『カムカムエヴリバディ』安子を縛る「呪いの言葉」
ラジオ英語講座を軸に、朝ドラ史上初の3世代ヒロインが駆け抜けた100年の人生を描く、藤本有紀脚本のNHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』の2021年放送分が、12月28日に終了した。
日本のラジオ放送開始と同時に、岡山の和菓子屋「たちばな」に初代ヒロイン・橘安子(上白石萌音)が誕生したところから始まる物語は、序盤は「王道朝ドラ」「王道ヒロイン」と評された。
しかし、序盤の幸せな日々、淡い恋心からロミオとジュリエットばりの悲恋、そこからの幸せというある種のおとぎ話を見せたのは、おそらくあまりにシビアな現実が先にあったからだろう。
ここでは現代に通じるテーマと共に、安子編の波乱に満ちた人生、とんでもなく気丈なヒロインぶりを一気に振り返ってみたい。
日々に不足も不満もなかった少女を変えた「恋」と「目覚め」
序盤で描かれた温かい家庭で愛されて育った環境や、明るく素直な性質、丸顔で安心感のある“おぼこい”雰囲気などは、「王道」の印象があった。当時、安子はまだ将来への夢も特に持たず、大好きな和菓子屋の家業を手伝う日々に何の疑問も抱いていない少女だった。
しかし、そんな安子が、14歳のとき、人生に大きな影響を与える大切なモノとの出会いをいっぺんに果たす。それは幼馴染・勇(村上虹郎)の兄で雉真家の跡取り・稔(松村北斗)に抱いた恋心と、彼をきっかけに興味を抱いたラジオ英語講座だ。初めての喫茶店で初めてのコーヒーを知ったのも、初めて自転車に乗れるようになったのも、全て恋が原動力である。そしてその「恋」は、これまで不満や不足を感じることのなかった安子にとって、「目覚め」となり、それが戦中戦後まもなくの時代においては、ある種の「毒」ともなった。
戦争の影響により、互いの家でそれぞれに政略結婚の話が持ち上がり、「ロミオとジュリエット」ばりの悲恋を経験する二人。そんな二人を最終的に一緒にさせてくれたのが、勇であり、両家の父だったが、戦争が無残にも全てを奪ってしまう。
安子は祖父、母と祖母を失い、終戦後ようやく立ち直ろうとしていた父・金太 (甲本雅裕)までも失い、ついに稔の戦死の報せを受ける。そこからただただ泣き暮らす荒んだ様子が、安子の目に、髪に、仕草にありありと浮かんでいた。
唯一の心の支えが、出征前に稔が残して行ってくれた長女・るいだが、義母・美都里(YOU)が安子にきつくあたるようになり、千吉(段田安則)に再婚を勧められて拒否した安子は勇の手助けを得て、るいと二人大阪へ。
食材が入手しにくい状況下で菓子を作るが、なかなか売れず、るいと共に必死で生きる安子。そんな折、軒先から流れてくる『ラジオ英語講座』に聴き入っていると、家の中に招いてくれたご婦人が毎日ラジオを聴かせてくれ、繕いの仕事も紹介してくれ、二人暮らしがなんとか回り始める。
ところが、そんな二人のささやかながらも幸せな生活は、残酷にも配達途中の事故で、安子とるいが怪我を負ったことにより、突然終わりを告げる。生活がままならなくなった安子は、千吉に助けられ、岡山の雉真家に戻ることを余儀なくされる。戦後間もない時代と現代とで「女性が一人、子どもを育てていくことの厳しさ」が悲しいほどに変わっていない事実にも、不測の事態によって生活が簡単に破綻してしまう現実のシビアさにも、打ちひしがれそうになる。
「稔を思うこと」だった英語が、自分の思いを表現する・道を切り開く手段に
ところが、岡山での暮らしが再開されると、徐々に視聴者たちの冷たい目が向けられることとなった。菓子を作り、るいと一緒に売り歩くことを千吉に止められ、るいに留守番させることに。安子は事故でるいの額につけてしまった傷の治療費をなんとか自分で工面しようとしていたが、豊かな暮らしをしながらも、子どもを置いてまで商いに出る安子に対する視聴者の批判の声は高まっていった。
るいにとっては母と共有する楽しみ「おはぎを一緒に売ること」を取り上げられたうえ、もう一つの母との楽しみ「ラジオ英語講座」は、祖母・美都里に「聴きとうねえんじゃ。稔を殺した国の言葉」と言われ、消されてしまう。
