16年生まれのサートゥルナーリアも18年にホープフルS(G1)、19年には皐月賞(G1)を勝利。一流の繁殖牝馬として現在も競馬新聞の馬柱に名を現すようになったのだ。
さて、そんなシーザリオの仔、サートゥルナーリアが今週末の宝塚記念(G1)に有力馬として名を連ねてきた。実家の都合で来春には厩舎をたたむ角居にとってG1を勝つチャンスも残り少なくなってきた。厩舎ゆかりの血統で好結果が出る事を願いたい。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)