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LE VELVETS 佐賀龍彦、脳梗塞からの復帰ステージで男泣き「皆さんからの励ましが大きな力に」

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
写真提供/SL-Company

恒例の秋のツアー『LE VELVETS CONCERT TOUR 2022「Eternal」』で復帰

LE VELVETS恒例の秋の全国ツアー『LE VELVETS CONCERT TOUR 2022「Eternal」』の初日、10月15日東京・かつしかシンフォニーヒルズは、いつまでも鳴りやまない拍手と、ファンの涙で大きな感動に包まれた。2021年に脳梗塞を発症し、活動を休止していたメンバーの佐賀龍彦が見事な歌声を披露し、復活。この日を待ちわびていたファン、そしてメンバー、スタッフの佐賀への思いが溢れていた。

佐賀は体調を考慮し、第一部はストーリーテラーとして登場。佐賀がステージに登場した瞬間から大きな拍手が湧く。映画音楽を中心にオペラ、ミュージカル曲そしてJ-POPまで、LE VELVETSとして歌い継いでいきたい名曲の数々を披露。宮原浩暢、日野真一郎、佐藤隆紀の美しい声が重なり生まれる、繊細かつ迫力ある“響き”が客席を包む。

「You Raise Me Up」で佐賀が圧巻の声を披露。全員が涙

そして第2部の1曲目「You Raise Me Up」では佐賀が圧巻の声を披露し、唯一無二の4人の“響き”が帰ってきた。佐賀は男泣きで、メンバーも感極まっていた。客席からは「おかえりなさい」という思いが込められた、大きな拍手が贈られる。佐賀は「帰ってまいりました」と挨拶し、「ステージに立つという目標があったから前に進めたし、皆さんからのお手紙や声援に本当に勇気づけられました」と感謝の言葉を客席に贈る。メンバーが、佐賀がステージに戻ってくるまで歌わないと決めていた「Nessun Dorma!」(誰も寝てはならぬ/オペラ『トゥーランドット』より)や、「来年の15周年を前に、またここから」という思いを込めた「序章」、そして最後は「佐賀君が帰ってきた歓びと、世界平和への祈りを込めて」と「第九」をアカペラで披露。4人の声が交差し、大きな感動が生まれた。

佐賀の涙を見て感じたのは、復活までどれほどの苦難を伴っていたのか、ということだった。コンサートから数日後、佐賀にインタビューする機会に恵まれた。コンサートの初日、果たしてステージに立つことができるのか、メンバーもそしてスタッフも、当日まで不安は消えない状況だったという。まさに奇跡の復活劇だった。

佐賀本人は10月15日のツアー初日に間に合うという確信はあったのだろうか。

「確心はありました。でも本番で両足が震えてしまって『これ、えらいことや』って焦りました。1部はMCに徹して、歌う曲は5曲と決まっていたので、なんとかいけるだろうと思っていました。でも1部でステージに出ていった瞬間に拍手をいただいて、予想していなかったので、感動してはいけないところなのに感動してしまって…」。

「自分が感動しすぎてはいけない、それだけを心がけて『You Raise Me Up』を歌いましたが、ものすごい拍手をいただけて感動してしまいました」

「You Raise Me Up」で、ステージで久々にメンバーと声を合わせる瞬間、どんな気持ちだったのだろうか。

「自分が感動しすぎてはいけない、それだけを心掛けてあの歌に入っていきました。でもダメでした(笑)。1部から3人の歌を聴いていると本当に美しくて『ここに僕が入ったらどんな響きになるんだろう』って、不思議な感覚で3人を見ていました。今の自分が歌える最高の歌、『今この状態です』ということをお客様に伝えることしか考えていませんでした。歌い終えて、ものすごい拍手をいただけて、来て下さった方が満足していただけてそれが一番嬉しかったです」。

「You Raise Me Up」は、昨年のステージでは本来は佐賀が立つ場所にスポットライトだけが当たっていた。これはメンバーの佐藤が希望した演出で、コンサート直前に倒れた佐賀への思いだ。

