【F1ベルギーGP】1991年、ミハエル・シューマッハの衝撃デビューはスパの忘れられない出来事
F1ベルギーGPがベルギーのスパ・フランコルシャンサーキット(1周7.004km)で始まった。レッドブル・ホンダが巻き返せるか、シーズンの行方を占う上で重要な1戦である。
また、F1直下のレース「FIA F2」と「FIA F3」も併催されており、F2では日本期待の角田裕毅(つのだ・ゆうき)が今季2度目のポールポジションを獲得。松下信治(まつした・のぶはる)も予選3番手につけるなど好調だ。
ドライバーズサーキットと呼ばれるスパ・フランコルシャンのレースでは数多くの伝説が生まれてきたが、中でもスパでの衝撃的な走りといえば、のちの7度のF1ワールドチャンピオン、ミハエル・シューマッハのデビューだ。
1991年、ジョーダンからの代役参戦
あれからもう30年近くが経とうとしている。そんな月日が嘘のように、当時の衝撃を覚えている人も多いだろう。
1991年のベルギーGPで、当時22歳のミハエル・シューマッハは「ジョーダン・グランプリ」から代役参戦でF1にデビューした。同チームのレギュラードライバー、ベルトラン・ガショーが前年にロンドンでのタクシー乗車中に起こした事件で逮捕されたのだ。ガショーは2ヶ月前にマツダ787Bでル・マン24時間レースで優勝。キャリアが上向いていた最中の出来事だった。
ミハエル・シューマッハが急遽空いたシートを掴んだわけだが、1991年のシューマッハは「SWC(スポーツカー世界選手権)」をメルセデス・ベンツの育成ドライバーの一人として戦っていた。メルセデスは当時まだF1に参戦していなかったものの、将来的なF1参戦のために若手の育成を行っていたのである。
そして「ジョーダン・グランプリ」は元レーシングドライバーのエディ・ジョーダンが立ち上げたチーム。現在のFIA F2にあたる「国際F3000」でチャンピオンを輩出するなど実績はあったが、F1に参戦してまだ半年という新参チームだった。
そんなチームのマシンにぶっつけ本番で乗り、ミハエル・シューマッハはいきなり予選7番手のタイムをマークしたのだ。強豪チームの一つ、ベネトン・フォードのネルソン・ピケとロベルト・モレノの間に割って入り、パドックに衝撃を与えたのである。
地元ベルギー出身のガショーの逮捕、欠場。そして代役で参戦した「大型新人」の驚異的なパフォーマンスに沸いたベルギーGPだったが、ミハエル・シューマッハはスタートでクラッチを壊して、なんと1周もせずにリタイアしてしまう。あのままレースができていたら、一体何位でフィニッシュしていたのだろうか?
翌戦にはベネトンに移籍
決勝レースでは結果が残らなかったミハエル・シューマッハだったが、そんな結果はすでにどうでもいいものだった。
翌週のイタリアGPではロベルト・モレノと入れ替わる形で強豪チームのベネトン・フォードへと移籍。驚異の大物ルーキーを早い段階でスターダムに押し上げようという力が働いたのである。デビューも衝撃なら、トップチームへのあまりに早すぎる移籍も衝撃的。彼を取り巻く全ての事象がただ事ではないことを物語っていた。
その後、ミハエル・シューマッハはデビュー1年後のベルギーGPでF1初優勝を飾り、1994年、95年と2年連続でベネトン・フォードでワールドチャンピオンを獲得。アイルトン・セナ亡き後のF1を担っていったのである。
ミハエル・シューマッハのF1デビューはメルセデスの後ろ盾があってのものではあったが、その突然のデビューを果たしたチームが参戦1年目のジョーダンだったというのも彼の逸材ぶりを測るのに一役かったと言えるだろう。ジョーダンはフォード・コスワースのいわばワークスエンジンのフォードHBを手に入れており、アンドレア・デ・チェザリスが表彰台まであと一歩の4位フィニッシュをするなどポテンシャルは高かった。
ジョーダン191はアイルランドのグリーンに、炭酸飲料のセブンアップのロゴ。ハイノーズ化されたF1の初期の頃のマシンであり、今のF1マシンでは考えられないほど流麗で美しいフォルムを持つマシンだった。
僅か1戦しかシューマッハが乗っていないにも関わらず、現在もシューマッハとセットで語られる不思議なマシンだ。