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北朝鮮から亡命した外交官と特権層の顔ぶれ

辺真一ジャーナリスト・コリア・レポート編集長
韓国に亡命したホ・テヨン駐英国北朝鮮副大使

ロンドンにある北朝鮮大使館のナンバー2にあたるテ・ヨンホ副大使(代理大使)が妻と息子とともに韓国に亡命した。

昨日の韓国統一部の発表ではこれまで韓国に亡命した北朝鮮の外交官の中では「最も地位の高い人物」であるとのことだ。

これまで韓国に亡命した外交官は1991年5月の高英煥駐コンゴ大使館一等書記官、1996年1月の駐ザンビア大使館の玄誠一3等書記官(玄哲海元帥=元人民軍総政治局副局長の甥)、1999年1月の金京泌駐ドイツ利益代表部書記官、それに1993年3月の洪淳京駐タイ大使館参事官(貿易担当)などがいる。

テ・ヨンホ副大使の場合、比較的にすんなり韓国に亡命できたようだが、洪淳京駐タイ参事官は韓国入りするまで1年以上もかかった。

洪参事官も家族と一緒に1992年2月にタイから脱出しようとしたが、北朝鮮の追手に捕まり、カンボジアから北朝鮮に護送される寸前、脱走に成功し、タイ当局に身柄を保護された。

北朝鮮は「タイに支払うコメの代金(8千万ドル)を横領したとして、タイ政府に北朝鮮への送還を要求したが、国連難民高等弁務官事務所が洪参事官及び夫人と子供を難民として認定したためタイ政府は1993年3月に韓国への亡命を認めた。

この他に大使館員ではないものの国際機関に派遣された外交官の中に1998年2月に韓国に亡命した金東珠駐ローマ国連農業機構(FAO)3等書記官がいる。

金3等書記官は平壌外国語大卒業後にタンザニアに留学。外交部国際機構国連課に配属された後にスイスやノルウェー大使館で補助指導員として勤務し、1994年3月から亡命するまでの約4年間、ローマ国連農業機構(FAO)に派遣されていた。

英国からは1995年12月に夫人と息子を連れて亡命した超エリートの崔世勲・英朝合弁会社「DIC」社長がいる。

金日成総合大学卒業後、労働党直系の銀行である「大聖銀行」に勤務。オーストリア銀行で研修を受けた後、ロンドンに派遣され、北朝鮮初のディラーとして外貨獲得で貢献していた。父親は元党財政経理部長の崔希豹。

さらに、韓国ではなく、第三国に亡命した外交官も少なくはない。

特筆すべきは、1997年8月の張承吉駐エジプト駐在大使夫妻と兄の張承虎フランス駐在参事官(経済担当)の米国への亡命である。

張承吉大使の夫人は北朝鮮の元トップ女優の崔恵玉さんで、北朝鮮は二人がカイロから失踪すると「米CIAに拉致された」と騒ぎ、エジプト政府に捜索を求めたが、米国への亡命意思が明らかになるや「公金横領犯罪者」として手の平を返し、送還を求め、騒動となった。

なお、外交官ではないが、第三国には1998年に米国に亡命した金正恩委員長の叔母(母方)、高容淑さんがいる。

高容淑さんは2004年5月に乳癌で亡くなった金正恩委員長の実母(高容姫)よりも6つ下の妹。1960年初期に父母に連れられ姉らと一緒に大阪から北朝鮮に渡った在日朝鮮人帰国者である。

金正恩委員長の実兄(正哲)が1992年にスイスのペルーンに留学した際に同行して一緒に暮らし、金委員長が兄の後を追い、1996年に留学した際にはペルーンから5km離れたリバフィールドにある2階建の豪華邸宅で親代わりとして生活の面倒を見ていた。夫と共に1998年にスイスのペルーンの米大使館に駆け込み亡命申請し、数日後にフランクフルトの米軍基地に移送され、米国への亡命を果たしている。

金正日ファミリーには1996年2月にフランスに亡命した金正日総書記の元妻、成恵琳の実姉で成恵琅・李南玉の母娘もいる。

成恵琳さんは北朝鮮のトップ女優だった1969年当時、金正日総書記と同居。71年に長男・金正男氏が誕生。ところが、金総書記が正恩委員長の実母に心を寄せたため北朝鮮にいられずに1980年に静養の目的でスイスに出て、その後ロシアに移動。姉や姪と一緒にフランスへの亡命も考えたが、そのまま一人ロシアに残り、2002年5月に死去。モスクワ郊外の共同墓地に墓がある。

成恵琅さんの息子で、金正男の従兄弟である李韓永(本名:李一男)氏も話題となった亡命者の一人である。

1970年代にモスクワ言語大学文学部に入学し、卒業後、ジュネーヴに留学中の1982年に韓国に亡命した。

韓国では整形手術を受けた上、改名までして密かに暮らしていたが、1996年に韓国メディアに登場したことがきっかけで翌年2月15日、身を寄せていた友人宅前で北朝鮮の工作員により頭部に銃撃を受け、死亡した。

この他にこれまで数多くの「大物」が韓国に脱北しているが、その筆頭は1997年2月の黄長ヨプ働党書記(国際担当)であろう。

党序列27位の、金日成総合大学元総長であり、北朝鮮の思想であるチュチェ(主体)思想を理論的に体系した人物の韓国亡命は国際的に注目を集めた。

東京で開かれた国際会議に出席し、帰路の経由地である北京で韓国大使館に亡命を求めた時、北京駐在の北朝鮮の外交官や情報部員らは「何者かによって拉致された」として、韓国大使館周辺を取り囲んだ。中国外交部を通じて黄書記の亡命意思が確認されるや、北朝鮮は数日後に一転して「公金横領した犯罪者」と主張し、引き渡しを要求した。黄氏は2010年4月に13年ぶりに日本を訪れたが、この年の10月、心臓疾患で死亡した。

「主体思想」といえば、主体思想のシンボルである塔を設計した女性建築家の張仁淑さんの1997年9月の亡命も忘れてはならない。

主体塔のほか「アンコール立体橋」を設計するなど3大女性建築家の一人として金日成主席や金正日総書記から表彰された張仁淑さんはソ連崩壊後、ウクライナ留学中の長男が亡命したため平壌から最北端の穏城に移送され、国家反逆者として苦しい日々を送っていたが、その後韓国に亡命した長男の手助けを受け、北朝鮮からの脱出に成功した。

韓国には1996年5月に演習中にミグ戦闘機で韓国に亡命した空軍パイロットの李哲珠大尉や姜成山元総理の娘婿の康明道など様々な亡命者がいる。

(参考資料: 雪崩現象を起こす脱北者の急増は体制崩壊の兆しか?)

(参考資料:知られざる脱北者の実態

ジャーナリスト・コリア・レポート編集長

東京生まれ。明治学院大学英文科卒、新聞記者を経て1982年朝鮮問題専門誌「コリア・レポート」創刊。86年 評論家活動。98年ラジオ「アジアニュース」キャスター。03年 沖縄大学客員教授、海上保安庁政策アドバイザー(~15年3月)を歴任。外国人特派員協会、日本ペンクラブ会員。「もしも南北統一したら」(最新著)をはじめ「表裏の朝鮮半島」「韓国人と上手につきあう法」「韓国経済ハンドブック」「北朝鮮100の新常識」「金正恩の北朝鮮と日本」「世界が一目置く日本人」「大統領を殺す国 韓国」「在日の涙」「北朝鮮と日本人」(アントニオ猪木との共著)「真赤な韓国」(武藤正敏元駐韓日本大使との共著)など著書25冊

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