2019年未破裂脳動脈瘤が発見される

LE VELVETSのコンサートの構成を主に考えていたのは佐賀だった。2021年も秋のコンサートに向け、佐賀とスタッフはミーティングを重ねていた。そんなある日、舞台スタッフからマネージャーの元に「(佐賀から)メールが全然返ってこない。連絡が取れない」と連絡があった。佐賀は2019年に未破裂脳動脈瘤が発見され、経過観察という診断だった。しかし不安を払拭するために、活動の合間にカテーテル手術。手術は成功したものの軽度の脳梗塞を起こし入院。コンサート1か月前の9月だった。

「手術後2日目に目が覚めたら右半身が麻痺して、自分に何が起こっているのかわかるまで時間がかかった」

「元々片頭痛持ちで、酷くなってきたので病院に行ったところ、その原因とは関係ない未破裂脳動脈瘤が見つかって。今は問題ないけど、60~70代になると破裂する危険性も出てくるけど、診断としては経過観察と言われました。でも『それだったら今手術しておこうかな」と思い受けました。ところが、手術後2日目に目が覚めたら、右半身が麻痺していて起き上がることもできませんでした。自分に何が起こっているのかわからずボーっとしたまま過ごし、ようやくリハビリを始めたのはそれから2~3週間後でした」。

思うところはあったものの、決して自暴自棄にならず「余計なことは考えずに、とにかく頑張って戻るということだけに頭を使いたい」と、過酷なリハビリに励んだ。その間はメンバーはもちろん、事務所スタッフとも連絡を絶ち、とにかく復帰することだけを考え、毎日早朝から夜までリハビリと自主練で自分に負荷をかけ、戦っていた。

「理学療法士、言語療法士、作業療法士の方が用意してくださったプログラムに従って、毎日必死に向き合いました。コロナ禍ということで面会も禁止で、逆に誰とも会えなかったのは僕にとってよかったのかもしれません。誰かと会って喋っている時間がもったいと思っていました。自分史上、あんなに頑張ったことないと思います(笑)」

「ファンの方からの励ましの手紙が、本当に力になった。その声がリハビリを頑張る原動力になった」

ここで所属事務所社長が当時の状況を教えてくれた。「『今どんな感じ?写真か動画を送って』とLINEをしても全く返信がなくて。『声は聞けなくても、ひと言だけでも返して欲しい』って何度も連絡して、とにかく状況がわからないので心配で心配で…。でもしばらくしたら『心配をかけてごめんなさい』って返ってきて、嬉しくてスタッフみんなで泣いてしまいました。またしばらくして電話がかかってきて、スマホに『佐賀』という名前を見た時は、また泣いてしまいました」。

「もちろんメンバーを始め、スタッフが心配してくれているのはわかっていましたが、あの時は自分の姿を見せたくなくて、誰にも連絡をとりませんでした。最初はLINEの文字を打つのもすごく時間がかかってもどかしかったし、だったらトレーニングやリハビリに時間を使いたかった。でも事務所に届いていたファンの皆さんのメッセージや手紙、お守りが病室に届いて、それをひとつずつ読んで、お守りを眺めながら、本当に力をいただきました。こんなに待っていてくださる方がいると思うと、その人達のためにもリハビリをもっと頑張ろうと思いました。自分では12月には完全に治っているだろうと勝手に思っていました。今も完全ではないですが、常に治る、治るって考えてやっていたのが、よかったのだと思います」。

「退院後初めてメンバーに会った時、3人の不安そうな表情を見て、まだ自分は大丈夫じゃないんだと自覚した」

佐賀の真っすぐでマジメな性格に加えて、ファンの声という強い後押しがあったおかげで、周りが驚くほどの回復ぶりで、2021年の年末に退院した。退院して数日後にメンバーに会ったが、その時のことはコンサートで佐藤も言っていたが「歩くのもおぼつかなくて、本当に大丈夫かな」と逆に全員が心配になったという。

「まだ右足、右手の動きがぎこちなくて、会話の返しもゆっくりだったみたいで、3人が心配そうな顔をしていました。そこでまだ自分は大丈夫じゃないんだと自覚して、またリハビリに励みました。それでいざ発声をしようと思ったら、発声の基礎自体を忘れていました。メンバーの佐藤君に教えてもらいながら、グループを始めた頃にやっていたことを、もう一度やっている感じでした。入院中も、中音域は普通に出ていたので多分大丈夫だろうと思っていたのですが…」。

