東大の切りつけ事件は、Z世代による「昭和の学歴社会」への反撃か 楽しい学びは多様性から始まる
大学入学共通テストの会場となっている東京・文京区の東京大学前の路上で、17歳の少年が刃物で受験生ら3人を切りつける事件が発生した。現行犯逮捕された高校生は、「勉強がうまくいかなくて、事件を起こして死のうと思った」と供述しているという。
またしても「自爆テロ型犯罪」が起きてしまった。
そのターゲットに注目すれば、大阪教育大学付属池田小学校の児童(2001年)や私立カリタス小学校の児童(2019年)が刃物男に殺害された事件と同じ構造に見える。つまり、エリート層への最後の大反撃がイメージされた犯行だ。
こうした「自爆テロ型犯罪」への対策として最も有望なのは、大学の校門に設置されている防犯カメラに、「ディフェンダーX」というソフトウェアを搭載することだ。その機能については、別の記事を参照していただくとして、ここでは今回の事件に特徴的な問題を考察したい。
暗記がすべての詰め込み式
今回の事件のキーワードは、「東大」と「受験」である。この二つは、昭和の学歴社会を象徴する言葉だ。そこでは、「記憶力」が高い人が優秀な人と見なされていた。したがって、試験で測定されるのも「記憶力」だ。
しかし、世の中が工業社会から情報社会に移行し、「記憶力」はコンピューターのハードディスクに任せておけばよくなった。代わって社会が求めるようになったのが、情報の「検索力」と「編集力」、そして情報を超える「創造力」だ。
にもかかわらず、学校教育や受験システムは、依然として「記憶力」の価値観の上に構築されている。デジタルネイティブの「Z世代」(11~25歳)は、こうした枠組みにしっくり収まるのだろうか。
「Z世代」は、生まれた時からスマホやネット環境に親しんできた。彼らにとっては、テレビや新聞は昭和レトロの遺物だ。彼らは、社会問題や商品の情報は「ユーチューブ」に、エンターテインメントは「ネットフリックス」や「スポティファイ」に求めている。
ジェイソン・ドーシーとデニス・ヴィラの『Z世代マーケティング:世界を激変させるニューノーマル』には、「Z世代はモバイル性、直感性、簡便性、そしてなにより個々の事情とニーズに適したパーソナライズ性を求めている」「Z世代は広告や決済手続き、返品まで、顧客体験全体が好みに合わせて完璧にカスタマイズされることを期待している。それに応えられない企業は、相手にされない」とある。
とすれば、「画一性」が前面に出てくる記憶力ベースの学歴社会には、「多様性」こそ至高なZ世代はなじめないと言わざるを得ない。閉塞感や重圧感が高まると、絶望感や無力感に悪化しかねない。
楽しい学びは多様性から始まる
電気自動車や蓄電池などを手掛ける「テスラ」と宇宙開発を担う「スペースX」を率いる世界一の富豪イーロン・マスクは、時代に乗り遅れまいとして、入学したスタンフォード大学の大学院を2日で退学したそうだ。
ただ普通は、そこまでの行動力はないので、受験生は悶々とする日々を送ることになる。今回の事件のターゲットは、エリート層というよりもむしろ昭和の学歴社会そのものだったのかもしれない。
浜田和幸の『イーロン・マスク:次の標的』によると、「自分が楽しめ、エキサイトできることがなければ、何も身に付かない」がイーロン・マスクの持論だという。確かに、知らないことを知ることは、とても楽しいはずだ。しかし、暗記を強いられる作業は楽しいだろうか。暗記が社会で役立つならともかく、そうでなければ苦役にすぎない。
すべてが加速する現代社会では、学校教育の目的は、子どもの弱点を引き上げて平均的(画一的)な人間を作ることから、長所を伸ばして個性的(多様)な人間に育てることへ、パラダイムシフト(枠組み転換)すべきである。
さらに、卒業後の社会でも、多様なレールを用意し、列車の乗り換えがスムーズにできるように、再教育・再訓練の機会を与える社会教育・生涯教育を拡充すべきである。
そうしなければ、悲劇は繰り返されてしまう。