その一方で、安子は街で米軍将校・ロバート(村雨辰剛)に話しかけられ、困っていた花売りのおばあさんの「通訳」をしたことを機に、ロバートと交流するようになり、やがて「英語」によって、稔の死への深い悲しみや「敵国」への憎しみなどを爆発させる。それは安子の閉じ込めておいた感情を解放してあげる行為でもあった。安子にとって「稔を思うこと」そのものだった「英語を勉強すること」は、いつしか自分の思いを表現する手段、道を切り開く手段に変わっていく。
そんな折、戦争から兄・算太(濱田岳)が生還。算太と共に「たちばな」再建に向けて商いに励む安子だったが、ロバートと偶然再会し、英語のテキスト作りを手伝うように。
その一方、勇にプロポーズされ、返事ができなかった安子は、るいと共に雉真家を出ようとする。しかし、千吉には、るいの額の治療費も含め、雉真家の子として育てほうがるいにとっての幸せだと諭され、一人、家を出る。なぜ泣きじゃくるるいに、ちゃんと事情を話さなかったのか。
自分が大人になると、実は子どもは大人が思っているよりもずっといろんなことを察知し、理解していることに気づくものだが、安子はるいを大切に思う一方、あまりに未熟で、るいの感情に対してあまりにも鈍感だったのだろう。
さらに算太が失恋を機に、たちばなの再建資金を持ち逃げしてしまい、算太を探すために大阪に向かった安子が疲労困憊して倒れたところ、ロバートが介抱する。
よりによってそんな場面を、安子を追って大阪に来たるいが目撃してしまい、安子と再会を果たしたるいは、自身の額の傷を見せつつ、「I hate you」とゆっくり強い意思を持って伝える。それが安子を絶望させ、アメリカに旅立たせる決定打となってしまった。
「子どもがいるのに、恋なんて」と批判する人もいるだろうが、安子はロバートのアメリカ行きの誘いを一度は断り、はっきりと伝えている。
「るいが私の幸せです。何よりも、るいが一番大事なんです。一緒に暮らせなくてもええ。るいのそばにおりてえ。るいは、私の命なんです」
ただし、それを伝えるべきは、本当はロバートではなく、るい本人だったはずなのに。
『カムカム』安子が教える「普通の当たり前の暮らし」の難しさと尊さ
序盤では、安子を演じる上白石萌音が、昭和の素朴で温かい家庭に育った素直で優しい女性にピッタリだと視聴者が多かったろう。
しかし、上白石萌音のすごさはむしろ、稔への恋心から「英語」という自己表現のツールと出会い、新しいカルチャーや異なる価値観を学び、自立していく姿にあると思う。
特に稔の死を乗り越え、るいと二人で暮らし始めてからの安子はもう「何不自由ない暮らし」に満たされる自分には戻れなくなっていたように見えた。物質的な豊かさを求めるのではなく、ささやかでも自分の足で歩く日々の充実を知った安子に、しかし、多くの視聴者が向ける目は冷たかった。
だが、改めて思う。結婚し、子を持ったら、夢を見るのは贅沢で我儘なのか。嫁として、母として生きる日々の中に「自分の時間」は許されないのか。衣食住足りたら、それ以外を求めてはいけないのか。子どもが放つ言葉に、母が一喜一憂してはいけないのか。そこには、現代も多くの女性たちが縛られ続ける「呪いの言葉」がたくさんあるように見える。
大阪で倒れ、るいの入学式に間に合わないと悟った安子は、うなだれて言う。
「なんでこんなことに……私は、ただ当たり前の暮らしがしてえだけじゃのに。お父さんやお母さんが私にそねいしてくれたように、るいを温かく見守り育ててやりたい。それだけじゃのに」
「普通の当たり前の暮らし」がいかに難しいか、「父母が自分に与えてくれた生活を、自分が子に与えること」がいかに難しいかは、貧困化が加速度的に進む現代の日本において、今まさに子育てをしている世代には痛いほどわかる、強く刺さる言葉だろう。
絶望に打ちひしがれる安子の姿と、主題歌『アルデバラン』の歌詞「君と君の大切な人が幸せであるそのために」、そしてタイトルバックのペーパークラフトが表現する幸せそうな家族の姿、分岐する道を歩く3人のシルエットが重なる。
当たり前の幸福があまりに遠く、尊いことを感じさせる「安子編」だった。
(田幸和歌子)
【画像提供/NHK】連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』はNHK総合 毎週月曜~土曜 朝8時放送 ほか。