「右手でマイクを持てるようになって“いける!”と手応えを感じた」

今回のコンサートに照準を定め、リハビリに取り込んでいたが、8月頃まではまだ右手でマイクを持てない状況だった。

「自分で『いける!』って手応えを感じたのは、8月にマイクを右手で持てるようになったことです。それまでは僕はもう左手でしかマイクを持てないと思っていたので、右手で持ってるって思ったとき、大きく前進できたと感じました。それと『‘O SOLE MIO』で、ハイC(高いド)という音を出すのですが、それがパンと出たときに『いける』と思いました。僕は“優しい響き”というのが元々苦手でした。でも手術前よりもいい響きになって自分の声が戻ってきて、声が丸くなった感じがするのは、この病気になってプラスと思える部分です」。

『徹子の部屋』に出演し、復帰後初の4人でのハーモニーを披露。大きな反響を呼ぶ

佐賀龍彦、佐藤隆紀、日野真一郎、宮原浩暢
佐賀龍彦、佐藤隆紀、日野真一郎、宮原浩暢

4人での復活の“ステージ”は、9月22日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日系)だった。6月に開催されたコンサート「『徹子の部屋』クラシック2022」には3人で出演。この日佐賀の復帰一発目の歌は『徹子の部屋』メインテーマで見事なハーモニーを披露し、『TIME TO SAY GOODBYE』でも完全復活を感じさせてくれる歌を響かせた。

「番組で『TIME TO SAY GOODBYE』を歌う時、右足が震えて『あ、こうなるんだ』って思いました。だからコンサートでこの曲を歌っている時、また右足が震えても『あっ、震えたか』という受け止め方ができ、冷静に歌うことができました」。

番組の反響は大きく、コンサートの問い合わせが相次いだという。そして10月15日。かつしかシンフォニーヒルズで「You Raise Me Up」を歌った後に披露した「TIME TO SAY GOODBYE」は、よりふくよかに、醸成されたような薫り高い響きが会場に広がっていった。

「お客さん一人ひとりに僕が、僕達ができることは?ということをもっと深く考えていくことが今やるべきこと」

まだ完調ではないが、大病を克服し見事に復活を遂げた佐賀は表現すること、歌を届けるということについて思いを新たにした。

「お客さん一人ひとりの思いというものは、これまでもわかっていたつもりだったけど、今はそれが、よりわかるというか。コンサートには、一人ひとり違うお客さんが僕達の歌に何かを感じ、それぞれの人がそれを持って帰りたいという思いを抱えて、集まってくださっています。その方たちに僕が、僕達ができることは?ということをもっと深く考えていくことが、やるべきことだと思います。今回のことがあって、今いい形で4人がそれぞれのLE VELVETS というものを捉えているという感じがしています。僕自身のことをいうと、今まで頑固だと言われ続けてきて(笑)、いい部分もあるけど、よくない部分もあるんだという受け止め方ができるようになりました」。

「先のことよりも、今を一生懸命生きる、今できることを必死にやることしか考えられない」

来年は15周年を迎えるLE VELVETS。今回のツアーが終わってまた見えてくる景色もあると思うが、佐賀の中での15周年、そしてその先を見た時に野望は持っているのだろうか。

「いえ、今はこのグループで次のステージをどう作るかというしか考えられないです。その先のことはまだ見えてこない。それより今を一生懸命生きる、今できることを必死にやる、ということしか考えられないというのが、正直なところです」。

11月20日(日)Bunkamuraオーチャードホールで開催されるツアーファイナルは完売。全国のファンに4人でのツアー完走を見届けと欲しいと、LE VELVETSのコンサートとしては初の生配信も決まっている。さらに来年はフルオーケストラコンサート『billboard classics LE VELVETS 15th ANNIVERSARY Premium Symphonic Concert 2023』を3月17日東京芸術劇場、4月1日京都コンサートホールで開催する。

LE VELVETSオフィシャルサイト

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

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