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秋華賞前日、14年前の同レースで理不尽に叩かれた男に起きた奇跡とは……

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
08年秋華賞のブラックエンブレムとプロヴィナージュ(撮影;報知新聞/アフロ)

理不尽な事件

 16日に行われた秋華賞(GⅠ)。結果はスタニングローズが勝利してGⅠ初制覇。2着にはナミュールが入り、栗東・高野友和厩舎のワンツーフィニッシュで決着した。

高野厩舎のワンツーフィニッシュで幕を閉じた今年の秋華賞のゴールシーン
高野厩舎のワンツーフィニッシュで幕を閉じた今年の秋華賞のゴールシーン

 話は2008年まで遡る。この年の秋華賞。レースの3日前に事件が起きた。

 この日の最終登録を前に、急遽、出走に踏み切った馬がいた。

 プロヴィナージュだ。

 同馬はそれまで9戦して2勝。勝ち鞍の2つはいずれもダート戦で、他にもダートでは関東オークス(川崎競馬場、JpnⅡ)での2着好走があった。一方、芝は1戦しか走っておらず、16頭立ての9着に敗れていた。

 このような実績から、秋華賞は登録こそあれ、使っては来ないと思われていた。しかし、管理していた小島茂之調教師は当時の心中を次のように述懐する。

 「追い切りの動きが良くて、とにかく状態の良さは明らかでした。芝は1回しか走っておらず、負けてはいたけど、自分としてはその1戦で見限るのは早計だと考えていました。芝でも走れるという思いもあったので、秋華賞に挑戦する事にしたんです」

現役時代のプロヴィナージュ
現役時代のプロヴィナージュ

 芝の1戦は先述した通り9着に敗れていたが、それは重賞で、時計的には勝ち馬から僅か0秒5差。常日頃、同馬に携わる指揮官が言うように見切りをつけるには充分ではなかったのかもしれない。

 しかし、世間の目は決して好意的ではなかった。

 プロヴィナージュが出走に踏み切った事で、除外になる馬が1頭出たわけだが、これが超良血馬で、人気もある馬だった。そのためネットを中心にプロヴィナージュや小島に対して誹謗中傷する文面が並んだ。その多くは「ダート馬を使うな!!」といった感情に任せた殴り書きといえたが、これには小島もショックを受けた。

 「ファンの皆様と直接やり取り出来るようにとブログを開設していたのですが、それを通してかなり文句を言われました」

当時の小島茂之調教師(中央)
当時の小島茂之調教師(中央)

20年前に語った想い

 話は更に6年遡る。今から丁度20年前の02年の夏。小島はイギリスへ行った。調教師試験に合格した彼は、翌年の開業を控えた身。比較的自由のきく期間を利用して、ヨーロッパの競馬を自主的に研修しに行ったのだ。ゴーランが勝利したキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(GⅠ)を観戦した前夜、彼とアスコット競馬場近くのホテルにあるパブで、話をした。

 「ヨーロッパの多くの厩舎では、飼い葉桶を吊るさず、地面に置いていました。理由を聞くと、牧場で草を食む時と同じにする事で、リラックス効果があると言っていました。自分も開業したらそれに倣おうと思います」

 そんな開業後の計画や夢を沢山語る中で、印象に残った言葉があった。

 「ジョン・オックスにしてもエイダン・オブライエンにしても、海外の調教師は関係者ばかりでなく、ファンにも慕われている人が多く感じました。自分もそんな調教師になりたいですね」

 そう語っていただけに、プロヴィナージュの件で叩かれたのは、心にグサリと刺さったのだった。

 そんな傷を癒してくれたのが、誰あろうプロヴィナージュだった。秋華賞での彼女は、早目にハナに立つと、直線を向いてもまだ先頭を維持していた。結果的には残念ながら先頭でゴールを切る事は叶わなかったのだが、入れ替わるように先頭に立ったのがブラックエンブレム。そのまま勝利した彼女を管理したのもまた小島茂之だった。

 「オニャンコポンの田原邦男オーナーの馬で、ロイヤールハントという期待馬がいました。この馬はデビュー2戦目で競走を中止すると、その直後に心臓発作で死んでしまいました。志半ばで散ったロイヤールハントとの思いを叶えられるように、とオーナーがその妹も預けてくださいました。それがブラックエンブレムでした」

小島茂厩舎のワンスリーフィニッシュとなった08年の秋華賞を制したブラックエンブレム(写真はオークス出走時)
小島茂厩舎のワンスリーフィニッシュとなった08年の秋華賞を制したブラックエンブレム(写真はオークス出走時)

秋華賞前日に起きた奇跡

 粘り切る事こそ出来なかったプロヴィナージュだが、しぶとく3着でゴール。レース前の外野の雑音を、結果を残す事でシャットアウトしてみせた。秋華賞という大舞台でワンスリーフィニッシュを決めた小島は言う。

 「随分と叩かれたけど、ブラックエンブレムとプロヴィナージュが窮地を救ってくれました」

 そう思った小島の目に、一つの光景が飛び込んだ。

 「スタッフが皆、号泣していました。2頭共、頑張ってくれた事で、緊迫しながら調整して来た彼等も自然と涙が出たのだと感じました」

 おそらくレース前の誹謗中傷の言葉は、彼等スタッフにも届いていたはずで、だからこそ瞳から溢れるモノがあったのかもしれない。つまり、2頭の好走が救ってくれたのは小島だけではなかったのだ。厩舎全体をブラックエンブレムが、そしてプロヴィナージュが救ってくれたのだ。小島は言う。

 「とくにプロヴィナージュが凡走に終わっていれば、ブラックエンブレムの勝利も有力馬が除外になったから、とまた叩かれていたかもしれません。そういう意味でも、頑張ってくれた2頭には本当に感謝しかありません」

 あれから14年。今年の秋華賞前日。奇跡的な事が起きた。この日の新潟競馬、第1レースの障害未勝利戦を、アストラエンブレム(騙9歳、美浦・小島茂之厩舎)が勝利すると、その約25分後、東京競馬の第1レース、2歳未勝利戦をサンライズジーク(牡2歳、栗東・矢作芳人厩舎)が優勝した。2頭はそれぞれブラックエンブレムとプロヴィナージュの子供だったのだ。

 「自分で管理していたオープン馬の子供が勝つというのはやはり嬉しいものです」

 秋華賞前日に起きた奇跡に、そう言って微笑んでみせた小島の厩舎では、今でも飼い葉桶は地面に置かれている。

秋華賞前日の新潟で勝利を挙げたアストラエンブレムは秋華賞馬ブラックエンブレムの子供だった。右端が小島(写真は東京競馬出走時)
秋華賞前日の新潟で勝利を挙げたアストラエンブレムは秋華賞馬ブラックエンブレムの子供だった。右端が小島(写真は東京競馬出走時)

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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